幼い頃、うちの風呂桶は木製だった。
ガスで沸かしたが、風呂桶の一部に上がり湯専用の桶があり、そこは風呂桶と独立していたので、いつもきれいなお湯が張られていた。
そのお湯は風呂桶のお湯より少し高い温度だった。
風呂上がりにそのお湯を取り、水を足して適温にして、最後に浴びて上がったものだった。
お風呂にシャワーがつくと、上がり湯は使わなくなった。
シャワーがない頃、体を洗うのは手桶で風呂桶からお湯を取っていた。
だからお湯は大切に使っていた。
体を洗うのにお湯を節約する方法を母から教えてもらった。
風呂桶のお湯を汚さないように教えられた。
だから、欧米の人たちのお風呂の使い方に驚いた。
風呂桶内で石鹸を使い、流さずにタオルで拭いて終わり。
風呂桶のお湯で温まり、上がり湯で清めてからあがる日本とはかなり違う。
明治維新の頃に来た外国人が、日本人の清潔さに驚いたのは、こんなところにも理由があったんだろうな。
No.05556 26.06.20 紫陽花の心変わり
梅雨の頃に咲く紫陽花。
道端などに咲いていると綺麗だなと思えるが、「好きか?」と聞かれると、つい「いいや」と答えていた。
ふと「それはなぜか?」と考える。
花言葉が「心変わり」だという理由だ。
なぜその花言葉になったのかというと、花の色が変わっていくからだろう。
そんな理由で嫌われていては、紫陽花がかわいそうだ。
紫陽花はただ色が変わる花だというだけで、誰かを裏切ったわけでも、騙したわけでもない。
誰かがなすりつけた花言葉という先入観で嫌っていたなんて、失礼な話だ。
生まれてはじめて先入観なしで紫陽花を見つめる。
雨の雫でみずみずしい。
No.05505 26.03.03 桃の節句
「節句」というと「祝う」というイメージがありますけど、色々調べていくと、かつては「邪気を祓う」ための行事だったようです。
桃は長寿のための仙果であり、人形はひとがたとして「流し雛」として使っていました。
今日の行事をおこなうことで、女の子の長寿を願い、邪を祓う。
大和撫子が育ちますように。
No.05485 26.01.06 初〇〇
年が明けると初〇〇をたくさん味わう。
初日の出、初詣、初夢、初笑い、初仕事、初稽古、初釜など。
年が明けても科学的には何も変わっていない。
ただ年が明けただけである。
でも、初〇〇ということで、何かめでたい感じが生まれる。
非科学的かもしれないが、めでたいことはいいことだ。
No.05484 26.01.01 手作りのおせち
親戚のお姉さん夫婦から手作りのお節料理をいただいた。
味付けが優しくて美味しい。
おせち料理は本来、味付けを濃くして日持ちをよくするものだが、現代では二日からいろんなお店が開店しているし、冷蔵も効くから、無理に日持ちさせなくても平気だ。
おかげさまでほのかなお味のふんわりおせちがいただける。
No.05427 25.09.07 鳩居堂
熨斗と水引が必要となった。
神社の奉納に使うので知識がない。
銀座の鳩居堂に行って「これこれこういうものを奉納するのだが、どういう熨斗や水引を使うべきか」と質問した。
すると女性店員が色々と答えてくれる。
ああかこうかと相談に乗ってくれて、最終的に落ち着いた先は熨斗紙をかけること。
予備にもと思い、三枚買ったが、50円しない。
定員さん一人が10分弱かけて売り上げが50円では困るだろう。
「丁寧な対応ありがとうございました」とお礼を言って、巻紙二本を余計に買った。
No.05406 25.07.12 七夕の祈り
令和7年7月7日はめでたい気分になっていたが、その理由の一つはこれだったのかもしれない。
これとは、アシタの祈りをおこなったさとうみつろう氏が、集まったシャーマン達と一緒に七夕の日の7時7分にも祈っていたそうで、その様子をYouTubeで見ることができる。
https://youtu.be/qCEZP3Hajhk
すごいことしたなと思う。
What a wonderful world.
No.05392 25.06.10 言霊の復権
「言霊の幸わう国」、それが日本です。
なぜ言霊が幸わうのか?
幕末に日本に来た外国人は日本人が楽しそうにしていることに疑問を持っていたそうです。
なぜ日本人は普段の生活の苦労を見せず、みんなあんなに快活なのかと。
渡辺京二の著書『逝きし世の面影』には欧米人が書いたそのような文章の例がたくさん掲載されています。
欧米人が奇異に思うほど日本人は幸せそうだった。
なぜなら多くの日本人が「お天道さんが見ているから」と正直だったからです。
もちろん盗人や嘘つきがいなかったわけではないでしょう。
だけど、多くの人々は欧米人から見れば「馬鹿」がつくほど正直だったのです。
日本人にとっては不思議なことではないでしょうけど、欧米人にとっては信じられないことだったようです。
そんな国民性だから言霊が生まれた。
特に祝詞(のりと)や寿詞(よごと)など、当たり前に信ずるもので、「疑うか信じるか」と考えることすら不敬であったのでしょう。
それほど信じることが当たり前だったから言霊が生まれた。
現代は嘘が蔓延しています。
政治家が嘘を吐いたとかなんとかいう前に「自分の言葉を見つめるべき」だと気づきました。
多くの人がそうすることで次第に言霊が復権するように思います。
No.05339 25.01.01 新年のご挨拶
区切りをつけるというのはいいなと思う。
新しい年であることを意識することで何もかもが一新される感覚。
科学的な考えではないけど、気持ち的にはいいこと。
人間はそれを何回も繰り返す。
繰り返すたびに何かを刷新する。
考えてみれば生命こそがそれの繰り返した。
単なる細胞だったものが、光を感じるようになり、餌を有利に探すようになり、いろんな感覚を発達させて人間になるまでに進化した。
そうやって進化した存在としてここにいるというのは奇跡であり、ありがたいことでもある。
相互進化してきたあらゆる存在に感謝。
No.05310 24.11.05 花束
昔、吹奏楽団の指揮をしていたことがあるので、演奏会が終わると花束をいただいた。
とても嬉しいのだが、恥ずかしいような気もした。
何度かいただいて慣れてしまうと良くないなと思った。
心の一部では慣れてしまったが、別の部分では照れながら、また別の部分では喜ぶ。
複雑な心が生まれる触媒だった。

