No.05541 26.05.27 モンシロチョウ

一羽のモンシロチョウが目の前を横切った。
散歩中の公園で。
「最近、蝶を見てない」と目が覚めた。
そうだよ、蝶はどこへ行った?
幼い頃には草むらにたくさんの蝶が舞っていた。
虫取り網を振り回すとすぐに捕れた。
農薬や殺虫剤のせいでいなくなったのかな?
飛んで行ったモンシロチョウに「がんばれ」と思う。
今では滅多に見られない風景をAIに描かせた。

No.05537 26.05.16 朝鳴き鳥

朝の三時か四時頃、空が明るくなる前に窓の外で鳥が鳴き出す。
高い声で綺麗な鳴き方。
ミソサザイのような鳴き方だ。
八時頃にも鳴いていたので、バードコールを鳴らした。
呼応して楽しい。
しばらくしたらベランダに来た。
洗濯物が干してあったので、鳥は呼ぶなと相方に怒られた。
姿はミソサザイより大きく、何の鳥かわからなかった。
鳴いていた鳥とやってきた鳥は違うのかも。

No.05533 26.05.04 スズメの水浴び

歩いていたら、目の前の水たまりにスズメが飛んできて、羽を震わせて水浴びを始めた。
一歩踏み出せば踏み潰してしまうような場所で。
人間はそんなことしないとわかっているようだ。
クマやシカもそう思って人里に出てくるのかも。
信頼してもらうのは嬉しいけど、危害は加えないでほしい。
水が跳ねてきたよ。

No.05525 26.04.19 人体の不思議

今更だけど、生きているって不思議。
なんで考えたり、感じたりできるんだろう?
景色を見てさ、いいなとか、いやだなとか感じる。
まったく不思議だ。
なんで食べたものが何も知らないうちに消化されるんだろう?
単なる原子も生命の一部なんだろうな。
ありがたいことだ。

No.05514 26.03.29 桜が咲くということ

桜が咲き出した。
毎年のようにそのことについて書いている。
これほど何度も繰り返し書いている素材はないだろう。
何度書いても飽きない。
何度も繰り返し書くということは、僕の内面に何か強い影響を与えているはずだ。
それは一体なんだろう?
答えは一つではないし、それらは複合的に絡まり合っている。
文学にも桜をテーマにした作品がたくさんある。
ということは、僕個人の話ではなく、多くの日本人にも影響を与えているだろう。
外人の中には花見している日本人が見たいという人がいるし、花見に参加して喜んでいる人もいるようだ。
もちろん「満開の桜を見てみたい」という人もいるだろう。
外人がこう思うのは、満開の桜は日本以外ではほとんど見られないからだ。
そんなことを考え合わせていくと、日本人が日本人でいるために、毎年咲く桜が影響しているのではないかと僕は思う。
死生観や色彩感覚、自然との関係、人との関係、言葉の感覚など、多岐にわたる影響があるのではないか?
だとすれば、僕たち日本人が桜に寄せる思いが深くて濃いのは当然のように思われる。
さあ、花見に行こう。

No.05513 26.03.23 観自在で思い出したこと

昨日、ある僧侶の法話を聞いた。
話が観音経の内容になった。
観音経は法華経の一部で、観世音菩薩普門品という。
観音様は翻訳によっては観自在菩薩ともいう。
観音様はこの世界をいろんな見方で見ることのできる菩薩様で観自在といわれる。
だからどんな苦境にいる人も救い出すことができる。
法話では「人間にはなかなか物事の本当の姿を見ることができない。だから同じ本を読んでも読むたびに違う印象になったりする」と説かれていた。
その話を聞いて一晩寝たら面白いことに気づいた。
一年ほど前に思い出せなかった名前を思い出すことができた。
それはケニアにいた象の名で「アジョク(Ajok)」と呼ばれていた。
その象は動物孤児院で会うとすぐに僕の目の前で地面にお腹をさらすように寝そべってしまった。
すると孤児院の職員たちが笑い出した。
聞くと「僕にかまってほしいのだ」という。
「どうやって?」と聞くと、「お腹の上に乗ると喜びますよ」という。
アジョクはすでに僕の背より高い象だった。
体重は数百キロはあるだろう。
そんな象にどう対処しろというのか。
怖くて辞退した。
そのときの僕には「怖い」としか思えなかった。
でもアジョクは日本から来た見知らぬ僕にも心を開く優しい象だったのだろう。
その天使のような象を拒否してしまった。
観自在菩薩の話を聞いて、寝て起きるとアジョクを思い出すとは、人の記憶って不思議だなと思う。

No.05489 26.01.11 気持ちいいものとは何か

自分にとって気持ちいいものとは何かを考える。
いろんな側面があるが、とても大切な観点を一つ。
それは、「可能であれば繰り返したいこと」だ。
天は僕に気持ちいいものを与えたのと同様に、すべての生命に気持ちいいものを与えた。
そしてそれはきっと、生命にとっては「気持ちいい」としか認識していないが、俯瞰して見るとそのことが生命にそれを繰り返させているのではないか?
それを繰り返すことで生命は存在を許され、環境との関係を常に新たにするのてはないか?
だとしたら、個としての気持ちいいものと同じように、集団としての気持ち良いものもあるのではないか?
例えば、僕にとっての気持ちいいものと同じように、人類にとっての気持ちいいものがあるのではないか?
人類にとっての気持ちいいものは、誰かが感じるわけではない。
だけど、人類がそれを繰り返さざるを得ないもの。
そして、繰り返すたびにわずかな変化を与えるもの。
具体的にそのようなものが何かと考えると面白い。
これからしばらく、人類にとっての気持ちいいものを考えてみようかな。

No.05445 25.10.19 生命圏の成り立ち

地球上に生命が生まれて約40億年。
生命は生まれては死んできた。
生命は死ぬと土になる。
死んで腐って土になるか、食べられて糞となって土になるか。
土になるとそこで植物が育つ。
植物が育つと枯れて土なるか、動物の食べ物になって糞から土に戻る。
そうやって生命圏(バイオスフィア)は豊かになってきた。
肉食動物は他の動物を食い、草食動物は植物を食い、食い合って生存競争しているように見えて、実際にはエネルギーの循環をしている。
人智圏(ヌースフィア)はどうだろうか?
人智を積み重ねることで新しい人智を生み出している。
それはまるで動物が食い合っていることで動物同士が共進化しているようなもの。
しかし、残念なことに人智を積み重ねることで一方的に生命圏を搾取している。
これを改めなければならない。

No.05415 25.08.05 カァーカァー

朝、散歩していると木々の中でカラスが鳴いていた。
カァーカァー
一羽や二羽じゃない、十羽くらいはいたようだ。
あっちでもカァー、こっちでもカァー。
カァーカァーカァーカァーカァーカァー
あまりにもたくさんいたのでちょっと怖い。
でも、と思う。
あんな真っ黒な格好をしてこの日照りの中にいたら暑いだろうなと思う。
だから木の陰に隠れたんだろう。
カァーカァーと鳴く声を「暑いよぉ」と頭の中で置き換えたら、可哀想に思えた。
木々の中で涼んでね。