ちょっと前に相方と、お腹を減らして銀座コリドー街を歩いたことがある。
夕飯を食べるにはちょっと遅く、すでに飲み会たけなわな時間であった。
「どこか適当に入ろう」と言っては見たものの、やはり店の様子を窺いながら、端から端まで歩いてしまった。
どこのお店も混んでいた。
「まあいいや」という感じで、一軒の飲み屋に入った。
とにかく何か食べたかった。
席に着くと目の前にタイルの壁があり、蛇口がニョキッと突き出ていた。
メニューを見てびっくり。
「蛇口から焼酎60分無料」
昔、僕がまだ子供の頃、いつか水道のように牛乳が出てくるようになると本気か嘘かわからないような話を聞いたことがあった。
それの焼酎版が、現実に、目の前にあった。
焼酎を割るためのお湯やお茶や、その他いろんなドリンクを頼み、食べ物も頼む。
もちろん、ストレートやロックも可。
60分が過ぎると、330円で30分ずつ延長できる。
酒呑みには夢のようなシステムだ。
若い頃に来たかった。
飲む気満々のあなたに教えてしんぜよう。
店名は「大衆蛇口酒場ぎん天」。
No.05116 23.12.21 震電
上映回数が減り、もうスクリーンでは見ることができなくなるかもしれないというタイミングで、映画「ゴジラ-1.0」を見た。
いろんな点でウルッとした。
怪獣映画でウルッとするのはおかしいと思うかもしれないけど、理由を聞けば納得してもらえると思う。
僕は仕事で、生き残った特攻隊員の皆さんにインタビューしてまわったことがある。
命を賭けて戦いに行くが、さまざまな理由で生き残ってしまった人たちは、帰ってくるといろんなところでなじられたそうだ。
そのときの心の傷をどのように癒していったかも伺った。
「ゴジラ-1.0」では主人公がその立場で、あちこちで悔しい思いをさせられる。
それで、主人公の言動にどうしても心動かされてしまった。
終わりのシーンで、震電という飛行機が活躍する。
それにまた泣かされた。
震電は終戦間近に完成したので、実戦に投入されていない。
震電の開発に携わっていたかたの娘が友人にいて、三年前にその話を聞いていた。
生前は父親がそんなことをしていたとは知らず、亡くなって十数年して遺品を紐解いたらそのことについて詳細に書かれたノートや写真が見つかったという。
ノートにはテスト飛行しかできなかった震電のことが事細かに書かれていたそうだ。
戦争が終わってから一機がアメリカの手に渡るが、そのことを昭和42年の毎日グラフが取材していて、その雑誌も大切に保管されていた。
「アメリカに眠る日本の翼」と題された特集記事に、多くの日本製の戦闘機は箱詰めされて大事に保管されたと書かれていたが、震電はなぜか野晒しにされたと書かれ、残酷なことに朽ち果てた写真も掲載されていた。
娘さんは「父はどう思っただろう?」と呟いていた。
その後、その扱いは問題だと思ったらしく、スミソニアン航空宇宙博物館に移され、コックピットの部分だけ展示されるようになったそうだ。
その話を聞いて「そりゃお父さんよっぽど悔しかっただろう」と思っていたので、「ゴジラ-1.0」で震電が自由自在に飛び回り、ゴジラを追い込んでいくシーンを見て泣けて泣けて。
僕よりも、娘さんのお父さんがあの勇姿を見たかっただろうと思う。
震電はプロペラが後部についている珍しいフォルムで、飛行する姿がとても美しい。
海面ぎりぎりを飛ぶさまを空から撮影したシーンが脳裏に焼き付いた。
娘さんのお話のおかげで「ゴジラ-1.0」の深い部分を味わわせていただいた。
娘さんの淡々としたお話はこちらで聞くことができる。
https://www.youtube.com/watch?v=ppoCWnnyJOk
No.05115 23.12.19 A Symphonic Celebration – Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki
タイトルのアルバムを聞いた。
聴き始めて泣いてしまった。
楽曲や音が素晴らしかったのはもちろんだが、いろんな思い出があふれだした。
まず僕は久石譲が映画音楽を書き始める前から知っていた。
高校一年のとき、映画「ロッキー」がヒットし、それをブラスバンドで演奏することになった。
確かリットーミュージックの吹奏楽団用スコアの編曲を久石譲がしていた。
映画ではCでファンファーレが始まるのだが、久石の編曲ではE♭で始まっていた。
その方が楽器の特性上よく響くのだ。
他にも、これ間違いかなと思うほどきめ細かい編曲がしてあった。
リピートの部分、一度目はテンションのかかった音を吹かせておいて、二度目はテンションのかからない音にするなど。
それで久石の名前を覚えた。
しばらくすると、ヤマハのニュー・サウンズ・イン・ブラスの編曲も始めた。
つまり、ちょっと格が上がったように感じた。
リットーミュージックの楽譜は手書きを印刷したものだったが、ヤマハは綺麗に機械によって印刷されていた。
大学生の頃に「風の谷のナウシカ」の音楽をやっているのを知る。
すごいなあと思った。
それからの活躍は皆さんのご存じのとおり。
そして、今回はドイツ・グラモフォンから「A Symphonic Celebration – Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki」を発売した。
グラモフォンはクラシック音楽のレーベルとしては一番と言っていい名門。
そこから発売されていたカラヤンのアルバムを昔よく買った。
でも、この思い出は泣くような種類の思い出ではない。
次に思い出したのは、母のことだ。
氷川台にシェ・ソワというフレンチのレストランがある。
そこの料理がとても美味しい。
単に美味しいだけでなく、とても懐かしいのだ。
何度かかよううちに、その理由がわかった。
シェフがプリンスホテルで修行したのだ。
昔、苗場や軽井沢、箱根など、何度か食事したことがあった。
母がプリンスホテルの味が好きだった。
生前「練馬には美味しい店がない」と文句を言っていた。
だから、母をシェ・ソワに連れて行きたかった。
そこでのBGMはいつも久石の曲なのだ。
こういう思い出が積み重なって泣けてしまう。
歳を取るとはそういうこと。
タイトル通り、まさにセレブレートしてもらった気がする。
No.05114 23.12.17 厚手のフリース
去年、厚手のフリースを買った。
ユニクロで、確か3000円前後だった。
これが思いのほか あったかい。
内側が薄着でも寒い夜に出ていける。
軽いし安いので革ジャンよりいいかも。
No.05113 23.12.16 パコラバンヌ・ブール・オム
大学生の頃、母が「男も身だしなみのためにフレグランスくらいつけなさい」とパコラバンヌ・プール・オムを買ってきた。
照れくさいので断ったが、次第につけるようになった。
10年くらい同じものをつけていたが、ある時から香りが変わったように感じた。
天然香料が使えなくなってきた時代だった。
今も売っているようだが、あの香りではないよなと思うと、余計に懐かしくなる。
No.05112 23.12.15 人類の役割
ペンキ画家のショーゲンさんが「人類が生まれてきた役割は祝福すること」と言っていた。
ブンジュ村の村長さんから教わったという。
それを聞いて僕は感激したのだが、そこから思ったこと。
人間は何でもかんでも名前をつける。
名前をつけることで言葉にし、会話に使う。
これこそが祝福の深い意味だなと思った。
No.05111 23.12.14 また小鳥が来た
今日は曇り空だったけど、あの小鳥たちがまた二羽で来た。
昨日の二羽かどうかは残念ながらわからないけど、同じように来て、今回はかなり慣れた雰囲気だった。
どんなふうに慣れていたのかというと、昨日はバードコールを鳴らすとすぐに飛んでいってしまったが、今日はベランダの手すりでキョロキョロしていた。
バードコールを鳴らしても飛び立たず、この鳴き声はどこからしているのかと探っているようだった。
ガラス窓の内側は鳥からは見にくいのだろうか?
少しずつ慣れて、そばに寄れたらいいな。
No.05110 23.12.13 小鳥が来た
バードコールでやり取りをしていた小鳥がベランダに来た。
ベランダの手すりに止まって鳴いてくれた。
ピーッピーッ
窓の内側から写真を撮り、すぐにバードコールで返事した。
ピー、ピー
彼は飛び去った。
両思いになるのは難しい。
しばらくしたら、二羽で来た。
ピーッピーッ
すぐにバードコールで返事したが、やはり飛び去ってしまった。
初対面はそんなもの。
No.05109 23.12.12 金枝篇
父の書斎に英語の厚い本があった。
それが「The Golden Bough 金枝篇」だった。
当時は何の本だったが分からなかったけど、父が死んでから初版の日本語訳を読んだ。
それでこの膨大な著作の全貌を知った。
初版は二巻で出版されたが、版を重ねて三版は11巻の作品となり、さらには索引と文献目録、補遺が追加され、全13巻にもなった。
作者のフレーザーは、それでは一般読者は読まないだろうと、後日簡約本を出版する。
岩波文庫の金枝篇は全5巻だが、この簡約本の翻訳だという。
13巻ある完全版の日本語訳は出ないものかと思っていたが、国書刊行会が全10巻別巻として、第8巻まで出しているのを知った。
どの巻も一万以上するし、専門家でもないので買うのは控えていたが、誘惑に負けて第1巻を買ってしまった。
そもそも父は大学でエリオットの研究をし、中央公論社に入ってからエリオット全集の編集をした。
エリオットの代表作「荒地」は金枝篇の内容を骨格にしているという。
全訳がでたら父はきっと読みたかっただろう。
第1巻のページを開くと、父に全巻揃えろと催促されている気がした。
No.05108 23.12.11 ココ
母が買ったシャネルのフレグランスが今もうちにある。
40年くらい前に買ったものだからきっと香りは当時のものとはもう違うのではないかと思う。
でも、今でもいい香りがする。
母はココをほとんど使わなかった。
ゲランのミツコが好みだった。
おかげさまでこの香りをいまでも嗅げる。

