生きているのは誰のためなのか。
もちろん自分のためである。
そして、自分のまわりの人のためでもある。
どちらか片方ではない。
生まれたばかりの頃、自分にはわからなかったが僕の存在は両親のためになった。
もちろん弱い僕は両親がいなければ生きられなかったけど、ただただ生きて泣いているだけで両親はがんばってくれた。
大人になって僕は僕のために生きているが、一緒に暮らす人のためだったり、僕が書く文章を読んでくれる人のためだったり、友達のためだったり、知り合いのために生きている。
滅多に会わない知り合いのために生きているのか? と問われれば、あまりそのためとは言い難いが、少しの励みにはなっているのではないかと推測する。
僕も滅多に会わない人に力づけられているから。
ものすごく影響を与え合うのは一緒に暮らしている人だけど、どんなに遠くにいる人ともわずかな影響を僕たちは互いに与え合っている。
たとえば、このメールマガジンを読んでくれている人は僕に力を与えてくれる。
読む人がもしいなかったら僕はこのメールマガジンを書き続けられないかもしれない。
そうやって、僕は影響を受けている。
ありがとう。
生きて存在していれば誰かに、何かに影響が生まれる。
その影響が干渉し合い、この世界が生まれている。
仕事がどんどん基準化され、誰でもができる仕事しかなくなっていくと自分が自分でいる価値が見えなくなっていく。
自分のそばに誰か一緒に生きている人がいないと自分が何のために生きているのか不安になる。
すぐに簡単には感じられないかもしれないけど、生きて存在することは大きな影響を生む。
生きて存在すれば、自然と何かが生まれてくる。