No.05584 26.09.21 Breezin’

ジョージ・ベンソンの名曲。
70年代か80年代頃にはラジオでよくかかっていた。
当時は誰が演奏しているのか知らなかったが、耳に残っていた。
この歳になってから知って「へーっ」と思う。
だって知ってたベンソンはジャズというよりはブラコンだったから。

No.05583 26.09.19 上がり湯

幼い頃、うちの風呂桶は木製だった。
ガスで沸かしたが、風呂桶の一部に上がり湯専用の桶があり、そこは風呂桶と独立していたので、いつもきれいなお湯が張られていた。
そのお湯は風呂桶のお湯より少し高い温度だった。
風呂上がりにそのお湯を取り、水を足して適温にして、最後に浴びて上がったものだった。
お風呂にシャワーがつくと、上がり湯は使わなくなった。
シャワーがない頃、体を洗うのは手桶で風呂桶からお湯を取っていた。
だからお湯は大切に使っていた。
体を洗うのにお湯を節約する方法を母から教えてもらった。
風呂桶のお湯を汚さないように教えられた。
だから、欧米の人たちのお風呂の使い方に驚いた。
風呂桶内で石鹸を使い、流さずにタオルで拭いて終わり。
風呂桶のお湯で温まり、上がり湯で清めてからあがる日本とはかなり違う。
明治維新の頃に来た外国人が、日本人の清潔さに驚いたのは、こんなところにも理由があったんだろうな。

No.05572 26.08.31 父の本が再発売

父の書いた「幕臣列伝」という本が新装され発売された。
来年の大河ドラマと関係があるようだ。
初版は1981年だったので、45年も前の作品。
歴史書のようなものなので、古くても価値があるのかも。
当時僕は浪人中。
自分のことしか考えていなかった。
父の仕事に関して話をするようになったのは僕が会社を辞めてから。
学生の頃にはたいした話をしなかったけど、考え方の芯は似ている気がする。
相方がはじめて父に会ったとき、「ようじは理屈っぽいだろう」と言っていたが、それはあなたに育てられたからです。

No.05567 26.08.17 何とも言えない記憶

60年以上も生きていると、何とも言えない記憶が蘇ることがある。
実際に体験したことであれば、どんな記憶も受け入れられるが、なぜそんな記憶が存在するのか説明できないものがある。
あるとき気づくとかつて見た一連の夢を思い出すのだ。
その夢を見ていたときにはそんな夢を見ていたことすら覚えてないのだが、しばらく経ってから思い出す。
なぜ見たときには忘れていたのに、しばらく経ってから不意に思い出すのか?
そして、またしばらくすると忘れてしまう。
夢も不思議だが、記憶も不思議だ。

No.05548 26.06.05 Fade Into Light

ボズ・スキャッグスの「Silk Degrees」から「Some Change」くらいまでのアルバムを昔よく聞いていた。
きっかけは「Middle Man」の「Simone」という曲。
広告会社に勤務していたとき、その曲をテーマ曲にしていたラジオ番組があり、ラジオ担当として思い出の曲なのだ。
何年も前に「Speak Low」をCD店で見つけて、渋いスタンダードを歌うようになったかと思っていた。
最近Spotifyで音楽を聴くようになり、ボズのアルバム「Fade Into Light」を見つけた。
聴くと一曲目でノックアウトされた。
「Silk Degrees」に入っているヒット曲「Lowdown」をスローで歌っていたのである。
思い出の「Simone」も落ち着いた雰囲気になっていた。
刺さるなぁ。

No.05527 26.04.21 熏習(くんじゅう)

大乗起信論という仏典がある。
そこに熏習という言葉が登場する。
衣服に香を焚きしめるように、正しい考えや行動ができるように心(阿頼耶識)を習慣づけることを言う。
これを僕は拙著「あなた自身のストーリーを書く」にリフレーミングのことだと書いた。
熏習にしろリフレーミングにしろ、何に向かってそれをおこなうかが問題だ。
リフレーミングの場合は、心地良い気持ちや感情を保つためにおこなう。
熏習の場合は真如に向かってやったり、無明から逃れるためにおこなう。
真如とは、簡単に言うとありのままの状態ということだが、大乗起信論には「真生未分の一心」とあるから、心が二元論に侵されてない状態のようだ。
無明は苦しみや迷いを生み出す愚かさのことをいう。
だが、さらなる問題は「心地よさ」や「真如」や「無明」とは具体的に何を指すのかだ。
人によってその概念はみんな違う。
そのことにヒーリング・ライティングのワークショップをしていたときに直面した。
次の理解のためのいい機会だった。

No.05516 26.04.03 iPhoneで撮る月夜桜

10年くらい前、満月と夜桜が重なった日があり、デジタル一眼レフと三脚を担いで撮りまくったことがある。
何百枚か撮って、満足できたのは数枚だった。
今宵、満月に夜桜が重なった。
たまたま外を歩いていて、満開の桜の向こうに満月を見た。
一眼レフは持ってなかったが、iPhoneで10年前と似た写真が撮れるか試してみた。
三脚がないので手ブレする。
だけど、iPhoneが補正する。
数枚撮ったら、まずまずのものがあった。
技術革新はすごいな。

No.05513 26.03.23 観自在で思い出したこと

昨日、ある僧侶の法話を聞いた。
話が観音経の内容になった。
観音経は法華経の一部で、観世音菩薩普門品という。
観音様は翻訳によっては観自在菩薩ともいう。
観音様はこの世界をいろんな見方で見ることのできる菩薩様で観自在といわれる。
だからどんな苦境にいる人も救い出すことができる。
法話では「人間にはなかなか物事の本当の姿を見ることができない。だから同じ本を読んでも読むたびに違う印象になったりする」と説かれていた。
その話を聞いて一晩寝たら面白いことに気づいた。
一年ほど前に思い出せなかった名前を思い出すことができた。
それはケニアにいた象の名で「アジョク(Ajok)」と呼ばれていた。
その象は動物孤児院で会うとすぐに僕の目の前で地面にお腹をさらすように寝そべってしまった。
すると孤児院の職員たちが笑い出した。
聞くと「僕にかまってほしいのだ」という。
「どうやって?」と聞くと、「お腹の上に乗ると喜びますよ」という。
アジョクはすでに僕の背より高い象だった。
体重は数百キロはあるだろう。
そんな象にどう対処しろというのか。
怖くて辞退した。
そのときの僕には「怖い」としか思えなかった。
でもアジョクは日本から来た見知らぬ僕にも心を開く優しい象だったのだろう。
その天使のような象を拒否してしまった。
観自在菩薩の話を聞いて、寝て起きるとアジョクを思い出すとは、人の記憶って不思議だなと思う。

No.05510 26.03.15 救命浮き輪のクッキー

バレンタインデーにチョコをもらい、お菓子業界の戦略に乗ってそのお返しを考えなければならなくなったとき、ふと思い出したのが、幼い頃にいただいた缶入りのクッキーだった。
「白地で縦に紺の帯が入り、その真ん中に船舶用の救命浮き輪が描かれていた缶に入ったクッキー」と相方に伝えると「それ私も覚えている」という。
昭和生まれの人なら一度は食べたことがあるのではないか?
そのクッキーがどこのどのようなクッキーか忘れていたが、「白地で縦に紺の帯が入り、その真ん中に船舶用の救命浮き輪が描かれていた缶に入ったクッキー」と検索すると「それは泉家東京店のクッキーだろう」とAIが教えてくれた。
昭和の家庭にはその缶がいくつかあったように覚えている。
その頃は百円ショップのような店がなかったので、使い勝手の良さそうな缶は別の用途に使われるようになり、何かの物入れとしてよく机やテーブルの上に置かれていたように覚えている。
そのクッキーをデパートに行って見つけて買った。
自分でも食べてみた。
懐かしい味だった。
シナモンなどの香辛料がプンと香る歯応え硬めのクッキー。

No.05506 26.03.04 ロビー

映画「禁断の惑星」にロビーというロボットが登場する。
宇宙戦艦ヤマトのアナライザーやスター・ウォーズのR2D2に雰囲気が似ている。
そのおもちゃが かつてうちにあった。
兄が買ってもらったものだと思われる。
まだ幼かった頃の微かな思い出。
「禁断の惑星」は観たことがなかったので、先日サブスクに見つけて鑑賞した。
僕が生まれる五年前の映画。
円盤に乗って超光速移動した先の惑星で月をふたつ見て、惑星ソラリスのように深層心理に翻弄される。
幼い頃の忘れ物をやっと見つけたような感覚がした。