昨日の朝、せっせと、そしてヨボヨボと歩いていたら、風が吹いて桜吹雪が舞い降りてきた。
まわりにいた人たちがわーっと歓声を上げた。
ハラハラとまう花びらがあまりにも美しかったので動画を撮りたいとiPhoneを出したが、間に合わなかった。
あの美しさ。
父が息を引き取ったその朝、病室の窓を開けると、階下にあった桜の木から、水に墨汁を流したように静かに、流れていった桜吹雪。
数日前に車椅子に乗せ、一緒に見上げていたのに。
No.05359 25.02.09 眠いのに描かなければならない
これを夜に書いている。
もう眠い。
眠いのに書こうとしている。
それでふと思い出したこと。
夏休みの宿題が終わらず、夜に絵を描いた。
眠いものだから眠気を覚ますためにイタズラをした。
机の上の電球に絵の具を塗った。
青い絵の具を塗ったので、電球は青くなった。
そのときにシュウシュウと絵の具が乾く音がした。
その音が面白くて塗り続けた。
電球は、急に冷やされたのでパリンと割れた。
怪我をしなかったからよかったものの、危なかった。
No.05358 25.02.08 個性的な体験がアイデアを生む
昔、30年以上前のこと、僕は広告会社に勤務していた。
広告会社ではときどき変なアイデアを求められるときがあった。
「広いフロアにいて、場所によって別の曲を聞いているのに、心地よい状態を作ることはできないか?」
例えば百貨店など、商業施設で場所ごとに違う音楽をかけていることがあるが、その間にいると、両方の音楽が聞こえてきてやかましく感じることがある。
それを解消してくれという依頼だ。
大学生の頃、四年間家庭教師をし、そのバイト代をすべてシンセサイザーと多重トラックのテープレコーダーの支払いにあてていた。
そんなことをしていたのでアイデアはすぐに生まれた。
フロアごとにコード進行だけ統一して、いろんな奏者にアドリブで演奏してもらうのだ。
場所によって聞こえる奏者が異なる。
コードが同じなら違和感はさほどないし、場所によって違うアドリブがミックスされてもそれはそれできっと面白い。
先輩にそれを伝えたら、「そんな面倒なことできるか」とすぐに却下されてしまった。
やったら面白いと思ったのだが。
今ならPCを使って簡単にできそうだ。
No.05351 25.01.25 良い教師とは
子供時代を忘れていない教師は、それだけでいい教師であるという。
この文章を読んで、子供の頃の疑問を思い出した。
小学一年か二年のときにシャクトリムシを見た。
伸びたり縮んだりして歩いていた。
それを授業で詩に書いた。
練馬区の文集「練馬の子ら」の扉ページに掲載された。
「なんであんな詩が区の文集トップに採用されたのか?」と幼いながらに思った。
どんな詩だったのか、細かいところは覚えてない。
不思議に思っていたことを思い出してから、シャクトリムシを見たときのことを思い出す。
あんなふうに歩く虫をはじめて見たので興奮していた。
それをただ書いただけ。
幼い僕は詩とはどんなものか、理解していなかった。
「タカシくんがまんまるな目をしてシャクトリムシを見た」
そこだけを覚えている。
きっと審査をしてくださった先生が子どもらしい心を読み取ってくれたのだろうと、やっと思うことができた。
良い教師とは、半世紀以上経ってからでも教えてくれる。
No.05344 25.01.10 個人的記憶
僕の記憶の中にどうしても他人に知られたくない個人的記憶がある。
なぜそれらを知られたくないのか。
ひとつには「恥ずかしいから」というものがある。
「他人に迷惑がかかるかもしれないから」というものもある。
単なる「自慢話に思われたくないから」というのもある。
これは複雑で、自慢話に思われてもいいと書くものと、書かないものがある。
この二つの境は曖昧だ。
かつては書かなかったが、書くようになったものがある。
僕にとって単に「嬉しかったこと」が、誰かによって「自慢話だ」と思われるのが嫌なのだ。
今までだって「自慢話だ」と思われたくないことも書いたが、どうしてもそうは思われたくないことを書かないでいるが、そうやっていつかは忘れてしまうのは悔しいとも思う。
他人にとっては「どうでもいいこと」だろう。
でも、胸の内にしまっておく。
そういう記憶は他人にとって「存在する」のか「しない」のか?
No.05338 24.12.30 春菊
幼い頃、春菊が嫌いだった。
食べられないことはないけど、味が嫌いだった。
母が鍋を作ると春菊が入っていて、嫌だというのに食べさせられた。
そのおかげか、歳をとってから春菊が美味しく感じる。
無理やり食べさせられていなかったら、こんなに美味しく感じなかったかも。
子供に無理強いはするなというが、無理強いされて良かったのかも。
本当のことはわからないけどね。
No.05330 24.12.13 祈り
酒を飲んでいて友人に不意に「自分にとって祈りとはどういう意味があるのか?」と問われた。
いろんな意味があるだろうけど、酒の席で答えられるような粋な答えは浮かばなかった。
二日ほどしてふと思いついたこと。
酒の席向きの答えではないが、ある答えが降りてきた。
「生きていなさい」
母の言葉だった。
なぜか母はことあるごとに「生きていなさい」とか「死んだらダメよ」とかよく言った。
僕は死ぬ気はないし、生きているのが当たり前と思っていたので、なんでそんなことを言われるのか理解できなかった。
酒席の問いで、あれは母の祈りだったんだなと理解できた。
No.05327 24.12.07 銀座の歩行者天国
銀座で歩行者天国がおこなわれるようになったのは1970年というから、54年の歴史があることになるが、それ以前から小さな通りではときどき行われていたそうで、東京では明治20年(1887年)には神楽坂の縁日でおこなわれていたという。
縁日で通行止めになることも歩行者天国だと考えると、日本には昔からあったことなんだなと思える。
1970年頃、正確にはいつだったか思い出せないが、銀座のホコ天(歩行者天国)を歩いた記憶がある。
当時は車道を自由に歩けるのが新鮮に感じた。
しかし、やはり車道を歩くということで、多少の遠慮を感じたし、歩行者もさほど多くはなかった。
ところが今日行ってみると、海外から来た人を中心にたくさんの人が歩いていた。
まっすぐ歩くのが困難なほど。
そこに来たいろんな人の幸せそうな雰囲気が良かった。
No.05315 24.11.18 国立京都国際会館
友人の写真家が国立京都国際会館を撮影したとfacebookに作品をアップした。
懐かしい。
三十代の頃、そこに二、三日泊まって国際会議に参加したことを思い出す。
神社のような屋根の造り。
未来を思わせるその廊下。
あちこちに見られる斜めの柱、V字の柱。
庭園では池の上を歩ける歩道。
会場内のステンドグラスやライト。
一流の場所は一生忘れられない印象を与えてくれた。
No.05314 24.11.15 プールバー
会社員だった頃、よくプールバーに行った。
夕飯を軽く食べて、プールバーに行く。
バーボンなんかをすすりながら球を突く。
あの場の音や雰囲気が好きだった。
行く日は会社にこっそり普段はしないアームバンドをしたりして。
大学生の頃にビリヤードを覚えてよかった。

