No.05275 24.08.31 夏休み最後の日

学生を卒業してから40年も経つのに、いまだに8月31日は夏休み最後の日だ。
どれだけ僕の思考を拘束しているのだろう。
9月になる瞬間、ちょっと寂しい。
いいかげん卒業したほうがいいと思うが無理そうだ。
人生最期の走馬灯にも出てくるよ、きっと。

No.05274 24.08.30 今、過去を感じること

過去とは何かを感じると、常に「今、思い出していること」である。
過去を思い出すと過去に行くわけではない。
今、過去を思い出すとはいったいどういうことか?
過去に体験したことを「今、思い出すこと」。
ということは、過去を思い出しながら、「今の体験」である。
過去というものを「今、作り直している」ことにほかならない。
ここに何か割り切れなさを感じる。
この割り切れなさは、感じる「今」によって、違うような気がする。
それを感じるのに一定の答えはない気がする。

No.05272 24.08.28 ホノルルマラソンの朝

はじめてホノルルマラソンを走った朝。
マラソンを走るのもはじめてだった。
確か五時スタート。
まだ暗い中、スタート地点に向かって歩く。
地図を確かめて歩いていったが、たくさんのゼッケンをつけた人たちが、ぞろぞろと歩いていたのでついていった。
スタート地点では予想タイムごとに並んでいる。
四時間から五時間に並んだ。
本当に五時間以内に走れるのか自信はなかった。
ただ、どうしても五時間以内に走らないとならない。
それ以上かかると帰りの飛行機に間に合わない。
無謀な賭けだった。
ヒューと足元を過ぎる風が冷たかった。
花火が上がってスタートした。
走り出すと冷たい風が心地よかった。
朝日が上がり、太陽が射すと、陽の光がありがたかった。

No.05271 24.08.27 寝入りに見るイメージ

布団に入って眠りにつこうとすると、いろんなイメージが浮上することがある。
とても鮮明なイメージ。
たいていは見たことのないイメージ。
見たことのないイメージは説明ができない。
具体的なものが重なっているイメージは一つひとつ分解して説明できるが、多くの場合、抽象的で説明ができない。
説明ができるもので最近見たのは、針金が複雑に絡み合った立体物。
そのところどころに人形やマスコットが吊り下がっていた。
なんでそんなものが見えるのか、理由はわからない。
でも、見ていると面白い。
視点の移行に伴って、空間に視点が浮かんでいることがわかった。
肉体がある視覚では、針金のあいだに入っていくことはできない。

No.05270 24.08.24 本当のことを書く

本当のことを書くのはメンタルにいい影響を与える。
それには疑いがない。
以前、マウイ島ラハイナに行ったときには必ず寄ったアイランド・サンダルのマイケル爺さんとした話。
お店に行ってサンダルの修理を頼むと、怪訝そうな目で僕を見る。
「あんた、仕事は何をしている?」
「ライターです」
「そうかい。だったら自分で考えて書いているね」
当たり前のことを言われて意味がわからなかったので「なぜですか?」と聞いた。
「アメリカのライターはね、たいてい会社に言われたことしか書かないから左脳ばっかり使って、その結果、右足に変な油が出てくるからそれでこの人はライターだなってわかるんだ。ところが君にはそれがない」
「そうなんですか」
「いい記事書けよ」

No.05269 24.08.22 ピーマンの味噌汁

夏の朝は味噌汁がいい。
必要な塩分が摂れる。
煮干しで出汁を引き、具材を入れる段になって豆腐もきのこ類も大根もないことに気づいた。
アララ、と思う。
冷蔵庫の片隅にピーマンがあった。
「ピーマンかぁ」と思うが、他に良さそうなものがない。
ものは試しとピーマンで味噌汁を作る。
一緒にワカメも入れた。
ワカメだけだと寂しい。
出来上がった味噌汁は、思ったより美味しかった。
以前、万願寺とうがらしの味噌汁を作ったことがある。
それに似ている。

No.05268 24.08.20 31℃の外出

午前中、31℃のときに自転車で走った。
35℃で走るとトンデモナイが、31℃での自転車行は幼い頃の夏休みを思い出させてくれる。
日差しが肌をチリチリさせる。
日陰に入ると少し涼しい。
肌の表面をうっすらと汗が覆う。
こんな暑さの中、近所のプールにかよった。
売店でおでんを売ってた。
チェリオの味はそこで覚えた。
記憶の底に眠っていたことが浮上する。

No.05267 24.08.18 日本の朝ごはん

還暦を過ぎた頃から朝ごはんは和風がいいと感じる。
からだに合ってる。
まず第一にごはん。
それから味噌汁。
具はワカメと豆腐。
またはワカメと皮をむいた茄子。
大根やきのこ類もいい。
そして焼き魚。
魚はほぼなんでもよし。
そして漬物。
糠床から出して糠を洗い落として適当に切る。
キュウリが定番。
ニンジン、茄子、カブ、ミョウガなどが時々。
出した野菜を洗って新たに糠床に入れる。
思い出すと納豆。
納豆は卵、または大根おろしと一緒に。
贅沢するときはシラスも入れる。
納豆がないとき、わさび漬けとか、海苔の佃煮とか、ちりめん山椒なんかをチビッと。
梅干しふた粒。
幸せである。

No.05266 24.08.17 走る感覚

入院して以来、走れなかった。
かつてなら走って疲れた分、呼吸数が上がったが、ちょっと前まで呼吸数が上がらずに疲れてしまった。
呼吸と筋肉が連動しない感じだった。
この感覚は、以前の僕には理解できないものだった。
一年半くらい前から自転車では、疲れると呼吸が上がるようになった。
二ヶ月前くらいから、散歩の途中で50mほど走るようになった。
走るといっても、若い人がせっせと歩く程度のスピード。
はじめの頃は右足と左足のバランスが取れず、ヨタヨタしていた。
それを何度か繰り返し、今日は三キロ歩く間に100mほど二回走った。
これをしばらく繰り返してちょっとずつ距離を伸ばしたら、一キロくらいは走れるようになるかも。
以前のジョギングのときの爽快さを少し思い出した。