No.05351 25.01.25 良い教師とは

子供時代を忘れていない教師は、それだけでいい教師であるという。
この文章を読んで、子供の頃の疑問を思い出した。
小学一年か二年のときにシャクトリムシを見た。
伸びたり縮んだりして歩いていた。
それを授業で詩に書いた。
練馬区の文集「練馬の子ら」の扉ページに掲載された。
「なんであんな詩が区の文集トップに採用されたのか?」と幼いながらに思った。
どんな詩だったのか、細かいところは覚えてない。
不思議に思っていたことを思い出してから、シャクトリムシを見たときのことを思い出す。
あんなふうに歩く虫をはじめて見たので興奮していた。
それをただ書いただけ。
幼い僕は詩とはどんなものか、理解していなかった。
「タカシくんがまんまるな目をしてシャクトリムシを見た」
そこだけを覚えている。
きっと審査をしてくださった先生が子どもらしい心を読み取ってくれたのだろうと、やっと思うことができた。
良い教師とは、半世紀以上経ってからでも教えてくれる。

No.05344 25.01.10 個人的記憶

僕の記憶の中にどうしても他人に知られたくない個人的記憶がある。
なぜそれらを知られたくないのか。
ひとつには「恥ずかしいから」というものがある。
「他人に迷惑がかかるかもしれないから」というものもある。
単なる「自慢話に思われたくないから」というのもある。
これは複雑で、自慢話に思われてもいいと書くものと、書かないものがある。
この二つの境は曖昧だ。
かつては書かなかったが、書くようになったものがある。
僕にとって単に「嬉しかったこと」が、誰かによって「自慢話だ」と思われるのが嫌なのだ。
今までだって「自慢話だ」と思われたくないことも書いたが、どうしてもそうは思われたくないことを書かないでいるが、そうやっていつかは忘れてしまうのは悔しいとも思う。
他人にとっては「どうでもいいこと」だろう。
でも、胸の内にしまっておく。
そういう記憶は他人にとって「存在する」のか「しない」のか?

No.05338 24.12.30 春菊

幼い頃、春菊が嫌いだった。
食べられないことはないけど、味が嫌いだった。
母が鍋を作ると春菊が入っていて、嫌だというのに食べさせられた。
そのおかげか、歳をとってから春菊が美味しく感じる。
無理やり食べさせられていなかったら、こんなに美味しく感じなかったかも。
子供に無理強いはするなというが、無理強いされて良かったのかも。
本当のことはわからないけどね。

No.05330 24.12.13 祈り

酒を飲んでいて友人に不意に「自分にとって祈りとはどういう意味があるのか?」と問われた。
いろんな意味があるだろうけど、酒の席で答えられるような粋な答えは浮かばなかった。
二日ほどしてふと思いついたこと。
酒の席向きの答えではないが、ある答えが降りてきた。
「生きていなさい」
母の言葉だった。
なぜか母はことあるごとに「生きていなさい」とか「死んだらダメよ」とかよく言った。
僕は死ぬ気はないし、生きているのが当たり前と思っていたので、なんでそんなことを言われるのか理解できなかった。
酒席の問いで、あれは母の祈りだったんだなと理解できた。

No.05327 24.12.07 銀座の歩行者天国

銀座で歩行者天国がおこなわれるようになったのは1970年というから、54年の歴史があることになるが、それ以前から小さな通りではときどき行われていたそうで、東京では明治20年(1887年)には神楽坂の縁日でおこなわれていたという。
縁日で通行止めになることも歩行者天国だと考えると、日本には昔からあったことなんだなと思える。
1970年頃、正確にはいつだったか思い出せないが、銀座のホコ天(歩行者天国)を歩いた記憶がある。
当時は車道を自由に歩けるのが新鮮に感じた。
しかし、やはり車道を歩くということで、多少の遠慮を感じたし、歩行者もさほど多くはなかった。
ところが今日行ってみると、海外から来た人を中心にたくさんの人が歩いていた。
まっすぐ歩くのが困難なほど。
そこに来たいろんな人の幸せそうな雰囲気が良かった。

No.05315 24.11.18 国立京都国際会館

友人の写真家が国立京都国際会館を撮影したとfacebookに作品をアップした。
懐かしい。
三十代の頃、そこに二、三日泊まって国際会議に参加したことを思い出す。
神社のような屋根の造り。
未来を思わせるその廊下。
あちこちに見られる斜めの柱、V字の柱。
庭園では池の上を歩ける歩道。
会場内のステンドグラスやライト。
一流の場所は一生忘れられない印象を与えてくれた。

No.05314 24.11.15 プールバー

会社員だった頃、よくプールバーに行った。
夕飯を軽く食べて、プールバーに行く。
バーボンなんかをすすりながら球を突く。
あの場の音や雰囲気が好きだった。
行く日は会社にこっそり普段はしないアームバンドをしたりして。
大学生の頃にビリヤードを覚えてよかった。

No.05310 24.11.05 花束

昔、吹奏楽団の指揮をしていたことがあるので、演奏会が終わると花束をいただいた。
とても嬉しいのだが、恥ずかしいような気もした。
何度かいただいて慣れてしまうと良くないなと思った。
心の一部では慣れてしまったが、別の部分では照れながら、また別の部分では喜ぶ。
複雑な心が生まれる触媒だった。

No.05306 24.10.26 太宰治短編小説集

太宰治の小説は中学生の頃にいくつか読んだ。
もう半世紀前のこと。
アマゾンプライムに「太宰治短編小説集」という映像作品があったので見た。
2010年頃、NHKでオンエアされたものをまとめたらしい。
シーズン1エピソード1には「御伽草子より カチカチ山」「トカトントン」「女生徒」「キリギリス」が入っていた。
作り方はとても斬新で面白かったが、特に小説の文章がときどきそのまま文字として出てくる。
「御伽草子より カチカチ山」「トカトントン」は読んだことがなかったのでどうということはなかったが「女生徒」で驚いた。
小説の文章を読まされるとき、半世紀前の記憶が蘇った。
たった一度しか読んでないはずだが、次の文章が浮かぶところがあった。
ところどころ「次はこう」と思い出す。
「キリギリス」ははじめの数秒で物語をほとんど思い出した。
「女生徒」も「キリギリス」も、タイトルだけでは読んだかどうだか思い出さなかったのに。
半世紀のあいだ記憶に残る文章。
太宰はすごい。

No.05299 24.10.18 霧雨

霧雨のなか散歩した。
シャツが湿った。
でも気持ちいい。
洋服が濡れるくらいでガタガタいうなという気分。
子供の頃、服を泥だらけにしたことを思い出す。