No.05122 23.12.31 2023年

今年もあと数十分で終わります。
この一年、いろんな人に出会い、助けられ、なんとか生きてきました。
ありがとうございました。
病気の方も、少しずつ快復に向かっています。
来年はどんな出来事が起きるのか、楽しみにしています。
良い年をお迎えください。

No.05120 23.12.28 自分の中に矛盾があることに気付くこと

自分にはいろんな立場がある。
その立場一つ一つについてよく考えていくと、どうしても矛盾があることに気付かされる。
矛盾を解消するためによく使う手段は、ある立場を無視することのように感じる。
それはその立場と同一視している自分自身を抹殺しているのに等しい。
ある立場を生かすために、別の立場の自分を殺している。
両方の立場を生かすためにはどうしたらいいのか。
双方を生かすために悩み解決することが、本当に自分を愛するということなのではないか?
自分の中の矛盾を解決できない限り、他人との矛盾はさらに解決が難しいのではないか?
この一見簡単な問題すら答えられないとしたら、複雑化していく社会の中で、錯綜した問題は解答不可になるのではないか?
だから、解答の難しい問題を時間をかけて、手間をかけて答えていくことは、何かを愛することと同等なことなのではないか?

No.05118 23.12.24 聖なる夜に口笛吹いて

クリスマスにはいい曲がたくさんある。
山下達郎の「クリスマス・イブ」とか、マライア・キャリーの「All I want for Christmas is you」とか、数え上げればキリがない。
僕がよく思い出す曲は、佐野元春の「聖なる夜に口笛吹いて」。
曲の終わりに全ての人たちへの祝福が歌われるが、佐野元春らしい言い回しだ。
では、素敵なクリスマスをお過ごしください。

No.05117 23.12.22 蛇口焼酎

ちょっと前に相方と、お腹を減らして銀座コリドー街を歩いたことがある。
夕飯を食べるにはちょっと遅く、すでに飲み会たけなわな時間であった。
「どこか適当に入ろう」と言っては見たものの、やはり店の様子を窺いながら、端から端まで歩いてしまった。
どこのお店も混んでいた。
「まあいいや」という感じで、一軒の飲み屋に入った。
とにかく何か食べたかった。
席に着くと目の前にタイルの壁があり、蛇口がニョキッと突き出ていた。
メニューを見てびっくり。
「蛇口から焼酎60分無料」
昔、僕がまだ子供の頃、いつか水道のように牛乳が出てくるようになると本気か嘘かわからないような話を聞いたことがあった。
それの焼酎版が、現実に、目の前にあった。
焼酎を割るためのお湯やお茶や、その他いろんなドリンクを頼み、食べ物も頼む。
もちろん、ストレートやロックも可。
60分が過ぎると、330円で30分ずつ延長できる。
酒呑みには夢のようなシステムだ。
若い頃に来たかった。
飲む気満々のあなたに教えてしんぜよう。
店名は「大衆蛇口酒場ぎん天」。

No.05116 23.12.21 震電

上映回数が減り、もうスクリーンでは見ることができなくなるかもしれないというタイミングで、映画「ゴジラ-1.0」を見た。
いろんな点でウルッとした。
怪獣映画でウルッとするのはおかしいと思うかもしれないけど、理由を聞けば納得してもらえると思う。
僕は仕事で、生き残った特攻隊員の皆さんにインタビューしてまわったことがある。
命を賭けて戦いに行くが、さまざまな理由で生き残ってしまった人たちは、帰ってくるといろんなところでなじられたそうだ。
そのときの心の傷をどのように癒していったかも伺った。
「ゴジラ-1.0」では主人公がその立場で、あちこちで悔しい思いをさせられる。
それで、主人公の言動にどうしても心動かされてしまった。
終わりのシーンで、震電という飛行機が活躍する。
それにまた泣かされた。
震電は終戦間近に完成したので、実戦に投入されていない。
震電の開発に携わっていたかたの娘が友人にいて、三年前にその話を聞いていた。
生前は父親がそんなことをしていたとは知らず、亡くなって十数年して遺品を紐解いたらそのことについて詳細に書かれたノートや写真が見つかったという。
ノートにはテスト飛行しかできなかった震電のことが事細かに書かれていたそうだ。
戦争が終わってから一機がアメリカの手に渡るが、そのことを昭和42年の毎日グラフが取材していて、その雑誌も大切に保管されていた。
「アメリカに眠る日本の翼」と題された特集記事に、多くの日本製の戦闘機は箱詰めされて大事に保管されたと書かれていたが、震電はなぜか野晒しにされたと書かれ、残酷なことに朽ち果てた写真も掲載されていた。
娘さんは「父はどう思っただろう?」と呟いていた。
その後、その扱いは問題だと思ったらしく、スミソニアン航空宇宙博物館に移され、コックピットの部分だけ展示されるようになったそうだ。
その話を聞いて「そりゃお父さんよっぽど悔しかっただろう」と思っていたので、「ゴジラ-1.0」で震電が自由自在に飛び回り、ゴジラを追い込んでいくシーンを見て泣けて泣けて。
僕よりも、娘さんのお父さんがあの勇姿を見たかっただろうと思う。
震電はプロペラが後部についている珍しいフォルムで、飛行する姿がとても美しい。
海面ぎりぎりを飛ぶさまを空から撮影したシーンが脳裏に焼き付いた。
娘さんのお話のおかげで「ゴジラ-1.0」の深い部分を味わわせていただいた。
娘さんの淡々としたお話はこちらで聞くことができる。
https://www.youtube.com/watch?v=ppoCWnnyJOk

No.05115 23.12.19 A Symphonic Celebration – Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki

タイトルのアルバムを聞いた。
聴き始めて泣いてしまった。
楽曲や音が素晴らしかったのはもちろんだが、いろんな思い出があふれだした。
まず僕は久石譲が映画音楽を書き始める前から知っていた。
高校一年のとき、映画「ロッキー」がヒットし、それをブラスバンドで演奏することになった。
確かリットーミュージックの吹奏楽団用スコアの編曲を久石譲がしていた。
映画ではCでファンファーレが始まるのだが、久石の編曲ではE♭で始まっていた。
その方が楽器の特性上よく響くのだ。
他にも、これ間違いかなと思うほどきめ細かい編曲がしてあった。
リピートの部分、一度目はテンションのかかった音を吹かせておいて、二度目はテンションのかからない音にするなど。
それで久石の名前を覚えた。
しばらくすると、ヤマハのニュー・サウンズ・イン・ブラスの編曲も始めた。
つまり、ちょっと格が上がったように感じた。
リットーミュージックの楽譜は手書きを印刷したものだったが、ヤマハは綺麗に機械によって印刷されていた。
大学生の頃に「風の谷のナウシカ」の音楽をやっているのを知る。
すごいなあと思った。
それからの活躍は皆さんのご存じのとおり。
そして、今回はドイツ・グラモフォンから「A Symphonic Celebration – Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki」を発売した。
グラモフォンはクラシック音楽のレーベルとしては一番と言っていい名門。
そこから発売されていたカラヤンのアルバムを昔よく買った。
でも、この思い出は泣くような種類の思い出ではない。
次に思い出したのは、母のことだ。
氷川台にシェ・ソワというフレンチのレストランがある。
そこの料理がとても美味しい。
単に美味しいだけでなく、とても懐かしいのだ。
何度かかよううちに、その理由がわかった。
シェフがプリンスホテルで修行したのだ。
昔、苗場や軽井沢、箱根など、何度か食事したことがあった。
母がプリンスホテルの味が好きだった。
生前「練馬には美味しい店がない」と文句を言っていた。
だから、母をシェ・ソワに連れて行きたかった。
そこでのBGMはいつも久石の曲なのだ。
こういう思い出が積み重なって泣けてしまう。
歳を取るとはそういうこと。
タイトル通り、まさにセレブレートしてもらった気がする。

No.05113 23.12.16 パコラバンヌ・ブール・オム

大学生の頃、母が「男も身だしなみのためにフレグランスくらいつけなさい」とパコラバンヌ・プール・オムを買ってきた。
照れくさいので断ったが、次第につけるようになった。
10年くらい同じものをつけていたが、ある時から香りが変わったように感じた。
天然香料が使えなくなってきた時代だった。
今も売っているようだが、あの香りではないよなと思うと、余計に懐かしくなる。