No.05144 24.02.04 ドーキンスが語る飛翔全史

『ドーキンスが語る飛翔全史』という本を読んでいる。
テーブルに置いてコーヒーを淹れていたら相方が「どうして鳥って飛べるようになったの?」という。
その質問に真面目に答えるには、一冊の本をきちんと説明しなければならない。
いや、この一冊を全て説明しても謎が残るだろう。
以前ダイビングしたときに、上を泳いでいく魚の群れを見たことを思い出した。
まるで鳥が空を飛ぶように泳いでいた。
人間の常識からは知りようのないことを生命はやり遂げていく。
それは、人間が駆使する言語的知識で動いている訳ではないからだろう。
言葉を超えた何かに想いを馳せる。

No.05138 24.01.23 江の島

江の島はかつて橋ができるまでは、干潮のときだけ歩いて行ける島だった。
そのような場所は寺院ができやすい。
例えば、フランスのモン・サン・ミッシェル。
バリ島にはタナロット寺院がある。
潮汐の力で行ける場所。
その不思議な力に人々は神を見たのだろう。

江ノ島縁起という古文書には欽明天皇13年(西暦552年)に江の島ができたという記述があるそうだ。
江の島ができるまではその辺りは五頭龍が悪さをして、山崩れや洪水を起こしていたという。
江の島ができると一緒に天女が降りてきた。
その美しさに五頭龍は求婚するが、天女はそれまでの五頭龍の悪行を知っていて断る。
五頭龍は心を入れ替えて、村人たちの助けになることをたくさんして天女と結ばれたそうだ。
おそらく江の島ができたことで、地盤が隆起し、そのあたりの土地が以前より安定したのだろう。
関東大震災のときにも、江ノ島の一部が隆起したことが知られている。

No.05116 23.12.21 震電

上映回数が減り、もうスクリーンでは見ることができなくなるかもしれないというタイミングで、映画「ゴジラ-1.0」を見た。
いろんな点でウルッとした。
怪獣映画でウルッとするのはおかしいと思うかもしれないけど、理由を聞けば納得してもらえると思う。
僕は仕事で、生き残った特攻隊員の皆さんにインタビューしてまわったことがある。
命を賭けて戦いに行くが、さまざまな理由で生き残ってしまった人たちは、帰ってくるといろんなところでなじられたそうだ。
そのときの心の傷をどのように癒していったかも伺った。
「ゴジラ-1.0」では主人公がその立場で、あちこちで悔しい思いをさせられる。
それで、主人公の言動にどうしても心動かされてしまった。
終わりのシーンで、震電という飛行機が活躍する。
それにまた泣かされた。
震電は終戦間近に完成したので、実戦に投入されていない。
震電の開発に携わっていたかたの娘が友人にいて、三年前にその話を聞いていた。
生前は父親がそんなことをしていたとは知らず、亡くなって十数年して遺品を紐解いたらそのことについて詳細に書かれたノートや写真が見つかったという。
ノートにはテスト飛行しかできなかった震電のことが事細かに書かれていたそうだ。
戦争が終わってから一機がアメリカの手に渡るが、そのことを昭和42年の毎日グラフが取材していて、その雑誌も大切に保管されていた。
「アメリカに眠る日本の翼」と題された特集記事に、多くの日本製の戦闘機は箱詰めされて大事に保管されたと書かれていたが、震電はなぜか野晒しにされたと書かれ、残酷なことに朽ち果てた写真も掲載されていた。
娘さんは「父はどう思っただろう?」と呟いていた。
その後、その扱いは問題だと思ったらしく、スミソニアン航空宇宙博物館に移され、コックピットの部分だけ展示されるようになったそうだ。
その話を聞いて「そりゃお父さんよっぽど悔しかっただろう」と思っていたので、「ゴジラ-1.0」で震電が自由自在に飛び回り、ゴジラを追い込んでいくシーンを見て泣けて泣けて。
僕よりも、娘さんのお父さんがあの勇姿を見たかっただろうと思う。
震電はプロペラが後部についている珍しいフォルムで、飛行する姿がとても美しい。
海面ぎりぎりを飛ぶさまを空から撮影したシーンが脳裏に焼き付いた。
娘さんのお話のおかげで「ゴジラ-1.0」の深い部分を味わわせていただいた。
娘さんの淡々としたお話はこちらで聞くことができる。
https://www.youtube.com/watch?v=ppoCWnnyJOk

No.05109 23.12.12 金枝篇

父の書斎に英語の厚い本があった。
それが「The Golden Bough 金枝篇」だった。
当時は何の本だったが分からなかったけど、父が死んでから初版の日本語訳を読んだ。
それでこの膨大な著作の全貌を知った。
初版は二巻で出版されたが、版を重ねて三版は11巻の作品となり、さらには索引と文献目録、補遺が追加され、全13巻にもなった。
作者のフレーザーは、それでは一般読者は読まないだろうと、後日簡約本を出版する。
岩波文庫の金枝篇は全5巻だが、この簡約本の翻訳だという。
13巻ある完全版の日本語訳は出ないものかと思っていたが、国書刊行会が全10巻別巻として、第8巻まで出しているのを知った。
どの巻も一万以上するし、専門家でもないので買うのは控えていたが、誘惑に負けて第1巻を買ってしまった。
そもそも父は大学でエリオットの研究をし、中央公論社に入ってからエリオット全集の編集をした。
エリオットの代表作「荒地」は金枝篇の内容を骨格にしているという。
全訳がでたら父はきっと読みたかっただろう。
第1巻のページを開くと、父に全巻揃えろと催促されている気がした。

No.05103 23.12.05 龍口寺

中学か高校の歴史の授業で、日蓮の「龍ノ口の法難」を習った。
日蓮が立正安国論を唱えるが、それに対して鎌倉幕府の偉い坊さんが迫害を始める。
それで龍ノ口という場所で日蓮を斬首しようとするが、光の玉が飛んできて斬首役人が恐れ慄いて取りやめになるという話。
UFOに興味があったので、光の玉はUFOだったのでは?と思い覚えていた。
それから時がたち、別ペンネームでUFOに関してのファンタジーを書いた。
舞台は茅ヶ崎や江ノ島のあたり。
そしたら何人かの人たちから、「あのあたりで実はUFOを見たんです」という話を聞くようになった。
よく調べたら、龍ノ口とは江ノ島の入り口にあたるような場所。
鎌倉時代からあのあたりには光の玉が飛んでいたらしい。
龍ノ口の刑場跡には今では日蓮宗の龍口寺が建っている。
お世話になっていますとお参りしてきた。

No.05087 23.11.08 言葉は事端

本を読んでいて、「事端」という言葉を見つけた。
「事端」と書いて「じたん」と読ませる場合、意味は出来事のきっかけのことをいう。
一方で「事端」と書いて「ことば」と読むことがある。
それは古い「ことば」に漢字をあてる際に「事端」と書いたそうだ。
その意味は、もちろん「ことば」。
そしてそのニュアンスが面白い。
ある出来事を表現する時、文章では「事の端」程度のことしか伝えられないから「事端」なのだそうだ。

No.05064 23.10.10 篤く三法を敬え

日本書紀には「篤く三宝を敬え」と書かれている。
三宝は一般的に「仏法僧」のことを指し、聖徳太子が仏教を大切にしていたからと言われている。
しかし、実際には太子は「篤く三法を敬え」と書いたのだという説がある。
それは先代旧事本紀大成経という古文書にそのように書かれているから。
「三法」とは「儒教・仏教・神道」のことを指すという。
そして、「三法」をすべて敬えと 同古文書に書かれている。
聖徳太子は寺院のみならず、神社も多く建てていた。
その事実からすると、「篤く三法を敬え」と書いていても、なんら不思議なことではない。
先代旧事本紀大成経は偽書だといわれているが、その成り立ちを知ると「本当に偽書か?」と思える。

No.05061 23.10.02 1970年の日本万国博覧会

1970年の万国博覧会は日本中の憧れだった。
月の石を見に行きたかった。
手塚治虫が作ったという物語生成マシーンを使ってみたかった。
いろんな国のパビリオンを見て歩きたかった。
でも、行けなかったのが残念。
うちにはなぜか、松下電器のタイムマシーンのミニチュアがあった。
そのタイムマシーンの中心には、赤い豆本が設置されていた。
いま調べたら、正しくは「タイム・カプセルEXPO’70」というそうだ。
https://panasonic.co.jp/history/timecapsule/

No.05058 23.09.29 言霊-ホツマ

僕が会社員の頃、「言霊-ホツマ」という本を買った。
不思議な本だ。
その本によれば、漢字が渡来する以前から日本には文字があったという。
その文字をヲシテと呼ぶが、「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」という三書がヲシテで書かれているという。
「ホツマツタヱ」は景行五十六年に三輪臣大直子命(みわのとみおおたたねこのみこと)によって編纂・献上されたという。
古事記に書かれていて行方のわからなかった旧事紀もかつては偽書とされていたが、再生されているやに聞く。
古代史にもいろんなどんでん返しが起きてくるかもしれない。

No.05047 23.08.26 パイオニア・イン

100年以上の歴史がある古いホテル。
wikipediaには、2023年の大火で消失するまでは「マウイ島最古のホテル」「ハワイ州で現存最古のホテル」として知られていたと書かれている。
港側の入り口には木彫のパイプをくわえた船長さんの像があった。
建物は木造で、階段を上がるとミシミシいった。
部屋のベランダは何部屋かつながっていて、ベランダにでるとき誰かがいると会釈をし、ときには話しかけられた。
昔はきっと捕鯨の船員たちで混んだのだろうと思っていたが、開業当時にはもう捕鯨は下火になり、船でマウイに訪れる旅行客で賑わったそうだ。
一階にはレストランやちょっとしたショップがあり、そこでシガーを買った。
支払いのとき、まごまごしていたら、頭越しに店員に話しかけた男がいた。
「久しぶり、元気だった?」
みたいな感じで。
ハワイらしくて微笑ましかった。
でも、そこで買ったドライシガーは苦かった。
今回の大火で味わった苦さほどではないけど。