世界が変わるとしたら、何が起きるのか考える。
いま世界が抱えている問題がすべて解消されるとしましょう。
どんな問題があるのか、思い浮かべてみましょう。
それらが解決されたら、世界は自然と変わりますよね。
その変化が起きないのは、自分が諦めているからかも。
もしそうなら、その諦めを手放しましょう。
変化したのちの世界を思い浮かべましょう。
No.05155 24.02.22 違うことをする
似たものがたくさん集まると、なぜか自然と違うことをするようになる。
それが人間なら、掃除する人、食事を作る人、働きに行って稼ぐ人など、分業がすぐにできるからそうなるのだろうと思えるが、細菌などもそのような傾向があるそうだ。
培地を作りそこで細菌を繁殖させると、活発に動くグループと不活発になるグループができるのだとか。
働きアリはたいてい、働くアリとさぼるアリの割合が一定だという。
働いていたアリだけ集めても、さぼっていたアリだけを集めても、また同じ割合になるのだそうだ。
働いているアリはみんな違うことをしてあっというまに分業が始まり、さぼるアリは休むのが仕事になっているのかもしれない。
似たような単細胞生物が集まりグループを作ると、少しずつ役割が出来てくるのだろうか?
とても単純だと思っていた生物が、実はコミュニケーションの結果、そのようになっていくのだとしたら、それはどのような原理に基づいているのだろうか?
相方と僕は、別々に暮らしていたときには似た人のように思っていたが、一緒に暮らすようになると違いが目立つようになった。
生命はみんなそんな感じなのかな?
No.05153 24.02.20 コミュニケーションによる共生
人類はずっと「もう人間は変わらない。進化の究極が人間」と思い込んできた。
ところが、丁寧に観察すると、人間は少しずつでも進歩していることがわかる。
技術的にはこの数十年で飛躍的に進歩した。
ところが、その技術を支える人間の心はどうだろう?
戦争を許容しているという一点で、ほとんど進歩していない、と考えることに賛同してくれる人は多いのではないかと思う。
だけど、心理学は進歩した、スピリチュアルな価値は高まった、しかし、心を病んでいる人は増えているような気がする。
なぜだろうか?
たった一つのことに責任を負わせることは正しくないと思う。
様々な要素の莫大な繰り返しが、些細な問題を増幅しているように感じる。
だとすると、もう人間には手の打ちようがない。
そんなことを考えてしまうのも致し方ないようにも思える。
でも、もし人間が万物の霊長だとしたら、常に自分という存在を超えていかなければならない。
様々な要素の莫大な繰り返しを適切に使うことを人間は覚えたはずだ。
もし適切でないなら、どの部分が適切ではなく、どの部分をさらに伸ばしたらいいのか、考えるべきだ。
日本の国会では議論するのを諦めている。
これは最もしてはならない態度だろう。
では、何を改めたらいいのか?
過去のやり方を手放さなければならない。
手放して、新たなやり方を試していくべき。
どんなやり方を?
まずは多数決を手放し、議論によってシステムの精度を高める方法とそれを進めるための態度を学ばなければならない。
議論するとき、勝ち負けを手放す。
どういうことかというと、勝ったものを推し進め、負けたものは諦めるのではなく、負けたものにも可能性を与え続けることで、一時的には勝った論に席を譲っても、充分に成熟した論であれば再び議論の席に戻れる可能性を残しておく。
そのような考え方が大切になるのではないか?
議論に費やす時間は増えることになるだろう。
大きな権力を握ったものには厄介な考え方だろう。
でも、そのようにしていかない限り、もう人類の存続は難しい状態になってきた。
単純な仕事はみんなロボットやAIに任せて、人間でなければできない仕事に注力できるよう、その基礎を作るべき時が来た。
No.05145 24.02.05 雪の結晶
雪の結晶は121種類あると言われている。
水の分子構造のためにそうなるのだとか。
分子構造を肉眼で見ることはできないが、それが積み重なって現れてくる結晶の形は目に見える。
目に見える全てのものが分子の積み重ねでできているから、当たり前と言えば当たり前だが、同じ水分子が重なり合ってできる結晶が121種類もあるのが不思議。
同じ分子が積み重なって、そんなにたくさんの種類の形が表れてくるって、他の物質にもあるのかな?
No.05128 24.01.09 華厳経は何が面白いの?
それには簡単には答えられない。
華厳経にはいろんな内容が精緻に折りたたまれ、比喩となり、こちらの知識を刺激して、解明してくれるから。
例えば、毘盧遮那仏を宇宙と見立てると、現代の宇宙物理学を教わっているかのように思えてくる。
如来や菩薩の会話の構造は、ホロンに関して教えられているようだ。
その内容がなぜ言葉にしにくいのかというと、第一章にあたる寂滅道場会の最後に童子(こどもor青年)が出てきて、仏と会話をし、悟りとはどれだけ素晴らしいことかと話すのだが、その会話はほんの五十行程度で終わる。
華厳経の最終章である入法界品では、文庫本三冊で善財童子がどのように悟っていくかが示される。
その方法は基本的には悟ったといわれる人たちに会って、その話を聞いていくだけなのだが、いろんな人に会い続けるうちに次第と童子の心の中に生まれてくる内容が大きくなっているだろうことが読み手に推測され、書かれていることが理解されるのと同時に、書かれていないことも大きく膨らんでいく。
何度も何度も似た話を繰り返されたりもするが、そのことによって、その内容のわずかな違いが大切であることに気付かされ、そのわずかな違いに注意を払い出すと、その理由が見えてくるようになる。
寂滅道場会の最後に五十行程度で記されていたことが、実は如来になると文庫本三冊分の膨大な知恵になっていることが明確になる。
つまり華厳経で教えてもらうことは、言葉で簡単に教えてもらうことがどれも、実はものすごい時間や空間や人々の会話や、深い知恵によって作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解し、常にそのことを背景にあらゆることを感じるというのはどういうことであるかに目覚めていることとはどういうことかを伝えてくれている。
つまりそれは、どんなに簡単に思える存在でも、実はものすごい時間や空間や生死を通して作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解することであり、それに目覚めた状態で世界と対峙するとはどういうことかを教えてくれる。
だから、読む人によって見えてくるものはきっと違い、その違いがガンジス川の砂粒の数ほど多いのだろうことが理解される。
No.05121 23.12.30 揺らぐ
風になびくカーテン。
輝く水面。
せせらぎ。
遠くから聞こえてくる喧騒。
瞬く星々。
原子核のまわりをめぐる電子や、銀河を巡る星の流れにも、それを感じてみたい。
No.05100 23.12.01 神は内側に
原子が連なりいろんなものになる。
分子が高分子になり、高分子がタンパク質になり、いつしか生命が形作られる。
無機物が有機物になるとか、命のないものが命を得るとか考えるけど、ひょっとして原子にはすでに命の端緒が含まれているのではないか?
含まれているというより、生命そのものかも。
もしそうだとすると、どんなものにも命の端緒が含まれていて、無生物と生物との境界は、実はないのではないか?
人間が原子の生み出す現象をどのように見るか、解釈するかで、見えてくるものが変わるのではないか?
だから、、、
No.05091 23.11.15 水と二酸化炭素から軽油を作る
京都大学名誉教授の今中忠行氏が水と空気中の二酸化炭素から軽油を作る技術を確立したという。
水に紫外線を当て、そこにマイクロバブルにした酸素と二酸化炭素を通すと軽油ができてくるそうだ。
技術の細かいことは論文になっていて、各国の特許も取っているとのこと。
生成機器に使う全電力より生まれる軽油によるエネルギーの方が多くなるという。
信じられない技術を生み出した。
これが本当なら世界の在り方が変わってしまうかも。
No.05070 23.10.17 エンカウンターズ-UFOとの遭遇
ネットフリックスの新番組に「エンカウンターズ-UFOとの遭遇」がある。
UFOとの遭遇に関するドキュメンタリー番組。
第一回には福島での原発事故以降の話が出てくる。
隠されていた出来事が少しずつ明らかにされてくる。
No.05061 23.10.02 1970年の日本万国博覧会
1970年の万国博覧会は日本中の憧れだった。
月の石を見に行きたかった。
手塚治虫が作ったという物語生成マシーンを使ってみたかった。
いろんな国のパビリオンを見て歩きたかった。
でも、行けなかったのが残念。
うちにはなぜか、松下電器のタイムマシーンのミニチュアがあった。
そのタイムマシーンの中心には、赤い豆本が設置されていた。
いま調べたら、正しくは「タイム・カプセルEXPO’70」というそうだ。
https://panasonic.co.jp/history/timecapsule/

