No.05594 26.10.05 行ったり来たり循環したり

世の中、ありとあらゆるものが「行ったり来たり循環したり」してる。
細胞の中も臓器の中も、身体の中もからだ同士も。
社会の中も国家の中も地球上も。
小宇宙はグルグル回る。
宇宙全体はどうなんだろう?
「今だけ金だけ自分だけ」では循環が止まりそうだ。
みんなで心地よく愛し合いましょう。

No.05583 26.09.19 上がり湯

幼い頃、うちの風呂桶は木製だった。
ガスで沸かしたが、風呂桶の一部に上がり湯専用の桶があり、そこは風呂桶と独立していたので、いつもきれいなお湯が張られていた。
そのお湯は風呂桶のお湯より少し高い温度だった。
風呂上がりにそのお湯を取り、水を足して適温にして、最後に浴びて上がったものだった。
お風呂にシャワーがつくと、上がり湯は使わなくなった。
シャワーがない頃、体を洗うのは手桶で風呂桶からお湯を取っていた。
だからお湯は大切に使っていた。
体を洗うのにお湯を節約する方法を母から教えてもらった。
風呂桶のお湯を汚さないように教えられた。
だから、欧米の人たちのお風呂の使い方に驚いた。
風呂桶内で石鹸を使い、流さずにタオルで拭いて終わり。
風呂桶のお湯で温まり、上がり湯で清めてからあがる日本とはかなり違う。
明治維新の頃に来た外国人が、日本人の清潔さに驚いたのは、こんなところにも理由があったんだろうな。

No.05578 26.09.10 本当のことが言える世の中

科学者が本当のことを言えること。
自分の研究によって何がわかったかをきちんと伝え、その反論にも接することができ、それらを公にできること。
そうでなければ科学は発達しないだろう。
権力者の意に沿うことしか発表できないならば、科学は間違った方向に進むだろう。
そんな世の中なら、きっと地球は地獄行き。
そういう世の中でなくて本当によかった。

No.05573 26.09.01 食べる意欲

このふた月体調が悪くて困っているが、この一ヶ月困っているのはお腹の調子。
ずっとしくしく痛んでいるし、普段の調子ではない。
そういうとき、食欲もなくなるものだと思う。
実際に一日二日食べないときもあったが、食欲がなくなったわけではない。
僕の場合、からだの調子の悪さと気持ち的な食欲は別のものらしく、いつもなんでもありがたくいただく。
身体的食欲と、気持ち的な食欲を切り分けられるのは、もしかしたら毎日この気持ちいいものを書いているからかもしれない。
単に食い意地が張ってるだけかもしれないが。

No.05545 26.06.02 Tシャツを脱ぐ

汗をかいてTシャツを脱ぐ。
そこで気づいた。
去年のように肩や背中が痛くない。
退院して以来、ずっと肩や背中の腱や筋が硬くなり、痛くて仕方なかった。
だからTシャツを脱ぐのに一苦労だったが、今日はスルッと脱げた。
正座もできなかったけど、少しずつできそうになってきた。
まだペタッと楽には座れないが、退院の頃のようにまったく無理という状態は脱した。
足首や腿が痛いけど、少しずつ正座できる方向に向かっている。

No.05543 26.05.31 暑くて心地よい日

今日の最高温度は30度。
夕方にサイクリングすると適度に暑くて心地よい。
昔は真夏もこのくらいの暑さだったような気がする。
まだ五月末。
今年はどのくらい暑くなるのか。
考えると気が重いが、今日の心地よさで盛夏を迎えたい。

No.05535 26.05.07 忘れること

歳をとってからだが思うように動かないことに直面するたびに「昔は良かったな」と思う。
が、しばらくすると忘れる。
「昔はよかったな」を忘れると、気持ちがグレーになることはない。
今日も元気に生きていける。
老いたからだという新しい体験を味わっている。

No.05527 26.04.21 熏習(くんじゅう)

大乗起信論という仏典がある。
そこに熏習という言葉が登場する。
衣服に香を焚きしめるように、正しい考えや行動ができるように心(阿頼耶識)を習慣づけることを言う。
これを僕は拙著「あなた自身のストーリーを書く」にリフレーミングのことだと書いた。
熏習にしろリフレーミングにしろ、何に向かってそれをおこなうかが問題だ。
リフレーミングの場合は、心地良い気持ちや感情を保つためにおこなう。
熏習の場合は真如に向かってやったり、無明から逃れるためにおこなう。
真如とは、簡単に言うとありのままの状態ということだが、大乗起信論には「真生未分の一心」とあるから、心が二元論に侵されてない状態のようだ。
無明は苦しみや迷いを生み出す愚かさのことをいう。
だが、さらなる問題は「心地よさ」や「真如」や「無明」とは具体的に何を指すのかだ。
人によってその概念はみんな違う。
そのことにヒーリング・ライティングのワークショップをしていたときに直面した。
次の理解のためのいい機会だった。