大乗起信論という仏典がある。
そこに熏習という言葉が登場する。
衣服に香を焚きしめるように、正しい考えや行動ができるように心(阿頼耶識)を習慣づけることを言う。
これを僕は拙著「あなた自身のストーリーを書く」にリフレーミングのことだと書いた。
熏習にしろリフレーミングにしろ、何に向かってそれをおこなうかが問題だ。
リフレーミングの場合は、心地良い気持ちや感情を保つためにおこなう。
熏習の場合は真如に向かってやったり、無明から逃れるためにおこなう。
真如とは、簡単に言うとありのままの状態ということだが、大乗起信論には「真生未分の一心」とあるから、心が二元論に侵されてない状態のようだ。
無明は苦しみや迷いを生み出す愚かさのことをいう。
だが、さらなる問題は「心地よさ」や「真如」や「無明」とは具体的に何を指すのかだ。
人によってその概念はみんな違う。
そのことにヒーリング・ライティングのワークショップをしていたときに直面した。
次の理解のためのいい機会だった。
No.05514 26.03.29 桜が咲くということ
桜が咲き出した。
毎年のようにそのことについて書いている。
これほど何度も繰り返し書いている素材はないだろう。
何度書いても飽きない。
何度も繰り返し書くということは、僕の内面に何か強い影響を与えているはずだ。
それは一体なんだろう?
答えは一つではないし、それらは複合的に絡まり合っている。
文学にも桜をテーマにした作品がたくさんある。
ということは、僕個人の話ではなく、多くの日本人にも影響を与えているだろう。
外人の中には花見している日本人が見たいという人がいるし、花見に参加して喜んでいる人もいるようだ。
もちろん「満開の桜を見てみたい」という人もいるだろう。
外人がこう思うのは、満開の桜は日本以外ではほとんど見られないからだ。
そんなことを考え合わせていくと、日本人が日本人でいるために、毎年咲く桜が影響しているのではないかと僕は思う。
死生観や色彩感覚、自然との関係、人との関係、言葉の感覚など、多岐にわたる影響があるのではないか?
だとすれば、僕たち日本人が桜に寄せる思いが深くて濃いのは当然のように思われる。
さあ、花見に行こう。
No.05496 26.02.03 一陽来復
日本に景気が蘇り、平和でありますように。
No.05485 26.01.06 初〇〇
年が明けると初〇〇をたくさん味わう。
初日の出、初詣、初夢、初笑い、初仕事、初稽古、初釜など。
年が明けても科学的には何も変わっていない。
ただ年が明けただけである。
でも、初〇〇ということで、何かめでたい感じが生まれる。
非科学的かもしれないが、めでたいことはいいことだ。
No.05479 25.12.15 初心
「初心忘るべからず」とはよく聞くが、自分の初心とはどのようなものか、考えてみるとあまり言葉にならない。
そもそも初心とは何か?
きっと人によって千差万別だろう。
農夫の、漁師の、芸術家の、サラリーマンの、AI技術者の、商売人の、銀行家の初心が皆同じとは考えにくい。
つまり、初心はみんな違う。
にもかかわらず、「初心」と聞くとわかった気になってしまう。
言葉って不思議だなと思う。
さらに調べると驚くことに気づいた。
「初心忘るべからず」という言葉は、世阿弥の「花鏡」という能芸論書に出てくるのだが、「是非の初心」「時々の初心」「老後の初心」とあり、「初心」に「物事を始めた頃の新鮮で謙虚な気持ちや、未熟だった頃の志を忘れてはいけない」という意味以上の意味を加えています。
日本の文化には「言葉以上の何ものかを汲み取る意思」があるように感じますが、「花鏡」の奥の段に登場するこの言葉は、深くそれを思わせてくれる話になっています。
No.05469 25.11.24 スカリン
「スカリン」という言葉を聞いた。
意味わかりますか?
その人はリンゴが好きで、少し古くなったリンゴを「スカリン」と呼びます。
水分の抜けたリンゴは歯応えがスカスカになるじゃないですか。
だから「スカリン」だそうです。
その言葉を覚えて以来、リンゴは早く食べようと思うようになりました。
No.05461 25.11.14 形象理論とその超越
戦前の国語教育のレベルの高さに驚き、No.05456を書いたが、その根拠は垣内松三の形象理論にあった。
形象理論を理解するために垣内の論文を読んだが、そこまで考えて初等教育の読み方、書き方を教えるのかと唖然とした。
現代では成人でも理解し難い言語に関する考察を尽くした上で初等教育にあたる。
そのような論文を読んでいると、なぜ人間はカルトにはまるのかとか、特攻隊員がなぜ自らの意思で敵戦艦に突っ込んで行ったのかなどが理解できる。
現代ではそれが危険な思想だからと避けることによって大切な概念にたどり着けない状況がある。
しかし、それを理解し尽くせば、カルトにはまることもなくなると思うのだが、大切な概念を超えていく意思がないと、確かにはまってしまうのかもしれない。
その「大切な概念」とそれを「超えていく意思」とはどのようなものかを伝えていきたい。
No.05456 25.11.06 明治から昭和初期の国語教育
そのころに発行された初等国語教育の本を読むと、そのレベルの高さがよくわかる。
教育者の理想がとても高かったので、そんな先生から実際に授業ではどんな話が聞けたのか想像するとワクワクする。
西欧諸国が日本を恐れた理由の一つはここにあるのだろう。
No.05436 25.10.02 エネルギーを与える
この世の中は不思議なことが起きる。
その不思議なことをかいくぐって、よくぞ生かしてもらっている。
たくさんの不思議なできごとを見せてくださり、ありがとうございます。
こう書いて気づきが来た。
「Mr. Irony」の理由はこれか。
No.05423 25.09.03 ことのは
「ことのは」に漢字を当てると「言の葉」となり、言葉の古語だが、「事の端」という字を当てることもあると何かで読んだ。
折口信夫かなとも思ったが、折口信夫事典には出てこない。
ネットで検索しても出典がわからない。
AIが出典として考えられる古典作品として、「徒然草」と「源氏物語」をあげた。
しかし双方とも「事の端」という言葉が出てくるのではなく、似た言葉から語源としているので、どうもしっくりしない。
でも、「ことのは」はまさしく「事の端」、つまりできごとのきっかけであり、その一端でしかない。
このことを心得ていた日本人だからこそ、和歌や俳句を生み出したのではないか?

