酒を飲んでいて友人に不意に「自分にとって祈りとはどういう意味があるのか?」と問われた。
いろんな意味があるだろうけど、酒の席で答えられるような粋な答えは浮かばなかった。
二日ほどしてふと思いついたこと。
酒の席向きの答えではないが、ある答えが降りてきた。
「生きていなさい」
母の言葉だった。
なぜか母はことあるごとに「生きていなさい」とか「死んだらダメよ」とかよく言った。
僕は死ぬ気はないし、生きているのが当たり前と思っていたので、なんでそんなことを言われるのか理解できなかった。
酒席の問いで、あれは母の祈りだったんだなと理解できた。
No.05329 24.12.12 柿をひとつ食べる
四切れに分けた柿を食べた。
ひとつめ、口に含むと甘い。
思わず美味しいと思った。
二つめ、この甘い柿はどこになったのだろうと思う。
柿の木がたくさん植えてある柿の木畑のようなところがあるのだろうかと想像する。
三つめ、そういえば柿にもきっと個性があるのだろうと思う。
どこで育てられ、どんな肥料を与えられ、どんな収穫をされたのか、どんな木から採られた種でできたのかなど。
食べ物ひとつ一つの特殊性など、普段はまったく考えてないなと思った。
四つめ、特殊性はどんな食べ物にもあって、人間は、特に僕は、そんなこと何にも考えずに柿は柿、キャベツはキャベツ、豚肉は豚としか考えずに、マルッと「同じ物」という意識しかなかったなと反省をした。
今日の昼食後の柿食べながら。
No.05328 24.12.10 開高健ゆかりのバー
開高健ゆかりのバーに連れて行ってもらった。
ライターになってはじめての仕事が開高健がかつて編集長をしていた雑誌だった。
それをきっかけに何冊も著書を読んだ。
文章が洒脱で。言い回しがすごい。
1989年に亡くなったのに、いまだに親しかった人たちが命日に集まってくる。
僕がパイプを吸えるようになったのは開高健のエッセイのおかげ。
No.05327 24.12.07 銀座の歩行者天国
銀座で歩行者天国がおこなわれるようになったのは1970年というから、54年の歴史があることになるが、それ以前から小さな通りではときどき行われていたそうで、東京では明治20年(1887年)には神楽坂の縁日でおこなわれていたという。
縁日で通行止めになることも歩行者天国だと考えると、日本には昔からあったことなんだなと思える。
1970年頃、正確にはいつだったか思い出せないが、銀座のホコ天(歩行者天国)を歩いた記憶がある。
当時は車道を自由に歩けるのが新鮮に感じた。
しかし、やはり車道を歩くということで、多少の遠慮を感じたし、歩行者もさほど多くはなかった。
ところが今日行ってみると、海外から来た人を中心にたくさんの人が歩いていた。
まっすぐ歩くのが困難なほど。
そこに来たいろんな人の幸せそうな雰囲気が良かった。
No.05326 24.12.06 転換点
なんだかはっきりとはわからないけど漠然と、時代の転換点にいるなと思う。
マスメディアが流していた情報が絶対的なものだと思われていたけど、それが変化しつつある。
その変化のおかげで、隠されていたことが次々と明らかになる。
理由のわからなかったことが理解できてくる。
これがもっと促進されれば、気持ちが落ち着く人が増えるだろう。
でも、古い体制を守ろうとする人もいるから、しばらくはギクシャクするかも。
ギクシャクが過ぎて人類滅亡の淵には立ちませんように。
No.05325 24.12.05 韓国の戒厳令解除
真夜中に韓国のサイトを開けると、戒厳令が敷かれたと発表されていた。
どうなるんだと心配したが、僕が心配してもどうにもならないので寝た。
翌朝解除されていてひと安心。
軍事政権になっていたらどうなっていたんだろう?
色々と想像する。
No.05324 24.12.04 自転車のお爺さん
朝、散歩していると、自転車に乗ったお爺さんがヨロヨロと抜いて行った。
しばらく走って行くと自転車を止めた。
自転車から降りて、落ちていたビニール袋を拾って、自転車のカゴに入れた。
カゴには瓶やらプラスチックやら、自然には分解しないようなものがたくさん入っていた。
そういうゴミを集めているらしい。
偉いお爺さんだ。
No.05323 24.12.03 美しい夕焼け
今日の夕焼けが美しかった。
サーモンピンクと明るい水色が溶けていた。
見知らぬお婆さんが夫と思われるお爺さんを立たせ、夕焼けを背景にスマホで写真を撮っていた。
No.05322 24.12.01 久しぶりの烏帽子岩
烏帽子岩を見に行った。
「太一〜UFOに乗った少年」クライマックスの舞台。
カラスがぼんやり見つめていた。
もうすぐ夕焼けの頃。
斜めの日差しが眩しかった。
No.05321 24.11.30 給湯器の交換
給湯器が壊れたので交換した。
20年が耐久期間と言われていたのが、21年使っていたので仕方ない。
古い給湯器にはお疲れ様ということだ。
人間、なくなってからその大切さを痛感するとはよく言われることだし、それは何度も体験してきたが、今回もそれをとても感じた。
食器洗うのに手が冷たくなるから休み休みしかできないし、お風呂には入れないし、顔洗うにも冷たかった。
給湯器さん、ありがとう。
これからもよろしくね。

