No.04814 22.08.10 愛の根源は光

太陽がどのようにしてできたかは、未だに新説が生まれていてはっきりとはしてないようですが、太陽ができなかったら地球に生命が生まれなかったことだけははっきりとしているでしょう。
生命が生まれたのはもしかしたら海底の熱水からかもしれませんが、その生命が海に広がり、光合成の能力を得て進化し、広がっていくためには、太陽の光とそこから生まれる熱が欠かせませんでした。
おかげで生命が進化し、今の状態に地球が育ってきたのです。
その環境の中で人間が生まれ、言語を得ていまの状態を作りあげたとするなら、僕たちがやりとりする「愛」の根源が、実は光だと言っても、まったくの嘘だとは思えません。
電磁波は、いろんな情報を含むことができます。
光も電磁波です。
僕たちが理解できない情報が含まれていたとしても、不思議ではないように思います。

No.04786 22.06.20 人間にとっての他の生命

何かの本で、地球上の哺乳類のうち、野生動物はたった4%でしかないというのを読んだ。
ショックだった。
つまり人間と畜産動物とペットが哺乳類の96%をしめている。
それを読んでこんなことを考えた。
人間が哺乳類のほとんどを自分の意図のままに使っていると。
そして、使うだけではなく、ほとんど食べている。
とてもバランスが悪いように感じる。
自分のからだを例として考える。
脳がもっとも大切な部位だから、あとの細胞はどうでもいいと脳が考えていたらどうだろう?
脳に栄養を送るために他の細胞はすべて犠牲にする。
そんなバランスで健康な身体が保てるだろうか?
だからと言って、バランスを取り戻すために人間を殺せとは思わない。
人間にとって他の生命がどんな価値のある存在なのか、よく考えなければならない。
いま僕たちが信じている「ものの考え方」を少し変えた方がいいのかもしれない。
その結果、自然とバランスが取り戻せるのが理想ではないか?

No.04784 22.06.18 肉食動物が生きているのは草のおかげ

草食動物が元気に生きるためには広い草原が必要。
草原が狭いと、食べ尽くして終わってしまう。
肉食動物は、草食動物がたくさんいないと生きていけない。
草食動物を食べ尽くしてしまったら、肉食動物は生きていけない。
だから、肉食動物が元気に生きて行くためには、たくさんの草食動物と、それを支える広い草原が大切。
でも、動物園には草原はない。
人間が草や餌を持ってきてくれるから。
それでいつしか忘れてしまう。
肉食動物は草食動物のおかげで肉食動物になれたこと。
草食動物は草原のおかげで草食動物でいられたこと。
人間も、便利になることで、いろんなおかげを忘れてしまう。
宗教には、それを忘れないための仕組みがあった。

No.04732 22.04.01 いのちとして生まれる

この宇宙にいったい何個の原子があるのかわからないけど、そのうちで「いのち」の一部になれるものはいくつあるのだろう?
極めて少ない数の原子が「いのち」になれるのだろうと思う。
でも、それは人間のものの見方。
すでに原子はすべて、「いのち」の一部なのかも。

No.04716 22.03.08 理解し得ないもの

理解し得ないもの、それが「いのち」。
どんなに単純な構造をした「いのち」でも、誰もその全貌を理解し得ない。
理解すれば理解するほど謎が増える。
掘れば掘るほど掘るべき先が現れてくる。
いつまでも永遠に絶えることなく掘ることを楽しめそうだ。

No.04707 22.02.17 太陽

万物にエネルギーを与えてくれるめぐみの存在。
太陽にはいくら感謝しても感謝しきれない。
でも、あまりにも当たり前な存在なので、普段はそんなことを忘れている。
誰かと一緒。
ありがとう。

No.04664 21.11.22 マルチスピーシーズ人類学

『モア・ザン・ヒューマン』というマルチスピーシーズ人類学についての本を読んでいる。
人間は環境がないと生きていけない。
それは、どんな動物にも当てはまること。
しかし人間はそれをおろそかにしてきた。
環境を大事にするとはどういうことか?
それは、そこに生きている生命をすべて大事にすることかもしれない。
だとすると、そこに生きている動物すべてに、人間と同じような権利を認めることが必要かも。
そのようなことを探るためのマルチスピーシーズ人類学。
人間だけをどんなに大切にしても、環境が大切にされなければ、結果として人間も大切にされてない状態が生まれる。

No.04657 21.11.15 揺れ動く複製子

複製子は、環境がないと複製子になれない。
遺伝子は、細胞がないと遺伝子として機能しない。
言葉は、言葉を使用する人々が存在しないと機能しない。
だから、複製子にとって環境は非常に大切なもの。
遺伝子だけを切り取って、そこに意味を探しても、時間とともにその意味は失われていく気がする。
それは言葉と同じなのでは?