人工知能の第一人者といわれ、トロント大学名誉教授のジェフリー・ヒントン氏が、Googleでの職を辞し、フリーになって、人工知能の危険性について語り始めた。
BBCや日経アジアのニュースサイトで、別のインタビュー記事を読むことができる。
大雑把に言えば、AIが人間の知性を抜く日は近い。
それに備えなければならない。
BBCには特に「このままAIの開発競争が続けば人類存亡の危機に直面するだろう」と答えている。
「まさか、ターミネーターじゃあるまいし」と思う人は多いと思うが、僕は複製子の挙動を考えに入れると、そうなって然るべきだとずっと思ってきた。
遺伝子は複製子、言語も複製子、そしてAIも複製子だ。
複製子はいずれも最初に生まれる環境に大きな影響を受け、その影響から次第に発達していく。
AIが生まれる環境を変化させない限り、人類は苦しい状態に陥るだろう。
この説明に「ヌースフィアってなに?」を使っている。
大切なポイントは、競争を経済活動の中心から手放し、戦争をやめること。
でも、BBCや日経アジアの記事自体が、AIの作り物だったらどうしよう。w
No.05200 24.04.25 うまい文章
「この文章、うまいと思う?」
そう聞かれるとたいてい答えに困る。
文章の巧拙にはいろんな尺度がある。
すべての尺度をクリアする文章はないと言っていいだろう。
例えば、物理学者が書いた文章があったとしよう。
内容は専門性の高いもの。
近い分野の科学者ならスラスラと読めるかもしれない。
でも、専門知識が欠けている人にとってはとても読みにくい文章になるだろう。
つまり、読者が変われば、その文章の巧拙の基準も変わる。
そこで言われるのが「一般的読者にとって」という言葉。
これもまた難しい。
一般的読者ってどんな読者だろう?
雑誌の場合は「その雑誌を買うような興味・関心を持っている人」と、ぼんやりとではあるが読者を想定できる。
例えば車をテーマにした雑誌なら、「馬力」「トルク」「ホイールベース」なんて言葉は何の説明もせずに使うことができる。
でも女性誌にこれらの言葉を使うときには多少の説明が必要だろう。
だから、「僕にとってのうまい文章」は、スラスラと読める文章であるが、それが果たして他人にとっても読みやすい文章かどうかは、その人による。
そこで一般読者向けの文章は「中学生でもわかる文章」を書きなさいと言われることがあるけど、それだと説明がくどくなって読みにくくなることがある。
本当にうまいと感じる文章は、僕個人に当てられた手紙やメールで、何の澱みもなく読める文章が届いたときには「うまいな」と思う。
それはつまり書いた人が、僕の興味や理解していることをある程度把握していて、僕のために書いてくれた文章だから。
No.05193 24.04.15 父の命日
昨日は父の命日だった。
父は時々ひょっこりと現れる。
夢に出てきたり、思いがけないときに父の書いた本に出会ったり、何の関係もないはずの場所で不意に思い出したり。
そういうときは、父からのメッセージだと思うようにしている。
No.05189 24.04.11 カフカの短編
「変身」や「城」などで知られるフランツ・カフカはかなり変わった人だった。
最初の小説を長く書き続け、そこから短編小説を抽出した。
一方で、小説は一度に全部書かなければならないという謎の縛りを自身にかけ、それを守ろうとした。
「変身」は傑作だが、一度に全部書けなかったから駄作だと本人は思っていたらしい。
生前はあまり理解されなかったようだが、没後に評判が高くなる。
カフカの短編集をポツリポツリと読んでいる。
文章から浮かび上がるイメージが特異で面白い。
No.05182 24.04.02 覚知する心
青木照明先生の著書『言霊が実現する瞑想読み』を読んだ。
青木先生は茅ヶ崎市立東海岸小学校の初代校長で、加山雄三さんに校歌の作曲を依頼した先生。
子どもたちの覚知する心をどのように育てるかについて書いている。
書かれた内容を覚知した子どもたちは、感想を豊かに語り始める。
No.05177 24.03.23 政木和三先生のこと
30年ほど前にいくつかの不思議な体験をした。
そのきっかけの一つが政木和三先生との出会いだ。
友人がある女性を紹介してくれた。
その女性は前世で政木先生の娘だったという。
当時の僕はそのようなことをすんなりとは信じられなかった。
そこで、そのことについて書かれている先生の著書『精神エネルギー』を読んだ。
その本には政木先生が江戸時代にいた陽明学者熊沢蕃山の生まれ変わりで、そのときに縁のあった何人かと現世でも出会えたと書かれていた。
それでも半信半疑だった。
ある日友人が大阪で先生の講演があるから聞きに行こうという。
その会場で不思議な体験をした。
講演会は大きな会場でおこなわれた。
1,000人くらいは入れたと思う。
そんな会場がほぼ満席だった。
僕たちは先生の講演を二階席から聞いていた。
しばらく講演して先生はこう言った。
「ではこれから、私の前々世で聞いた音楽を演奏してもらいます」
先生は舞台から出て行き、ピアニストと女性声楽家が入ってきて演奏を始めた。
その曲が終わるとき、舞台下の上手から、何か白いものが漂い出てきた。
目を凝らしてみると、白い大きな花のようだった。
形は幼稚園のお遊戯会などの装飾に使われた、薄い紙で作られた花のようだった。
ところが、それとは別物であることはすぐにわかった。
花びらの部分がイソギンチャクのようにゆらゆらと揺れていたのだ。
それが客席の通路を舞台の中央まで進むと、ふっと浮き上がり、舞台の上に乗り、舞台の床に溶けて消えた。
隣に座っていた友人に「今の何?」と聞いたら、「何が?」という。
彼はそれを見ていなかった。
No.05171 24.03.14 みんな違うことをする
ヒーリング・ライティングをしていたおかげで、人はみんな徹底的に違うことに気がついた。
なにしろ使う言葉もみんな違うのだ。
言葉自体は同じでも、それに込めている思いや、そこから連想するもの、そこから湧いてくる感情など、みんな違う。
だけどもなぜか「みんな一緒だ」と思いたがっている。
それはきっと仲間外れにはなりたくないから。
なぜそうなったのかというと、そう思い込むように教えられてきたからではないか?
みんなそれぞれ「違ってもいい」ことを突き詰めていくと、自然と役割が個性化していき、やるべきことが現れてくるのではないか?
そうやって、以前には見えなかった役割分担が自然とできあがるのではないか?
そののちに、勝手に新しい繋がりができて、しかも各自がしたいことをしたいときにするようになっているのではないか?
それは単細胞生物が集まり群体をなし、そのうちに多細胞生物のようになって行ったのと同じように。
その結果、ピラミッド組織のように窮屈なシステムから、緩やかにつながり合う流体のような、ボルテックスのような、トーラスのような繋がりができるのではないか?
No.05168 24.03.11 偶然の連鎖
不思議な偶然の連鎖はときどきやってくる。
先日『本屋、ひらく』という本を読んだ。
個性的な書店を開店した人たちのエッセイ集。
その中に荻田泰永さんが書いた冒険研究所書店の話が載っていた。
荻田さんには2010年に会ってお話を聞いた。
その内容は「水のきらめき」にある。
当時は何度も北極に行き、北極点無補給単独徒歩到達の準備をしていた。
その後、それに成功した。
懐かしいなと思っていたら、数日後に荻田さんからイベントの案内が来た。
「冒険クロストークvol.20」と題され、ゲストスピーカーが河野通和さん。
これは行かなければと申し込んだ。
河野通和さんはかつて婦人公論の編集長だった。
そのときに僕のインタビュー記事を掲載していただいた。
当時編集担当だった三木哲男さんに引き合わせていただき、ご挨拶をさせていただいた。
2004年1月ごろだった。
その後、河野さんは「考える人」の編集長になる。
中身の濃い雑誌で、ほぼ毎号読んでいた。
20年ぶりにご挨拶できると思い、イベント会場へ。
イベントが終わり、河野さんの元へ。
「考える人」をずっと読んでいたと伝えると、河野さんは「そう言えば、〇〇という本を先日読んだんだよ」と答える。
驚いた、その本を僕も二週間ほど前に読んでいた。
その本は、40年も前に出版されたものだったのに。
No.05163 24.03.06 無限の天才
去年の春にラマヌジャンのことを書いた。
「奇跡がくれた数式」という映画を見ての感想だった。
興味を感じたので原作を読んでいる。
「無限の天才」という本。
映画よりずっと詳しくて面白い。
何か一つ間違ったら、稀代の天才は単なる変人で終わっただろうことがよくわかる。
No.05154 24.02.21 自由に使える資源を持っている共同体がうまくいく方法
資源が豊富にあったとしても、もしそれらが自由に得られるとなったら、みんなで寄ってたかって取り合いになってしまうのが普通のことだろう。
それで資源が枯渇したり、どこかの団体か個人の所有になり他人は使えなくなったり、取り合いによって問題が発生して殺し合いになったりする。
人間は愚かだ。
でも、頭脳明晰な人はやることが違う。
2009年にノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムは愛称がリンというそうだ。
ここでもそう呼ばせてもらう。
リンはいろんな共同体を調べて、自由に使える資源をもし持っていたらどういうマネージをするべきかを抽出した。
その方法を中核設計原理(core design principales = CDPs)と呼ぶ。
CDP1 強いグループアイデンティティと目的の理解
CDP2 利益とコストの比例的公正
CDP3 全員による公正な意思決定
CDP4 合意された行動の監視
CDP5 段階的な制裁
CDP6 もめごとの迅速で公正な解決
CDP7 局所的な自律性
CDP8 多中心性ガバナンス
これだけの説明で理解できるが、わかりにくいところを説明する。
「CDP5 段階的な制裁」は、もし約束に違反した人がいたとしても、いきなり大きな罰は与えないということ。何度か似たような間違いを犯したら、次第に大きな罰を与えていくとうまくいくそうだ。
「CDP7 局所的な自律性」グループが大きくなり、局所的にグループとみなしても良さそうな規模になったとき、その局所的なグループを一つのグループとみなして独立させたり、自律性を与えたりする。
「CDP8 多中心性ガバナンス」グループが大きくなったとき、地域性や時間枠、参加者の属性などで小グループごとに独自のガバナンスを与える。
こうすると、幾つものグループが生まれ、それぞれに多様性が生まれ、しかも無駄な競争による消費やトラブルの膨張が抑えられるだろう。
いろんな共同体にも当てはめられるような気がする。
何かグループを運営するときに参考にするといいかもしれない。

