No.05155 24.02.22 違うことをする

似たものがたくさん集まると、なぜか自然と違うことをするようになる。
それが人間なら、掃除する人、食事を作る人、働きに行って稼ぐ人など、分業がすぐにできるからそうなるのだろうと思えるが、細菌などもそのような傾向があるそうだ。
培地を作りそこで細菌を繁殖させると、活発に動くグループと不活発になるグループができるのだとか。
働きアリはたいてい、働くアリとさぼるアリの割合が一定だという。
働いていたアリだけ集めても、さぼっていたアリだけを集めても、また同じ割合になるのだそうだ。
働いているアリはみんな違うことをしてあっというまに分業が始まり、さぼるアリは休むのが仕事になっているのかもしれない。
似たような単細胞生物が集まりグループを作ると、少しずつ役割が出来てくるのだろうか?
とても単純だと思っていた生物が、実はコミュニケーションの結果、そのようになっていくのだとしたら、それはどのような原理に基づいているのだろうか?
相方と僕は、別々に暮らしていたときには似た人のように思っていたが、一緒に暮らすようになると違いが目立つようになった。
生命はみんなそんな感じなのかな?

No.05154 24.02.21 自由に使える資源を持っている共同体がうまくいく方法

資源が豊富にあったとしても、もしそれらが自由に得られるとなったら、みんなで寄ってたかって取り合いになってしまうのが普通のことだろう。
それで資源が枯渇したり、どこかの団体か個人の所有になり他人は使えなくなったり、取り合いによって問題が発生して殺し合いになったりする。
人間は愚かだ。
でも、頭脳明晰な人はやることが違う。
2009年にノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムは愛称がリンというそうだ。
ここでもそう呼ばせてもらう。
リンはいろんな共同体を調べて、自由に使える資源をもし持っていたらどういうマネージをするべきかを抽出した。
その方法を中核設計原理(core design principales = CDPs)と呼ぶ。

CDP1 強いグループアイデンティティと目的の理解
CDP2 利益とコストの比例的公正
CDP3 全員による公正な意思決定
CDP4 合意された行動の監視
CDP5 段階的な制裁
CDP6 もめごとの迅速で公正な解決
CDP7 局所的な自律性
CDP8 多中心性ガバナンス

これだけの説明で理解できるが、わかりにくいところを説明する。
「CDP5 段階的な制裁」は、もし約束に違反した人がいたとしても、いきなり大きな罰は与えないということ。何度か似たような間違いを犯したら、次第に大きな罰を与えていくとうまくいくそうだ。

「CDP7 局所的な自律性」グループが大きくなり、局所的にグループとみなしても良さそうな規模になったとき、その局所的なグループを一つのグループとみなして独立させたり、自律性を与えたりする。

「CDP8 多中心性ガバナンス」グループが大きくなったとき、地域性や時間枠、参加者の属性などで小グループごとに独自のガバナンスを与える。

こうすると、幾つものグループが生まれ、それぞれに多様性が生まれ、しかも無駄な競争による消費やトラブルの膨張が抑えられるだろう。
いろんな共同体にも当てはめられるような気がする。
何かグループを運営するときに参考にするといいかもしれない。

No.05153 24.02.20 コミュニケーションによる共生

人類はずっと「もう人間は変わらない。進化の究極が人間」と思い込んできた。
ところが、丁寧に観察すると、人間は少しずつでも進歩していることがわかる。
技術的にはこの数十年で飛躍的に進歩した。
ところが、その技術を支える人間の心はどうだろう?
戦争を許容しているという一点で、ほとんど進歩していない、と考えることに賛同してくれる人は多いのではないかと思う。
だけど、心理学は進歩した、スピリチュアルな価値は高まった、しかし、心を病んでいる人は増えているような気がする。
なぜだろうか?
たった一つのことに責任を負わせることは正しくないと思う。
様々な要素の莫大な繰り返しが、些細な問題を増幅しているように感じる。
だとすると、もう人間には手の打ちようがない。
そんなことを考えてしまうのも致し方ないようにも思える。
でも、もし人間が万物の霊長だとしたら、常に自分という存在を超えていかなければならない。
様々な要素の莫大な繰り返しを適切に使うことを人間は覚えたはずだ。
もし適切でないなら、どの部分が適切ではなく、どの部分をさらに伸ばしたらいいのか、考えるべきだ。
日本の国会では議論するのを諦めている。
これは最もしてはならない態度だろう。
では、何を改めたらいいのか?
過去のやり方を手放さなければならない。
手放して、新たなやり方を試していくべき。
どんなやり方を?
まずは多数決を手放し、議論によってシステムの精度を高める方法とそれを進めるための態度を学ばなければならない。
議論するとき、勝ち負けを手放す。
どういうことかというと、勝ったものを推し進め、負けたものは諦めるのではなく、負けたものにも可能性を与え続けることで、一時的には勝った論に席を譲っても、充分に成熟した論であれば再び議論の席に戻れる可能性を残しておく。
そのような考え方が大切になるのではないか?
議論に費やす時間は増えることになるだろう。
大きな権力を握ったものには厄介な考え方だろう。
でも、そのようにしていかない限り、もう人類の存続は難しい状態になってきた。
単純な仕事はみんなロボットやAIに任せて、人間でなければできない仕事に注力できるよう、その基礎を作るべき時が来た。

No.05148 24.02.12 「情報自由法」で社会を変える!

2019年8月23日号の週刊金曜日に「米軍基地公害の秘密を暴くジョン・ミッチェル・コレクション」という記事を書いた。
当時、沖縄タイムスの特約通信員として活躍していたジョン・ミッチェル氏にインタビューした成果だ。
当時まだPFOSやPFOAなどの土壌汚染について、本州のマスメディアではほとんど取り上げられていなかったが、沖縄ではよく話題になっていた。
なぜ沖縄でそれが問題になっていたのかというと、米軍基地の周辺の土壌からPFOSやPFOAが検出され、さらに米国の情報自由法を利用して、米軍の過去の記録を取り寄せることができたからだ。
その詳細についてお話を伺った。
2020年4月10日号では、ミッチェル氏が引き出し、沖縄国際大学に預けた5,500ページにもわたる文書の一部を翻訳し、「CIAは沖縄をどうみているのか」という記事を書いた。
だから、ミッチェル氏が岩波ブックレットから『「情報自由法」で社会を変える!』を出版していたことを知って、すぐに買ったし、とても嬉しかった。
アメリカと日本の関係は、一般の人にはなかなか理解しにくい。
だけど「情報自由法」を利用すると、だれでも米国の公文書を閲覧できる。
米国人だけではなく、日本人でも。
そもそもミッチェル氏はイギリス人だ。
一般に流布している情報が陰謀論かどうか、この本を参考に確かめてみてはどうだろうか?

No.05129 24.01.10 魔法

毎日のように魔法を目の当たりにしている。
でも、当たり前になってしまったことは魔法のようには思えない。
なぜ原子は分子になりたがるのか?
なぜ分子は不安定なはずの巨大分子になっていくのか?
なぜたくさんの巨大分子がタンパク質になるのか?
なぜいろんな種類のタンパク質が積み重なって単細胞生物になるのか?
なぜいろんな種類の単細胞生物ができるのか?
なぜいろんな種類の単細胞生物が協力し合うのか?
なぜ協力し合っていた単細胞生物が多細胞生物になったと思えるのか?
なぜ多細胞生物は進化ののちに社会を作るようになるのか?
なぜ社会を作るようになった多細胞生物は個体間でコミュニケーションを始めるのか?
なぜコミュニケーションが複雑になり、いつしか言葉を生み出すのか?
なぜ言葉によって言葉以前の生命ができなかったことができるようになるのか?
理解できるのは、複雑性が増すと魔法が現れてくるかもしれないこと。
多数決で社会を動かしているうちは、このような魔法はきっと現れてこないだろう。

No.05128 24.01.09 華厳経は何が面白いの?

それには簡単には答えられない。
華厳経にはいろんな内容が精緻に折りたたまれ、比喩となり、こちらの知識を刺激して、解明してくれるから。
例えば、毘盧遮那仏を宇宙と見立てると、現代の宇宙物理学を教わっているかのように思えてくる。
如来や菩薩の会話の構造は、ホロンに関して教えられているようだ。

その内容がなぜ言葉にしにくいのかというと、第一章にあたる寂滅道場会の最後に童子(こどもor青年)が出てきて、仏と会話をし、悟りとはどれだけ素晴らしいことかと話すのだが、その会話はほんの五十行程度で終わる。
華厳経の最終章である入法界品では、文庫本三冊で善財童子がどのように悟っていくかが示される。
その方法は基本的には悟ったといわれる人たちに会って、その話を聞いていくだけなのだが、いろんな人に会い続けるうちに次第と童子の心の中に生まれてくる内容が大きくなっているだろうことが読み手に推測され、書かれていることが理解されるのと同時に、書かれていないことも大きく膨らんでいく。
何度も何度も似た話を繰り返されたりもするが、そのことによって、その内容のわずかな違いが大切であることに気付かされ、そのわずかな違いに注意を払い出すと、その理由が見えてくるようになる。
寂滅道場会の最後に五十行程度で記されていたことが、実は如来になると文庫本三冊分の膨大な知恵になっていることが明確になる。
つまり華厳経で教えてもらうことは、言葉で簡単に教えてもらうことがどれも、実はものすごい時間や空間や人々の会話や、深い知恵によって作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解し、常にそのことを背景にあらゆることを感じるというのはどういうことであるかに目覚めていることとはどういうことかを伝えてくれている。
つまりそれは、どんなに簡単に思える存在でも、実はものすごい時間や空間や生死を通して作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解することであり、それに目覚めた状態で世界と対峙するとはどういうことかを教えてくれる。
だから、読む人によって見えてくるものはきっと違い、その違いがガンジス川の砂粒の数ほど多いのだろうことが理解される。

No.05126 24.01.07 世の中の乱れ

世の中が乱れていると思う。
多くの人がそう感じているのではないか?
きっと世の中が統制されていたら、真っ直ぐ戦争に突き進んだのではないか?
いろんなところでいろんな人が、平和のために獅子奮迅状態なのではないか?
そのために表面上は乱れているように見える。
落ち着いて、平和のために目を見開きましょう。
真実を語り合いましょう。

No.05078 23.10.28 祈る

2003年から2008年まで、毎年のようにイスラエルとパレスチナの子どもたちと一緒にサッカーをした。
あの人たちは今はどうしているのだろう?
自分が無力で泣けてくる。
無事であることを祈る。
同時に、あのときには素敵な体験をさせてもらったことに感謝する。
知らない国に来て、敵対する国の人たちと仲良くなる。
その可能性を見せてくれました。
あなたたちは僕にとってヒーローでしたし、これからもヒーローであり続けるでしょう。
たくさんの感動をありがとう。
そして、生き抜いてください。

No.05075 23.10.24 今日、誰のために生きる?

「新しいわたし」の著者 二戸依里さんと、ネイティブジャパニーズダンサーのアムリッタ朝子さんが、ある日、烏帽子岩の見えるカフェでペンキ画家のショーゲンさんとお話したそうです。
僕が別ペンネームで書いた小説の舞台がそのあたりだったのでそのときのことを教えてもらったのですが、一緒にショーゲンさんのYouTubeのURLも教わりました。
そこでショーゲンさんが話している内容にびっくりしてしまいました。
それ以来、ショーゲンさんのYouTubeを楽しみにしていたのですが、次に二戸さんからきた連絡は「ショーゲンさんが本を出し、その記念講演がある」。
早速申し込んで聞いてきました。
出版された本のタイトルは「今日、誰のために生きる?」。
ショーゲンさんはサラリーマンでしたが、ある日ティンガティンガというアフリカ・タンザニアの絵を見ます。
それにビビッと来て、その絵を教わろうと二、三週間後に出発するタンザニア行きのチケットを買い、それから会社に退職届を出したそうです。w
ティンガティンガ村で絵を教わっていると、ある画家に声をかけられます。
「ここは観光地でレッスン料も高いので、うちの村に来ない?」
そこでその画家、カンビリさんが住むブンジュ村という村に行き、カンビリさんの家にホームステイさせてもらっていろんなことを学ぶことになるのですが、その話に僕は何度も心が震えました。
その村では、昔の日本の文化が残されていたというのです。
その村の村長さんのお爺様が、今はもう亡くなっているのですが、シャーマンで、日本人とサイキックに交信し、幸せに暮らす方法を教わったというのです。
「どんな日本人とつながったの?」と聞くと、「竪穴住居に住み、一万年から一万五千年もの間幸せに暮らしていた人たちで、女性をモチーフにして土器を作った」と言われたので、「きっと縄文の人たちにつながったんだな」と思ったそうです。
ブンジュ村には外国人が入ってきたことがなかったそうで、もちろん日本人が来たのははじめてです。
画家のカンビリさんはその村で過ごしてきたので、「その村に伝わる日本の文化を体現しているはずの実際の日本人はどんな感じなのか」を知りたくて、連れてきたそうです。
ところが、ショーゲンさんは現代の日本人。
縄文の頃の日本人とはだいぶ違いました。
そこで、かつての縄文人がどのように生きていたのかを、ブンジュ村の人たちから色々と教わっていくことになります。
ここから先は、YouTubeを見るか、「今日、誰のために生きる?」を読んでください。幸せに生きることに興味のある方なら、きっと響きます。