No.05278 24.09.05 セミががんばれってないてるよ

朝の散歩。
今日は気候がとてもいい。
風が少し涼しい。
日差しが柔らか。
その中をテクテク歩く。
近所の高校に通うカップルがすれ違う瞬間、女の子が言った。
「あーだけで会話しないでよ」
男の子は「あー」。
相方の声が頭に響く。
「うちと一緒ね」
あー。
さらにテクテク。
テクテク歩けるようになったが、まだかつてのスピードはない。
いろんな人が僕を追い抜いていく。
若い人が追い抜くのは当然だ。
だけど、おじさんやおばさんにも抜かれる。
年輩のおじいさんやおばあさんにも抜かれるときがある。
そういうとき、かつてのようにせっせか歩きたくなる。
頭の中の声。
「急ぐことないよ。自分は自分」
「あーゆうふうにもう歩けないのかな」
「リハビリ中に頑張らなくてもよろしい」
「そう僕は木漏れ日を味わっている」
「早く歩いても味わえるよ」
「何でもかんでも急ぎたい病が発症したな」
「まあいいけど」
「あーでもないこーでもないと頭の中でぐるぐる考えているな」
「そうだ瞑想状態になろう、考えなくて済む」
「でも、歩いているときは活発にあーでもないこーでもないってやったほうが楽しい」
「どっちでもいいよ」
「あー」
そのとき、向かい側から歩いてきた三歳くらいの男の子が、母親の手を離して僕の目の前に立った。
陸上グランドのほうを指差して「セミががんばれってないてるよ」。
もちろん、母親に向けての言葉だろうが、正面の僕と目があった。
ありがとう。その言葉、いただきました。