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No.05136 24.01.21 言霊とは何か?
生物の遺伝子をもし書き換えたとしたら、何が起きるだろうか?
多くの場合、その遺伝子から生命は産まれなくなる。
もし産まれたとしても、育ちにくい生命が生まれる。
優れた生命が生まれることはとてもまれなはずだ。
結果として、生き残るのはこのまれな生命である。
だから、遺伝子が書き換えられて生き残るものだけが命を継続し、結果として遺伝子が書き換えられることはいいことのように思われてしまうのかもしれない。
しかしそれは多くの犠牲の上に成り立つものだ。
書き換えられた結果うまく生きられなくなった生命という犠牲の上に。
書き換えられてもうまくいく確率はどのくらいのものなのだろう?
言葉は現実を正しく伝えるために作られたが、嘘をつくことができる。
嘘をつくと言葉は現実を正しく伝えることをやめる、できなくなる。
だから、言葉は正しく使わなければならない。
しかし、人間は間違えてしまうものだ。
正しく使うためには学ばなければならない。
言葉を正しく使うことができる人は、正しく組み合わされた言葉によって信頼を得る。
信頼が積み重なることによって言霊が生まれる。
そういうもんじゃないかな?
No.05135 24.01.18 龍の話
12年前の辰年には龍の話なんてほとんどしなかったように思う。
ところが、今年はあちこちで龍の話を聞く。
なぜかな?
伊勢神宮の式年遷宮も、前々回には気にする人はあまりいなかったのに、平成25年には知らない人はいないというような状態になった。
大切なものを思い出そうとしているようだ。
No.05134 24.01.17 温泉宿のタオル
温泉宿のタオルはペラペラなやつが好き。
楽にしぼれるから。
少し厚いタオルはしぼるのに余計な力がいる。
だから、いっそのこと、手ぬぐいがいいのかも。
でも、昨今手ぬぐいの方がタオルより高い気がする。
うちでお風呂に入るとき、手ぬぐいを使ってみようかな。
No.05133 24.01.16 悩む
正しい悩みはいいものだと思う。
世の中は複雑だ。
簡単な答えが見つからないとき、正しく悩む。
A国とB国が戦争しそうだとしよう。
回避の方法はなかなか見つからないかもしれない。
それでも方法を探る。
それが尊い。
どちらかの国にとっての簡単な答えは、多くの命を奪う。
そういうとき、悩むべきだ。
相手を負かして解決すると、それが次の問題を生む。
命を粗末にしてはならない。
No.05132 24.01.15 愛に傾いている
国の指導者が戦争をしたがっても、フェイクな情報を流しても、一般民衆はもう戦争にはなびかない。
戦争をしようとすればするほど、ボロが露呈している。
一般民衆は愛に傾いている。
冷静に情勢の推移を見つめている。
No.05131 24.01.13 まるでこたつソックス
ちょっと前に「まるでこたつソックス」をいただいた。
膝下まである長い靴下。
生地が厚くてフカフカなので、これを履くととても暖かい。
追加で買おうかとアマゾンを開いたら、一ヶ月で女性用は二万点、男性用は九千点以上売れ、男性用は品切れ状態。
足が冷える人におすすめ。
No.05130 24.01.11 おしゃべりする店員さん
某ファミレスに行ったら、ロボットが料理を持ってきてくれた。
まだ珍しいからいいけど、やっぱり人が運んできてくれて、対応してくれた方が嬉しい。
できれば場を和ませてくれるような冗談など言ってくれたらなお良い。
人を大切にしてくれるお店だとわかる。
No.05129 24.01.10 魔法
毎日のように魔法を目の当たりにしている。
でも、当たり前になってしまったことは魔法のようには思えない。
なぜ原子は分子になりたがるのか?
なぜ分子は不安定なはずの巨大分子になっていくのか?
なぜたくさんの巨大分子がタンパク質になるのか?
なぜいろんな種類のタンパク質が積み重なって単細胞生物になるのか?
なぜいろんな種類の単細胞生物ができるのか?
なぜいろんな種類の単細胞生物が協力し合うのか?
なぜ協力し合っていた単細胞生物が多細胞生物になったと思えるのか?
なぜ多細胞生物は進化ののちに社会を作るようになるのか?
なぜ社会を作るようになった多細胞生物は個体間でコミュニケーションを始めるのか?
なぜコミュニケーションが複雑になり、いつしか言葉を生み出すのか?
なぜ言葉によって言葉以前の生命ができなかったことができるようになるのか?
理解できるのは、複雑性が増すと魔法が現れてくるかもしれないこと。
多数決で社会を動かしているうちは、このような魔法はきっと現れてこないだろう。
No.05128 24.01.09 華厳経は何が面白いの?
それには簡単には答えられない。
華厳経にはいろんな内容が精緻に折りたたまれ、比喩となり、こちらの知識を刺激して、解明してくれるから。
例えば、毘盧遮那仏を宇宙と見立てると、現代の宇宙物理学を教わっているかのように思えてくる。
如来や菩薩の会話の構造は、ホロンに関して教えられているようだ。
その内容がなぜ言葉にしにくいのかというと、第一章にあたる寂滅道場会の最後に童子(こどもor青年)が出てきて、仏と会話をし、悟りとはどれだけ素晴らしいことかと話すのだが、その会話はほんの五十行程度で終わる。
華厳経の最終章である入法界品では、文庫本三冊で善財童子がどのように悟っていくかが示される。
その方法は基本的には悟ったといわれる人たちに会って、その話を聞いていくだけなのだが、いろんな人に会い続けるうちに次第と童子の心の中に生まれてくる内容が大きくなっているだろうことが読み手に推測され、書かれていることが理解されるのと同時に、書かれていないことも大きく膨らんでいく。
何度も何度も似た話を繰り返されたりもするが、そのことによって、その内容のわずかな違いが大切であることに気付かされ、そのわずかな違いに注意を払い出すと、その理由が見えてくるようになる。
寂滅道場会の最後に五十行程度で記されていたことが、実は如来になると文庫本三冊分の膨大な知恵になっていることが明確になる。
つまり華厳経で教えてもらうことは、言葉で簡単に教えてもらうことがどれも、実はものすごい時間や空間や人々の会話や、深い知恵によって作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解し、常にそのことを背景にあらゆることを感じるというのはどういうことであるかに目覚めていることとはどういうことかを伝えてくれている。
つまりそれは、どんなに簡単に思える存在でも、実はものすごい時間や空間や生死を通して作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解することであり、それに目覚めた状態で世界と対峙するとはどういうことかを教えてくれる。
だから、読む人によって見えてくるものはきっと違い、その違いがガンジス川の砂粒の数ほど多いのだろうことが理解される。

