浦沢直樹の「プルートゥ」がアニメ化された。
原作漫画は一巻か二巻まで読んだが、そのあとを知らなかった。
土日にアニメ版を最後まで見た。
手塚治虫の「地上最大のロボット」よりずっと現代的になっていた。
(以下ネタバレあり、注意)
“No.05080 23.10.31 プルートゥ” の続きを読む浦沢直樹の「プルートゥ」がアニメ化された。
原作漫画は一巻か二巻まで読んだが、そのあとを知らなかった。
土日にアニメ版を最後まで見た。
手塚治虫の「地上最大のロボット」よりずっと現代的になっていた。
(以下ネタバレあり、注意)
“No.05080 23.10.31 プルートゥ” の続きを読む何ヶ月前か、電動コーヒーミルが壊れた。
それ以来、手動のコーヒーミルを使っている。
だから、コーヒーを淹れるたびにゴリゴリゴリゴリ重いハンドルを回している。
電動ミルはそんなに高いものではないので、新しいものを買えばいいのだが、久しぶりに手動のミルを使ったときに「あれ? 電動より美味しいかも」と思って以来、手動を使っている。
でも、その美味しさは、はっきりとしたものではなく、慣れてしまえば大差ないもののように感じ、ゴリゴリやるより楽な電動ミルを買おうかとも思うが、わずかな美味しさでも美味しい方が良いのではないかと考え、未だに悩んでいる。
ゴリゴリしながらの手動ミルとの対話。
「電動にしようかな?」
「・・・」
「これ力がいるもんな」
「・・・」
「もう疲れたよ」
「・・・」
「でも美味しい気がするからさ」
「・・・」
「なんか返事してくれよ」
「・・・」
返事が聞こえるようになったらボケを心配しようと思っている。
2003年から2008年まで、毎年のようにイスラエルとパレスチナの子どもたちと一緒にサッカーをした。
あの人たちは今はどうしているのだろう?
自分が無力で泣けてくる。
無事であることを祈る。
同時に、あのときには素敵な体験をさせてもらったことに感謝する。
知らない国に来て、敵対する国の人たちと仲良くなる。
その可能性を見せてくれました。
あなたたちは僕にとってヒーローでしたし、これからもヒーローであり続けるでしょう。
たくさんの感動をありがとう。
そして、生き抜いてください。
昨晩は鈴村真貴子さんのピアノを聴いてきた。
鈴村さんは東京芸大で修士のときに主席で卒業したためクロイツァー賞を授与されている。
博士課程も履修し、プーランクの演奏法に関する演奏と研究で博士号を取得した。
10年前に「鈴村真貴子ピアノリサイタル〜フランシス・プーランク没後50年によせて」と題したリサイタルをおこない、その10年後の昨日、再びリサイタルを開いた。
10年前のリサイタルの様子は「水のきらめき」にあるので、「鈴村」で検索するとそれが読める。
さて、昨日の演奏だが、とても楽しめた。
一曲目は10年前と同じ「3つの常動曲」で始まった。
10年前に聞いて以来、僕もこの曲が好きになったが、3つのピースの一曲目「十分に中庸な速さで」で心を掴まれる。
こう書いてはなんだが、子供が書くような単純なメロディーから始まるが、それが転んで不思議な曲になっていく。
二曲目が「とても控えめな速さで」。
この曲の最後の二つの音が好き。聴くたびに笑う。
三曲目は「機敏に」。
プーランクはウィットに飛んでいる曲を書くが、タイトルの付け方も面白い。
これが19歳の作曲家のデビュー作だとは思えない。
この組曲は二年ほど前に鈴村さんが出した「フランシス・プーランクピアノ作品集Vol.1」に入っているので、最近では何度か聞いていたため、リサイタルでの微妙な違いに鈴村さんの感情の揺れを感じたように思った。
今回の演奏を聴いて思ったのだが、時々プーランク以外の作曲家の有名な曲がフッと思い出される瞬間がある。
もしかしたら、それもプーランクのウィットなのかも。
今回のプログラムの中心は「フランシス・プーランクピアノ作品集Vol.2」のものらしく、はじめて聴くものが多かった。
Amazonでそれを買おうと思ったが、「一時的に在庫切れ」となっていた。
鈴村さんのプーランクへの愛情は半端ではない。
プーランクはあの世で喜んでいるだろうな。
今日の夕焼けはサーモン・ピンクの色をしていた。
きれいだなと思った瞬間、目の前の信号が青に変わった。
信号の青は、青とはいうが、青と緑の混ざったような色。
その色が、夕焼けのサーモン・ピンクを背景に綺麗に光っていた。
「新しいわたし」の著者 二戸依里さんと、ネイティブジャパニーズダンサーのアムリッタ朝子さんが、ある日、烏帽子岩の見えるカフェでペンキ画家のショーゲンさんとお話したそうです。
僕が別ペンネームで書いた小説の舞台がそのあたりだったのでそのときのことを教えてもらったのですが、一緒にショーゲンさんのYouTubeのURLも教わりました。
そこでショーゲンさんが話している内容にびっくりしてしまいました。
それ以来、ショーゲンさんのYouTubeを楽しみにしていたのですが、次に二戸さんからきた連絡は「ショーゲンさんが本を出し、その記念講演がある」。
早速申し込んで聞いてきました。
出版された本のタイトルは「今日、誰のために生きる?」。
ショーゲンさんはサラリーマンでしたが、ある日ティンガティンガというアフリカ・タンザニアの絵を見ます。
それにビビッと来て、その絵を教わろうと二、三週間後に出発するタンザニア行きのチケットを買い、それから会社に退職届を出したそうです。w
ティンガティンガ村で絵を教わっていると、ある画家に声をかけられます。
「ここは観光地でレッスン料も高いので、うちの村に来ない?」
そこでその画家、カンビリさんが住むブンジュ村という村に行き、カンビリさんの家にホームステイさせてもらっていろんなことを学ぶことになるのですが、その話に僕は何度も心が震えました。
その村では、昔の日本の文化が残されていたというのです。
その村の村長さんのお爺様が、今はもう亡くなっているのですが、シャーマンで、日本人とサイキックに交信し、幸せに暮らす方法を教わったというのです。
「どんな日本人とつながったの?」と聞くと、「竪穴住居に住み、一万年から一万五千年もの間幸せに暮らしていた人たちで、女性をモチーフにして土器を作った」と言われたので、「きっと縄文の人たちにつながったんだな」と思ったそうです。
ブンジュ村には外国人が入ってきたことがなかったそうで、もちろん日本人が来たのははじめてです。
画家のカンビリさんはその村で過ごしてきたので、「その村に伝わる日本の文化を体現しているはずの実際の日本人はどんな感じなのか」を知りたくて、連れてきたそうです。
ところが、ショーゲンさんは現代の日本人。
縄文の頃の日本人とはだいぶ違いました。
そこで、かつての縄文人がどのように生きていたのかを、ブンジュ村の人たちから色々と教わっていくことになります。
ここから先は、YouTubeを見るか、「今日、誰のために生きる?」を読んでください。幸せに生きることに興味のある方なら、きっと響きます。
久しぶりに相方とバドミントンをした。
あまりにも久しぶりで「バドミントン」か「バトミントン」か忘れるくらい。
お互い歳をとり、体がかつてよりは不自由なのでなかなかラリーが続かない。
三回打ち続けられれば御の字。
はじめのうちはできなかったことも、しているうちにできるようになったが、そうなったときにはヘトヘト。
でも楽しかった。
入院以来、からだの節々が痛むと昨日書いたが、ずっと以前にこんなことを書いたのを思い出した。
痛みがあるだけ幸せ。
死んだら痛みも感じることはない(だろう)。
どんな感覚も生きているからこそ。
痛みよ今日もありがとう。
入院以来、からだの節々が痛む。
肩の関節、背骨、指などが痛くて自由に動かせない。
かつては孫の手がなくても背中が掻けたが、今は無理。
少しずつ柔軟性を取り戻そうとするが、なかなか思うようにはいかない。
かつての柔軟な頃が懐かしい。
イスラエルとパレスチナの現状を知ると、ちっとも気持ち良くない。
怒りと悲しみと祈りが現れてくる。
ガザの病院への爆撃はイスラエルでもハマスでもないという。
混乱を拡大するためにどこかがやった。
怒りから短絡的な行動をするのではなく、多くの人々が無事でいられますように。