No.04794 22.06.30 バリ島での散歩

今朝、すでに気温は31℃だという。
そのなか、散歩に行ってきた。
でも、案外涼しかった。
バリ島の散歩を思い出した。
暑い上に湿度が高かったのでつらかった。
バリ島では昼間、人は外をあまり歩かない。
車や乗り合いバスのようなものを使う。
長い距離を歩くのはあまり賢いことではない。
そのあとに冷房の効いたレストランに入ると温度差で具合が悪くなる。
オープンエアの風通しのいいレストランのほうが居心地がよかった。
東京での散歩も、あとでシャワーを浴びて、風に吹かれる。

No.04762 22.05.15  パッヘルベルのカノン

とても有名な曲だが、作曲の経緯は知られてないそうだ。
パッヘルベルはその作曲者の名前だが、バッハより前の人。
当時は人気があったそうだが、長い間忘れられていた。
それが1968年にパイヤール室内管弦楽団の演奏により有名となった。
コード進行をそのまま使ってロックにされたりもして、次第に広まっていった。
ジョージ・ウィンストンのアルバム「ディセンバー」に入っていたピアノソロをコピーして大学生の頃によく演奏した。
友人の結婚式で演奏したときは泣けた。

No.04761 22.05.13 あなたと夜と音楽と

No.04755に「Kind of Blue」のことを書いたら、ビル・エヴァンスが聞きたくなり、アマゾン・ミュージックでビル・エヴァンスばかり聞いている。
管楽器と共演している「あなたと夜と音楽と」がかかった。
こっちよりピアノトリオで演奏された「あなたと夜と音楽と」が好きなので、CDラックからアルバム「グリーン・ドルフィン・ストリート」を探してかける。
葉巻がどこかから香ってくる。

No.04759 22.05.10 ふふふ

京都錦市場にお麩の専門店がある。
そこののれんにひらがなで「ふ」と書かれていて、それがいくつも連なっていて「ふふふ」と読めるようになっていた。
「ふ」というひらがなはいくつか並ぶと不思議な力を発する。
大きな「ふふふ」、いつかご覧ください。

No.04758 22.05.09 エビ穴

弓ヶ浜の隣にある、逢ヶ浜(おうのはま)に、エビ穴という奇岩がある。
干潮時には渡っていけるが、満潮時には近づけない。
昔、弓ヶ浜の国民休暇村に第一回日本トランスパーソナル学会に参加するため泊まったときに見つけた。
大きな岩の真ん中がくり抜かれ、形はまるで兜のようだ。
今朝、ふと思い出した。

No.04740 22.04.13 湧き出す記憶

フランク・プウルセルのレコードがうちに一枚だけあった。
そこにFM東京の番組、ジェット・ストリームのテーマ曲になっていた「ミスター・ロンリー」が入っていた。
それが聞きたくてアマゾンミュージックでフランク・プウルセルのアルバムを聴いているが、タイトルがほぼすべてフランス語で書かれているので、英語タイトルで書かれているのは「あ、あの曲ね」と思えるが、多くは聞いてみてはじめて「あの曲か」とわかる。
ときどきかかるかつて聴いていた曲。
そういう曲がかかると、ずっと忘れていた懐かしいことを思い出す。
「Le Torrent」という曲がかかった。
聞いた途端、それは家のアルバムでは「急流」というタイトルの曲だったと思い出す。
一緒に、コーヒー豆の置かれていた戸棚が湧き出てきた。
あまり使わないサイフォンと、4種類の豆、そして電動コーヒーメーカー。
いろいろとブレンドしてみたが、好みはマンデリン5とモカ1だけだった。
半世紀も前のこと。

No.04735 22.04.06 「Serenata」の頭

クインシー・ジョーンズの「Big Band Bossa Nova」というアルバムをAmazone Musicで聴いていたら、「Serenata」という曲の頭でバストロンボーンの低音が響いた。
しびれてしまった。
何度か聞き直した。
かつて僕がバストロンボーンを吹いていたから。

No.04730 22.03.30 チューブラー・ベルズ50周年

1973年に発表された名作「チューブラー・ベルズ」が来年発表から50周年を迎える。
ロンドンではその記念コンサートがある。
まるでクラシック作品のような扱いだ。
20歳の青年がひとりで作ったアルバムがこんなに人気が出て、50周年の記念リサイタルまでやるなんて。
中学生だった僕が夢中になったのはなぜか、その理由はわからないけど、こんなにすごい曲だったんだなと思う。
ひさしぶりにまた聞いた。

No.04701 22.02.07 子供のサッカー大会

イスラエルとパレスチナから子供たちを招き、平和のために日本の子供達と一緒にサッカーをしてもらおうという企画が立ち上がり、手探りで実現に向け準備して行ったとき、その仲間に入れてもらった。
2003年のこと。
子供でもイスラエルとパレスチナの人たちが同席するのは不可能だろうと言われ、あちこちから無理なことはするなと言われ、何か起きたらどう責任を取るんだと責められた。
それでもボランティアは集まり、無事にイスラエル・パレスチナから子供たちは来日し、サッカー大会当日は予定人数を大幅に上回るボランティアが集まった。
サッカー場を走る子供達は、小学生で、さほどサッカーが上手いというわけではなかった。
はっきり言えば、「子供がサッカーをしている」ただそれだけに見えた。
だけど、「海を見たのははじめて」という子がいた。
もちろん国外に出るのはほぼ全員はじめてだった。
「行ったことのない国で、普段は敵だと言われている子供と会う」
それはどんな体験なんだろうと考えたとき、彼ら一人一人がヒーローに思えた。