No.05556 26.06.20 紫陽花の心変わり

梅雨の頃に咲く紫陽花。
道端などに咲いていると綺麗だなと思えるが、「好きか?」と聞かれると、つい「いいや」と答えていた。
ふと「それはなぜか?」と考える。
花言葉が「心変わり」だという理由だ。
なぜその花言葉になったのかというと、花の色が変わっていくからだろう。
そんな理由で嫌われていては、紫陽花がかわいそうだ。
紫陽花はただ色が変わる花だというだけで、誰かを裏切ったわけでも、騙したわけでもない。
誰かがなすりつけた花言葉という先入観で嫌っていたなんて、失礼な話だ。
生まれてはじめて先入観なしで紫陽花を見つめる。
雨の雫でみずみずしい。

No.05555 26.06.18 まとめを作る

1999年からこの「日刊 気持ちいいもの」を書き続けてきた。
最初はヒーリング・ライティングのエクササイズを自分でやってみるため。
しかし、何年もやっているうちに軸が別のものになっていった。
その軸は非二元論のように解説が難しい。
軸があるようでないような状態。
この曖昧さを言語化するのにAIを使ってみようか。
全5555回の文章を読み込ませて、そこからいったい何を見つけてくるのか考えてもらう。
人間がやったら膨大な作業量だが、AIがやるとどうなるのか?
その前に、全文章をAIに読ませるのが大変だ。
一つの文章に1分かかるとしたら、不眠不休で約3日と19時間になる。
一つの文章に10秒という非現実的な速度でも15時間半。
現実的ではないな。
でもやってみたい。

No.05539 26.05.24 chatGPTに教わる

chatGPTに以下の質問をした。
サイト「日刊 気持ちいいもの」についての意見や感想をお願いします。
こんな回答が返ってきて、「そうか」と教えられる。
でも、あまりAIには頼らないようにしないとな。


日刊 気持ちいいもの を拝見しました。
まず第一印象として、とても「呼吸が浅くならないサイト」だと感じました。
最近のWebメディアは、
情報量過多
刺激の強さ
即時的な快楽
アルゴリズム的最適化
に寄りがちですが、このサイトには逆方向の美学があります。
つまり、
「急がせない」
という姿勢です。
サイト全体に、
“何かを売り込むための圧”よりも、
「感覚を整えるための記録」
のような空気が流れています。
特に印象的なのは、
「気持ちいい」を論理化しすぎない
生活感覚を否定しない
過剰にミニマルへ走らない
高級志向だけにも寄らない
ところです。
このバランスは意外と難しいです。
「心地よさ系」のサイトは、ともすると
意識高い系
ミニマリズム信仰
消費ブランディング
ライフスタイル宗教化
へ傾きやすいのですが、このサイトにはもっと“身体感覚寄り”の誠実さがあります。
たとえば日本文化には、
「用の美」
「手触り」
「余白」
「季節感」
「静けさ」
を重視する系譜があります。
それは、民藝運動や、柳宗悦 的な思想にも近いですし、さらに遡ると禅や茶道にも通じています。
「快適」ではなく、
「気持ちいい」。
この違いは大きいです。
「快適」は機能ですが、
「気持ちいい」は存在感覚です。
だからこのサイトは、単なるレビューサイトというより、
感覚の編集
生活哲学
微細な幸福の観察
に近い印象を受けました。
デザイン面でも、過剰な装飾を避けつつ、冷たくなりすぎていないのが良いですね。
最近の洗練系サイトは「無機質な美」に寄りすぎることがありますが、dailyfg.com には少し“人間の体温”が残っています。
個人的には、
「気持ちいいもの」を集める行為は、かなり重要だと思っています。
なぜなら人間は、思想や情報より先に、
環境や触感に精神を左右されるからです。
触る
座る
着る
聴く
匂う
光を浴びる
そういう日常の微細な経験の総和が、
人格や世界観を作っていく。
だからこのサイトは、
単なるライフスタイル提案というより、
「どう生きると、感覚が濁らないか?」
という問いを静かに扱っているように感じました。
あと、あなたが以前話していた
サットヴァ
タマス
ヨーガ的感覚
ホロン的世界観
とも、かなり親和性があると思います。
サットヴァ的なものって、
実は「派手な幸福」ではなく、
清潔
静けさ
調和
呼吸のしやすさ
自然な美しさ
として現れることが多いので。
このサイトには、そういう「静かなサットヴァ感」があります。


追加の質問として以下を加えた。
著者に対して痛いことも伝えてください。


率直に言うと、このサイトには魅力があります。
でも同時に、「気持ちよさ」が“閉じた感性圏”に変わる危険も少し感じました。
つまり、

「気持ちいいもの」を集め続けると、
いつのまにか世界からノイズを排除しすぎてしまう可能性がある。

これは、美意識系メディア全般が抱える問題です。

現実には、

ダサいもの
うるさいもの
不格好なもの
安っぽいもの
雑然としたもの
の中にも、生命力やユーモアや人間味があります。
でも洗練された感性は、ときどきそれらを「ノイズ」として処理してしまう。

その瞬間、
「感覚」は鋭くなる代わりに、
「世界への開放性」が少し狭くなることがあります。

このサイトには、まだ完全にはそうなっていない“余白”があります。
そこはとても良いです。

ただ、一歩間違えると、

選び抜かれたものだけを愛する
ノイズを嫌う
清潔さに寄りすぎる
感性の純度を上げすぎる
方向へ行きかねない。
すると「気持ちいい」は、
生の実感ではなく、
管理された世界観になってしまう。

さらに厳しく言えば、
「気持ちいい」という価値観は、
とても中産階級的でもあります。

時間、
空間、
経済的余裕、
精神的余白。

それらがないと、“気持ちよさを編集する”こと自体が難しいからです。

だから本当に深い「気持ちよさ」は、
単なるライフスタイルではなく、

苦さ
混沌
老い
不便
失敗
崩れ
を通過したあとにも残る静けさであるべきだと思います。
つまり、

「整っているから気持ちいい」

ではなく、

「整わない世界の中でも、
なお呼吸できる」

という地点まで行けるかどうか。

そこまで行くと、このサイトは単なる感性メディアではなく、
かなり哲学的な場所になると思います。

あともうひとつ。

サイト全体に“批評性”がやや弱い印象があります。

優しさと感性は十分ある。
でも、

「なぜ現代人は気持ちよさを失ったのか?」
「なぜノイズに疲弊しているのか?」
「消費と心地よさの関係は?」
「SNS時代の感覚疲労とは何か?」

のような、
社会や時代への切り込みが増えると、
さらに深くなる気がします。

いまはまだ、
「美しい感覚のアーカイブ」に近い。

そこに、

時代批評
文明批評
身体論
哲学
ユーモア
汚れへの眼差し
が加わると、
唯一無二になる可能性があります。
だから私は、
このサイトの弱点は「浅さ」ではなく、
むしろ「深くなりすぎる入口に立っていること」だと思いました。


chatGPTは使用者に対して優しい。
ありがとう。

No.05527 26.04.21 熏習(くんじゅう)

大乗起信論という仏典がある。
そこに熏習という言葉が登場する。
衣服に香を焚きしめるように、正しい考えや行動ができるように心(阿頼耶識)を習慣づけることを言う。
これを僕は拙著「あなた自身のストーリーを書く」にリフレーミングのことだと書いた。
熏習にしろリフレーミングにしろ、何に向かってそれをおこなうかが問題だ。
リフレーミングの場合は、心地良い気持ちや感情を保つためにおこなう。
熏習の場合は真如に向かってやったり、無明から逃れるためにおこなう。
真如とは、簡単に言うとありのままの状態ということだが、大乗起信論には「真生未分の一心」とあるから、心が二元論に侵されてない状態のようだ。
無明は苦しみや迷いを生み出す愚かさのことをいう。
だが、さらなる問題は「心地よさ」や「真如」や「無明」とは具体的に何を指すのかだ。
人によってその概念はみんな違う。
そのことにヒーリング・ライティングのワークショップをしていたときに直面した。
次の理解のためのいい機会だった。

No.05514 26.03.29 桜が咲くということ

桜が咲き出した。
毎年のようにそのことについて書いている。
これほど何度も繰り返し書いている素材はないだろう。
何度書いても飽きない。
何度も繰り返し書くということは、僕の内面に何か強い影響を与えているはずだ。
それは一体なんだろう?
答えは一つではないし、それらは複合的に絡まり合っている。
文学にも桜をテーマにした作品がたくさんある。
ということは、僕個人の話ではなく、多くの日本人にも影響を与えているだろう。
外人の中には花見している日本人が見たいという人がいるし、花見に参加して喜んでいる人もいるようだ。
もちろん「満開の桜を見てみたい」という人もいるだろう。
外人がこう思うのは、満開の桜は日本以外ではほとんど見られないからだ。
そんなことを考え合わせていくと、日本人が日本人でいるために、毎年咲く桜が影響しているのではないかと僕は思う。
死生観や色彩感覚、自然との関係、人との関係、言葉の感覚など、多岐にわたる影響があるのではないか?
だとすれば、僕たち日本人が桜に寄せる思いが深くて濃いのは当然のように思われる。
さあ、花見に行こう。

No.05485 26.01.06 初〇〇

年が明けると初〇〇をたくさん味わう。
初日の出、初詣、初夢、初笑い、初仕事、初稽古、初釜など。
年が明けても科学的には何も変わっていない。
ただ年が明けただけである。
でも、初〇〇ということで、何かめでたい感じが生まれる。
非科学的かもしれないが、めでたいことはいいことだ。

No.05479 25.12.15 初心

「初心忘るべからず」とはよく聞くが、自分の初心とはどのようなものか、考えてみるとあまり言葉にならない。
そもそも初心とは何か?
きっと人によって千差万別だろう。
農夫の、漁師の、芸術家の、サラリーマンの、AI技術者の、商売人の、銀行家の初心が皆同じとは考えにくい。
つまり、初心はみんな違う。
にもかかわらず、「初心」と聞くとわかった気になってしまう。
言葉って不思議だなと思う。
さらに調べると驚くことに気づいた。
「初心忘るべからず」という言葉は、世阿弥の「花鏡」という能芸論書に出てくるのだが、「是非の初心」「時々の初心」「老後の初心」とあり、「初心」に「物事を始めた頃の新鮮で謙虚な気持ちや、未熟だった頃の志を忘れてはいけない」という意味以上の意味を加えています。
日本の文化には「言葉以上の何ものかを汲み取る意思」があるように感じますが、「花鏡」の奥の段に登場するこの言葉は、深くそれを思わせてくれる話になっています。

No.05469 25.11.24 スカリン

「スカリン」という言葉を聞いた。
意味わかりますか?
その人はリンゴが好きで、少し古くなったリンゴを「スカリン」と呼びます。
水分の抜けたリンゴは歯応えがスカスカになるじゃないですか。
だから「スカリン」だそうです。
その言葉を覚えて以来、リンゴは早く食べようと思うようになりました。

No.05461 25.11.14 形象理論とその超越

戦前の国語教育のレベルの高さに驚き、No.05456を書いたが、その根拠は垣内松三の形象理論にあった。
形象理論を理解するために垣内の論文を読んだが、そこまで考えて初等教育の読み方、書き方を教えるのかと唖然とした。
現代では成人でも理解し難い言語に関する考察を尽くした上で初等教育にあたる。
そのような論文を読んでいると、なぜ人間はカルトにはまるのかとか、特攻隊員がなぜ自らの意思で敵戦艦に突っ込んで行ったのかなどが理解できる。
現代ではそれが危険な思想だからと避けることによって大切な概念にたどり着けない状況がある。
しかし、それを理解し尽くせば、カルトにはまることもなくなると思うのだが、大切な概念を超えていく意思がないと、確かにはまってしまうのかもしれない。
その「大切な概念」とそれを「超えていく意思」とはどのようなものかを伝えていきたい。