No.05165 24.03.08 There must be more to life than this

動画が送られてきた。
フレディ・マーキュリーとマイケル・ジャクソンのデュエットの映像。
素敵な歌だったので、翻訳してみた。

もっといい人生があるはず。
こんなことのために生きてるんるんじゃない。
愛のない世界でどうすりゃいいのさ。
傷ついた心を癒して、
泣いてる人たちの世話をするしかないのか。

もっといい人生があるはず。
見た目以上に素晴らしい。
黒か白かなんて問題じゃなく、
いのちには無限の可能性が息づいているはず。

なんでこの世には憎しみが渦巻いているんだ。
人はそこかしこで死に、
僕たちが作り上げてきたものを自らの手で壊し、
たくさんの人が人権を守ろうと死に、
そんなことに対して仕方ないと言うしかないのか。
「これが人生さ」と。

殺し合いよりもっといい人生があるはず。
僕たちが生き延びるために。
愛で満たされた世界で暮らしたい。
そうすりゃみんな平和でいられる。

もっといいいのちの活かし方があるはず。
こんなことのためにいのちはあるんじゃない。
愛で満たされた世界を願って生きる。
もっといい人生があるはず。

人生はもっと素晴らしく、
いのちは可能性に満ちている。
もっといい生き方が必ずある。
それを一緒に生み出そう。

No.05164 24.03.07 雪の日

小学生の頃、僕は冬でも半ズボンを履いていた。
乾燥した日が続くと股の内側がこすれて痛くなった。
それでも母は半ズボンを履かせたがった。
母には幼い頃に寒さに慣れると、大人になっても風邪をひきにくくなるという思い込みがあった。
だから、僕もそれに従っていた。
きっと今の基準で考えると、虐待ということになるのではないかと思う。
でも、僕は虐待とは思っていなかった。
母なりの愛情の表現だと思っていた。
他にも半ズボンで通す子は多かった。
でも、雪の日だけは長ズボンを履かせてもらった。

No.05163 24.03.06 無限の天才

去年の春にラマヌジャンのことを書いた。
「奇跡がくれた数式」という映画を見ての感想だった。
興味を感じたので原作を読んでいる。
「無限の天才」という本。
映画よりずっと詳しくて面白い。
何か一つ間違ったら、稀代の天才は単なる変人で終わっただろうことがよくわかる。

No.05161 24.03.04 社会はどう進化するのか

デイヴィッド・スローン・ウィルソンの『社会はどう進化するのか』を読んだ。
序文にテイヤール・ド・シャルダンの話が出てきて驚いた。
タイトルの通りの内容だが、少々物足りなかった。
何が物足りなかったのか考えてみた。
最初の期待が大きかったようだ。
序文に「本書は『現象としての人間』のバージョンアップ版だ」と書かれていたので、期待し過ぎてしまった。
よくまとまったいい本ではあるが、『現象としての人間』にあるような、今までに考えたことのない話ではない。
でも、読んでよかった。

No.05160 24.02.29 閏年

閏年についてあまり詳しくは知らないなと思い、ウィキペディアのページに辿り着いた。
そこで衝撃の事実を知る。
日本では閏年の算定をいまだに皇紀を使ってするそうだ。
明治31年に出された法令が今も効力を持っている。
皇紀はもう使われてないのだと思っていた。

No.05159 24.02.28 世界が変わるとしたら

世界が変わるとしたら、何が起きるのか考える。
いま世界が抱えている問題がすべて解消されるとしましょう。
どんな問題があるのか、思い浮かべてみましょう。
それらが解決されたら、世界は自然と変わりますよね。
その変化が起きないのは、自分が諦めているからかも。
もしそうなら、その諦めを手放しましょう。
変化したのちの世界を思い浮かべましょう。

No.05158 24.02.27 YouTube

映像の編集をした。
映像は文章とは全然違う。
文章ではわかりにくいと感じることが、映像の補助によってすんなりと受け取れることはあるだろう。
逆に、きっと文章なら受け取れることが、映像になると胡散臭く思うこともあるだろう。
何がどう働くのか、実験中、勉強中。

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「ヌースフィアってなに? 第11回 高次の人格を理解する7 自分について」をアップしました。
ご覧ください。
https://youtu.be/7NLSlmx8h3k

No.05157 24.02.26 蕎麦屋と本屋

蕎麦屋と本屋はかつてどの駅にも大抵あったように思う。
それが次第になくなっていった。
不景気だと言われているが、もしかすると違う問題なのかもしれない。
僕が幼い頃はいろんなものが不足していた時代から次第に豊かな時代へと移行するときだったので、商品は均一的なもので十分だった。
きちんと使えたり食べられたりすればよかった。
ところが豊かさが頂点に達すると、商品が画一的なものばかりでは売れなくなってきた。
それに不景気が重なる。
蕎麦屋と本屋はどちらも均質的な商売だった。
特徴的な蕎麦屋は現れたけど、多くは画一的だった。
本屋は日販とトーハンが出版流通を牛耳っていた。
だから特徴的な品揃えの本屋は特別な努力を強いられた。
このところ残っている蕎麦屋も本屋も、特徴的なお店が多いような気がする。
蕎麦屋は手打ちにするのは当たり前で、蕎麦をわざわざ畑で作ったり、蕎麦前を豊富にしたり。
本屋は何年か前から増えてきた特徴的な出版流通会社を使って個性的な品揃えにしたり、カフェを併設したり、文房具を売ったり、古本も扱ったり、シェア型書店にしたり。
この人本当に蕎麦が好きなんだなという人が蕎麦屋をし、本当に本が好きな人、または戦略的に発信したい人が本屋をやったりしている。
つまり、時代の要請による変化なのではないかと思う。

No.05156 24.02.25 気持ちいいものの進化について考える

生命が進化するとき、「気持ちいい」というのは大きな動機の一つだったのではないか?
きっと他にも動機はあるだろう。
例えば「強いられて仕方なく」とか「それしかしようがなかった」とか。
ここではいろんな動機のうちで「気持ちいい」ことだけに着目する。
「気持ちいい」ことが理由で進化したのは、例えば、「エネルギーを有効に取り込める」とか「子孫をたくさん残せる」とか「生息域を広げられる」とか。
それでいろんな動物がきっと進化したわけだけど、類人猿が人間になることで「気持ちいい」の範囲がきっと広がっただろう。
例えば、チンパンジーはいろんな情報を伝え合っている。
その情報で命が助かったり、食べ物を見つけたりしたら、きっとチンパンジーなりに「気持ちいい」と思うのではないか?
人間は、言葉を発することで物語ることができる。
その物語は、チンパンジーが声や身振りで伝達する以上のデータ量を含むことができる。
その結果、その大量のデータ量によってはじめて得られる気持ち良さがある。
例えばヒーローの物語を聞いたとする。
痛快な物語であればヒーローに共感して気持ちいい。
チンパンジーにはきっとそんなことは無理だろう。
つまり、「気持ちいい」は進化する。
人の心が進化することで「気持ちいいこと」も進化していく。
例えば、人間の心に次の五つの段階があったとする。

1.自分のことにしか興味が持てない段階。
2.仲間のことには興味を持つが、仲間ではないと思った人間には興味のない段階。
3.善と悪に興味を持ち、善だけを守ろうとする段階。
4.善と悪に興味を持ち、善悪を超えて調和を得ようとする段階。
5.善悪を超越してすべての存在が共存できる状態。

それぞれの段階で「気持ちいい」は変化していくはず。
人間の「気持ちいい」は、この進化の過程にあると言って良いだろう。

No.05155 24.02.22 違うことをする

似たものがたくさん集まると、なぜか自然と違うことをするようになる。
それが人間なら、掃除する人、食事を作る人、働きに行って稼ぐ人など、分業がすぐにできるからそうなるのだろうと思えるが、細菌などもそのような傾向があるそうだ。
培地を作りそこで細菌を繁殖させると、活発に動くグループと不活発になるグループができるのだとか。
働きアリはたいてい、働くアリとさぼるアリの割合が一定だという。
働いていたアリだけ集めても、さぼっていたアリだけを集めても、また同じ割合になるのだそうだ。
働いているアリはみんな違うことをしてあっというまに分業が始まり、さぼるアリは休むのが仕事になっているのかもしれない。
似たような単細胞生物が集まりグループを作ると、少しずつ役割が出来てくるのだろうか?
とても単純だと思っていた生物が、実はコミュニケーションの結果、そのようになっていくのだとしたら、それはどのような原理に基づいているのだろうか?
相方と僕は、別々に暮らしていたときには似た人のように思っていたが、一緒に暮らすようになると違いが目立つようになった。
生命はみんなそんな感じなのかな?