過去とは何かを感じると、常に「今、思い出していること」である。
過去を思い出すと過去に行くわけではない。
今、過去を思い出すとはいったいどういうことか?
過去に体験したことを「今、思い出すこと」。
ということは、過去を思い出しながら、「今の体験」である。
過去というものを「今、作り直している」ことにほかならない。
ここに何か割り切れなさを感じる。
この割り切れなさは、感じる「今」によって、違うような気がする。
それを感じるのに一定の答えはない気がする。
No.05270 24.08.24 本当のことを書く
本当のことを書くのはメンタルにいい影響を与える。
それには疑いがない。
以前、マウイ島ラハイナに行ったときには必ず寄ったアイランド・サンダルのマイケル爺さんとした話。
お店に行ってサンダルの修理を頼むと、怪訝そうな目で僕を見る。
「あんた、仕事は何をしている?」
「ライターです」
「そうかい。だったら自分で考えて書いているね」
当たり前のことを言われて意味がわからなかったので「なぜですか?」と聞いた。
「アメリカのライターはね、たいてい会社に言われたことしか書かないから左脳ばっかり使って、その結果、右足に変な油が出てくるからそれでこの人はライターだなってわかるんだ。ところが君にはそれがない」
「そうなんですか」
「いい記事書けよ」
No.05269 24.08.22 ピーマンの味噌汁
夏の朝は味噌汁がいい。
必要な塩分が摂れる。
煮干しで出汁を引き、具材を入れる段になって豆腐もきのこ類も大根もないことに気づいた。
アララ、と思う。
冷蔵庫の片隅にピーマンがあった。
「ピーマンかぁ」と思うが、他に良さそうなものがない。
ものは試しとピーマンで味噌汁を作る。
一緒にワカメも入れた。
ワカメだけだと寂しい。
出来上がった味噌汁は、思ったより美味しかった。
以前、万願寺とうがらしの味噌汁を作ったことがある。
それに似ている。
No.05268 24.08.20 31℃の外出
午前中、31℃のときに自転車で走った。
35℃で走るとトンデモナイが、31℃での自転車行は幼い頃の夏休みを思い出させてくれる。
日差しが肌をチリチリさせる。
日陰に入ると少し涼しい。
肌の表面をうっすらと汗が覆う。
こんな暑さの中、近所のプールにかよった。
売店でおでんを売ってた。
チェリオの味はそこで覚えた。
記憶の底に眠っていたことが浮上する。
No.05266 24.08.17 走る感覚
入院して以来、走れなかった。
かつてなら走って疲れた分、呼吸数が上がったが、ちょっと前まで呼吸数が上がらずに疲れてしまった。
呼吸と筋肉が連動しない感じだった。
この感覚は、以前の僕には理解できないものだった。
一年半くらい前から自転車では、疲れると呼吸が上がるようになった。
二ヶ月前くらいから、散歩の途中で50mほど走るようになった。
走るといっても、若い人がせっせと歩く程度のスピード。
はじめの頃は右足と左足のバランスが取れず、ヨタヨタしていた。
それを何度か繰り返し、今日は三キロ歩く間に100mほど二回走った。
これをしばらく繰り返してちょっとずつ距離を伸ばしたら、一キロくらいは走れるようになるかも。
以前のジョギングのときの爽快さを少し思い出した。
No.05263 24.08.13 茹でたとうもろこし
苞葉に包まれたとうもろこしを買ってきて、むいてひげをとって茹でる。
鮮やかな黄色になったとうもろこしに塩を振って食べる。
お上品な人は一粒ずつ手で取っていく。
僕はそんなことはしない。
アッチッチとか言いながら、少し冷めるのを待って歯を立てて食べていく。
ガシガシガシと。
口のまわりに粒が付く。
テレビで茹でて食べる人が減ったと聞いた。
本当かいな?
こんな美味いもの。
No.05259 24.08.09 将軍
Disney+でヒットしている「将軍」。
TCA賞の最優秀作品賞と最優秀新番組賞、さらにアンナ・サワイが俳優賞を受賞した。
エミー賞では最多25部門のノミネートだそうだ。
9月の発表が楽しみ。
このドラマはリメイクだ。
かつての作品の主演はリチャード・チェンバレン。
日本の俳優は三船敏郎、島田陽子、フランキー堺などが出演していた。
原作はジェームズ・クラベル。
1975年に出版され、1980年に邦訳が出た。
1980年にアメリカで五話のテレビドラマとして放送され、それを二時間程度にまとめたものが、日本ではまず映画として公開された。
父が邦訳本の監修をしていたので、試写会に連れて行ってもらった。
大きな劇場での試写会で、一番驚いて覚えているのは、三木武夫元総理大臣が来ていたこと。
映画は、長い話を短くまとめられていたので、不満が残った。
当時の邦訳本は三巻だったが、最近新しく四巻に編集し直されて発売された。
44年ぶりに父の解説を読んだ。
No.05257 24.08.07 声
まだ冥(くら)き早朝の
夢に紛れて蝉の声
善き出会いを
No.05251 24.07.31 カラスが蝉を食ってる!
近くの大きな公園で朝の散歩をしていたら、小学3年生くらいの男の子が、肩に虫かごをたすきがけにして、手には捕虫網を持って、自転車で走りながら「カラスが蝉を食ってる!」と走っていった。
そのあとで、蝉をくわえたカラスが飛んでいった。
「いい体験しているな」と思った。
No.05245 24.07.22 箱の秘密
夢で見た箱がなぜ楽しいのか、探究してみることにした。
フタが白くてそれ以外が青い箱で思い出すものは何か?
自分の人生の中では何も思い出さない。
ふと出てきたものは、古代文明の遺物によく出てくる鞄のようなもの。
でも、関係なさそうだ。
次に思い出したのは、チチェン・イッツァに行ったときの不思議な出来事。
今から10年ほど前、チチェン・イッツァに行った。
そこを発掘した一族が建てた建物が改装されてリゾートホテルになっていたのでそこに泊まった。
翌朝、大きな鳥が泊まっていた部屋のガラス窓に当たって死んだ。
屋根のあるベランダが広く、その奥にあった窓までよく鳥が飛んで入ってきたなと思った。
そのまた翌朝、友人から電話があった。
共通の友人が死んだという知らせだった。
共通の友人はかなりのサイキックだった。
ときどき不思議なことを言うと、それにまつわる不思議な出来事が連鎖した。
その友人が突然死んだ。
それでふと、昨日の鳥はそのサイキックな友人が知らせに来たのかなと思った。
すると、その瞬間、感じたことのない感覚がやってきた。
その感覚はあえて言語化すると、「この世界が多次元であることに深く気づけ」とか、「この世界には無限の解釈が存在することに深く気づけ」とか、そんなことを伝えられたようだ。
「なんだ今のは?」と思ったが、それ以外何も起きなかった。
メキシコから帰って、僕は出版パーティーを開いた。
宝生明という別ペンネームでSFファンタジー『太一〜UFOに乗った少年』を書いた、その出版パーティー。
その席上で、水晶画家のAkiraに久しぶりに会った。
メキシコ、チチェン・イッツァでの体験について話したら、急に「やっとわかった」という。
「なにが?」と聞いたら、こう答えた。
「はじめての個展『創世記』に、『タイムマシンの窓より アルバート・アインシュタイン』という作品を描いたんだけど、その裏にさぁ、なぜだかわからないけどこう書いたんだよ」
「きみたちはいずれ
いくつもの宇宙と
いくつもの自分に
気ずく時が
くるだろう」
「これってさあ、『この世界が多次元であることに深く気づけ』と同じこと言ってるよね」
「確かに」
それで、その絵を後日預かることになった。
チチェン・イッツァでの体験の一ヶ月後、僕はバリ島にいた。
1999年から毎年のようにバリ島のニュピというお祭りに通っていた。
そのお祭りの日、バリ中の人が一日家に籠り断食する。
その日にウブドのプリカレラン王家で、そこの当主と一緒に一日半断食断眠瞑想をした。
僕のブログにその体験について書いていたので、一緒に体験したいという女性からメールをもらった。
バリ島で会ってニュピの前にお話しした。
彼女は瞑想をしたことがないというので、ホテルの部屋で一緒に練習のための瞑想をした。
瞑想のあと、メキシコ、チチェン・イッツァでの体験について話した。
話がほぼ終わり、「この世界が多次元であることに深く気づけ」とか、「この世界には無限の解釈が存在することに深く気づけ」とか、そんなことを伝えられたようだと言ったら、その部屋の窓ガラスがバンッと鳴った。
何かがぶつかったような音。
「これで鳥が窓にぶつかっていたらびっくりだよね」と窓際に行くと、小鳥が一羽、窓の外で死んでいた。
ニュピの日の深夜から断食断眠瞑想を始めた。
翌朝、瞑想していると、目の前のガラス窓にバタバタと音がする。
目を開けると、小鳥がガラス窓にぶつかりながら、こちらに入ろうとしている。
「これはいったいなに?」
しばらくしてその小鳥はどこかへ飛んで行った。
また瞑想を始めると、一時間程して同じことが起きた。
ガラス窓で小鳥がバタバタしていた。
鳥がガラス窓にぶつかって死ぬのを見たのはメキシコが生まれてはじめてだった。
それがバリ島でも同じ体験をし、しかも今度は目の前で小鳥がガラス窓を通り抜けようとして羽ばたいていた。しかも、二回も。
バリから帰るとAkiraに会って、『タイムマシンの窓より アルバート・アインシュタイン』を預かった。
青い幾何学的な曼荼羅を背景に、四つの目を持つアインシュタインが舌を出している絵だった。
この一連の出来事を思い出した。
白いフタの青い箱についての探究はまだ続きそうだ。

