慣れるというのは、感情にとって一大事だ。
ずっと同じことをし続けていると大抵飽きる。
飽きたらやめる。
やめたあとで飽きることの価値に気づいたりする。
「日刊 気持ちいいもの」は1999年11月から始め、一度999回でやめた。
それを2010年7月からtwitterで再開し、以来4000回ほど続けている。
何度も飽きたが、最近はもう飽きることがない。
飽きるという感情が生まれるよりも、そこに関する探究が始まる。
その探究は毎回似たようなもの。
似たようなものの繰り返しが、ときどき飛躍を生む。
飽きたことによる飛躍と、それを超えて繰り返すことで起きる飛躍。
どっちもありだ。
No.05016 23.07.06 さようなら
12年と4ヶ月ほど使ってきた旧サイトとお別れする。
その日、12年前に作ったサイトからの第一号は、配信してしばらくして東日本大震災が起きた。
以来、あまり気持ちよくない状況の中、気持ちいいものを探し続けてきた。
5,000回を迎えた。
このサイトで一万回を目指して継続していく。
このサイトに読者登録してない方には、メールマガジンは届かなくなる。
お元気で。
気が向いたら、このサイトを覗きにきてください。
No.05014 23.07.04 風の又三郎
宮沢賢治の作品を読んでいる。
今朝は「風の又三郎」を読んだ。
僕が小学生の頃、母が「風の又三郎」の本を買ってくれた。
少し厚い本だったから、宮沢賢治の作品が何作か入っていたのだと思う。
その本は箱に入っており、箱から出したときの表紙の風合いを覚えている。
ところが、その本の内容は全然覚えていない。
母に「読んだ?」と聞かれ、「読んでない」と答えたことを覚えている。
以来、ずっと宮沢賢治の本は読んでこなかった。
敬遠していたと言ってもいいかもしれない。
今朝「風の又三郎」を読んで、なぜそうだったのかがわかった。
思いがけない発見だ。
風の又三郎の冒頭にこういう文が出てくる。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
これを読んだときはなんとも感じなかった。
ところが、この作品の終わりにもう一度同じように登場する。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
最後の一行がリフレインされている。
これを読んでなぜ僕が宮沢賢治を読まなかったのかが理解でき、同時に涙が流れた。
僕はこの言葉を記憶の底に留めていた。
母が「読んだ?」と聞いたとき、実は僕はすでにその本を読んでいた。
だけど「読んだ」と答えなかった。
なぜか?
「読んだ」と答えたら、必ず母は感想を聞いた。
ところが、なんと答えていいのか分からなかったのだ。
何かが心に引っかかったが、それが何かうまく説明できなかった。
それが説明できないから、読んでないことにした。
記憶って不思議だなと思う。
小説の冒頭を読んでも何も思わなかったのに、終わりになって出てきた、ほとんど同じフレーズを読んではじめて、消した記憶を思い出した。
還暦を過ぎてこれを知ることに深い意味を感じる。
その意味が何かは、とても長い話になるので、いつか別のところで発表する。
No.05003 23.06.18 揺れる
気持ちいいものを書き続けていると、自分の心が揺れているのがよくわかる。
あるときには気持ち良かったものが、別の時には不快になったり、悲しくなったり、意味のマトリックスを漂っていく。
心は正確には表現できない。
No.05000 23.06.15 祝5000回
「日刊 気持ちいいもの」が、5,000回を迎えました。
ありがとうございます。
10,000回をめざします。
No.04991 23.06.04 内面のヴィジョン
二十代の頃にはじめて瞑想をした。
その時に「ヴィジョンを見ろ」と言われたが、何のことやらさっぱりわからなかった。
ヴィジョンなどというものは見えなかった。
以来瞑想を続け、見れるようになったが、最近は歳のせいか、ヴィジョンを見ながら寝てしまうことがある。
ヴィジョンがそのまま夢になってしまう。
気持ちいいからいいんだけどね。
No.04966 23.04.17 バシャール
1987年に「バシャール」という本が出版された。
不思議な本だった。
日本に与えた衝撃は小さなものではなかったと思う。
このバシャールをチャネリングしているダリル・アンカ氏が、この2月に飛んでもないことを言い出した。
2026年の中盤から2027年にかけて、地球上にいるすべての人が認識できる宇宙人とのコンタクトが起きるというのです。
そのためには、より自分自身であることが重要であると話していました。
No.04953 23.03.19 詩を書く
友人に頼まれて結婚式に朗読する詩を書いたのが、大人になって最初に書いた詩だった。
僕にとって詩は、何か特別なもので、でも、どう特別かは説明できないものだ。
端的にいうと、霊的で聖なる言葉とでも言えるだろうか?
だからなのか、あまりたくさん書くつもりはない。
「書く」ものではなく、現れてくるものだから。
No.04905 23.01.21 イニシュモア島
「イニシェリン島の精霊」という映画が1月27日に公開される。
その予告編を見た。
実際に映画の撮影に使われている島の名前はイニシュモア島だ。
イニシュモア、イニシュマーン、イニシィアの三島をアラン諸島と呼ぶ。
アランセーターの起源となった島々だ。
そこに20年ほど前に仕事で行った。
「イニシェリン島の精霊」の予告編に一瞬、ダン・エンガスと呼ばれる石でできた砦が映る。
懐かしかった。
その島にはヤコブの梯子と呼ばれる坂があり、その坂の下にキロン修道院跡がある。
その脇にキロンの泉がある。
腕が入れられる程度の小さな穴で、そこに腕を入れて手を伸ばすと、泉に触れることができる。
その泉では年に一度九月九日に「太陽の祭」がおこなわれる。
島の人たちが集まり、泉の周りを七回まわって泉の水を顔につけ、願掛けをするのだとか。
重陽の節句を思い出す。
No.04900 23.01.16 詩を書く
生まれてこのかた、詩は六編しか書いたことがない。
そのうち三編は「水のきらめき」で読むことができる。
二篇は知り合いの結婚を祝うための詩で、二編とも披露宴で朗読した。
二編のうち一編は拙著『ヒーリング・ライティング』に、カップルの許可をとって掲載した。
残りの一編は、小学二年の時、練馬区の文集のトップに掲載してもらった。
小学二年の時の詩と『ヒーリング・ライティング』に掲載した詩以外は、瞬時のインスピレーションで生まれた。
ある状況にいることで、ピカッと何かに打たれる。
その打たれた内容を言語化すると詩になる。
滅多にない体験だが、詩が生まれる瞬間を体験するのは嬉しい。

