No.05139 24.01.27 金子みすゞ伝

友人に誘ってもらって神田京子大独演会に行ってきた。
演目は「金子みすゞ伝〜明るいほうへ」。
笑点に出演している春風亭一之輔が前座で、1100席あるという有楽町よみうりホールが満席でおこなわれた。
講談を1000人規模でやるなんてすごいなと思ったが行ってよかった。
落語と講談が素晴らしかったのはもちろんだが、最後に矢崎節夫という童謡作家が登場して、どのように金子みすゞの遺稿集に出会ったかをうかがった。
運命の巡り合わせというものがあるんだなと思い感激した。

No.05116 23.12.21 震電

上映回数が減り、もうスクリーンでは見ることができなくなるかもしれないというタイミングで、映画「ゴジラ-1.0」を見た。
いろんな点でウルッとした。
怪獣映画でウルッとするのはおかしいと思うかもしれないけど、理由を聞けば納得してもらえると思う。
僕は仕事で、生き残った特攻隊員の皆さんにインタビューしてまわったことがある。
命を賭けて戦いに行くが、さまざまな理由で生き残ってしまった人たちは、帰ってくるといろんなところでなじられたそうだ。
そのときの心の傷をどのように癒していったかも伺った。
「ゴジラ-1.0」では主人公がその立場で、あちこちで悔しい思いをさせられる。
それで、主人公の言動にどうしても心動かされてしまった。
終わりのシーンで、震電という飛行機が活躍する。
それにまた泣かされた。
震電は終戦間近に完成したので、実戦に投入されていない。
震電の開発に携わっていたかたの娘が友人にいて、三年前にその話を聞いていた。
生前は父親がそんなことをしていたとは知らず、亡くなって十数年して遺品を紐解いたらそのことについて詳細に書かれたノートや写真が見つかったという。
ノートにはテスト飛行しかできなかった震電のことが事細かに書かれていたそうだ。
戦争が終わってから一機がアメリカの手に渡るが、そのことを昭和42年の毎日グラフが取材していて、その雑誌も大切に保管されていた。
「アメリカに眠る日本の翼」と題された特集記事に、多くの日本製の戦闘機は箱詰めされて大事に保管されたと書かれていたが、震電はなぜか野晒しにされたと書かれ、残酷なことに朽ち果てた写真も掲載されていた。
娘さんは「父はどう思っただろう?」と呟いていた。
その後、その扱いは問題だと思ったらしく、スミソニアン航空宇宙博物館に移され、コックピットの部分だけ展示されるようになったそうだ。
その話を聞いて「そりゃお父さんよっぽど悔しかっただろう」と思っていたので、「ゴジラ-1.0」で震電が自由自在に飛び回り、ゴジラを追い込んでいくシーンを見て泣けて泣けて。
僕よりも、娘さんのお父さんがあの勇姿を見たかっただろうと思う。
震電はプロペラが後部についている珍しいフォルムで、飛行する姿がとても美しい。
海面ぎりぎりを飛ぶさまを空から撮影したシーンが脳裏に焼き付いた。
娘さんのお話のおかげで「ゴジラ-1.0」の深い部分を味わわせていただいた。
娘さんの淡々としたお話はこちらで聞くことができる。
https://www.youtube.com/watch?v=ppoCWnnyJOk

No.05115 23.12.19 A Symphonic Celebration – Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki

タイトルのアルバムを聞いた。
聴き始めて泣いてしまった。
楽曲や音が素晴らしかったのはもちろんだが、いろんな思い出があふれだした。
まず僕は久石譲が映画音楽を書き始める前から知っていた。
高校一年のとき、映画「ロッキー」がヒットし、それをブラスバンドで演奏することになった。
確かリットーミュージックの吹奏楽団用スコアの編曲を久石譲がしていた。
映画ではCでファンファーレが始まるのだが、久石の編曲ではE♭で始まっていた。
その方が楽器の特性上よく響くのだ。
他にも、これ間違いかなと思うほどきめ細かい編曲がしてあった。
リピートの部分、一度目はテンションのかかった音を吹かせておいて、二度目はテンションのかからない音にするなど。
それで久石の名前を覚えた。
しばらくすると、ヤマハのニュー・サウンズ・イン・ブラスの編曲も始めた。
つまり、ちょっと格が上がったように感じた。
リットーミュージックの楽譜は手書きを印刷したものだったが、ヤマハは綺麗に機械によって印刷されていた。
大学生の頃に「風の谷のナウシカ」の音楽をやっているのを知る。
すごいなあと思った。
それからの活躍は皆さんのご存じのとおり。
そして、今回はドイツ・グラモフォンから「A Symphonic Celebration – Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki」を発売した。
グラモフォンはクラシック音楽のレーベルとしては一番と言っていい名門。
そこから発売されていたカラヤンのアルバムを昔よく買った。
でも、この思い出は泣くような種類の思い出ではない。
次に思い出したのは、母のことだ。
氷川台にシェ・ソワというフレンチのレストランがある。
そこの料理がとても美味しい。
単に美味しいだけでなく、とても懐かしいのだ。
何度かかよううちに、その理由がわかった。
シェフがプリンスホテルで修行したのだ。
昔、苗場や軽井沢、箱根など、何度か食事したことがあった。
母がプリンスホテルの味が好きだった。
生前「練馬には美味しい店がない」と文句を言っていた。
だから、母をシェ・ソワに連れて行きたかった。
そこでのBGMはいつも久石の曲なのだ。
こういう思い出が積み重なって泣けてしまう。
歳を取るとはそういうこと。
タイトル通り、まさにセレブレートしてもらった気がする。

No.05113 23.12.16 パコラバンヌ・ブール・オム

大学生の頃、母が「男も身だしなみのためにフレグランスくらいつけなさい」とパコラバンヌ・プール・オムを買ってきた。
照れくさいので断ったが、次第につけるようになった。
10年くらい同じものをつけていたが、ある時から香りが変わったように感じた。
天然香料が使えなくなってきた時代だった。
今も売っているようだが、あの香りではないよなと思うと、余計に懐かしくなる。

No.05109 23.12.12 金枝篇

父の書斎に英語の厚い本があった。
それが「The Golden Bough 金枝篇」だった。
当時は何の本だったが分からなかったけど、父が死んでから初版の日本語訳を読んだ。
それでこの膨大な著作の全貌を知った。
初版は二巻で出版されたが、版を重ねて三版は11巻の作品となり、さらには索引と文献目録、補遺が追加され、全13巻にもなった。
作者のフレーザーは、それでは一般読者は読まないだろうと、後日簡約本を出版する。
岩波文庫の金枝篇は全5巻だが、この簡約本の翻訳だという。
13巻ある完全版の日本語訳は出ないものかと思っていたが、国書刊行会が全10巻別巻として、第8巻まで出しているのを知った。
どの巻も一万以上するし、専門家でもないので買うのは控えていたが、誘惑に負けて第1巻を買ってしまった。
そもそも父は大学でエリオットの研究をし、中央公論社に入ってからエリオット全集の編集をした。
エリオットの代表作「荒地」は金枝篇の内容を骨格にしているという。
全訳がでたら父はきっと読みたかっただろう。
第1巻のページを開くと、父に全巻揃えろと催促されている気がした。

No.05108 23.12.11 ココ

母が買ったシャネルのフレグランスが今もうちにある。
40年くらい前に買ったものだからきっと香りは当時のものとはもう違うのではないかと思う。
でも、今でもいい香りがする。
母はココをほとんど使わなかった。
ゲランのミツコが好みだった。
おかげさまでこの香りをいまでも嗅げる。

No.05086 23.11.07 やってみないとわからないでしょ

SHOGENさんのことをアムリッタ朝子さんが知ったきっかけを教えてもらった。
へぇーと驚く。
「今日、誰のために生きる?」だけではなく、かつて自費出版された絵本「やってみないとわからないでしょ」も買った。
「今日、誰のために生きる?」にも登場するザイちゃんが主人公だ。
ザイちゃんが可愛くてキュンキュンする。
いい歳のおじさんをキュンキュンさせるワールドワイドなザイちゃん。

No.05077 23.10.27 鈴村真貴子ピアノリサイタル

昨晩は鈴村真貴子さんのピアノを聴いてきた。
鈴村さんは東京芸大で修士のときに主席で卒業したためクロイツァー賞を授与されている。
博士課程も履修し、プーランクの演奏法に関する演奏と研究で博士号を取得した。
10年前に「鈴村真貴子ピアノリサイタル〜フランシス・プーランク没後50年によせて」と題したリサイタルをおこない、その10年後の昨日、再びリサイタルを開いた。
10年前のリサイタルの様子は「水のきらめき」にあるので、「鈴村」で検索するとそれが読める。
さて、昨日の演奏だが、とても楽しめた。
一曲目は10年前と同じ「3つの常動曲」で始まった。
10年前に聞いて以来、僕もこの曲が好きになったが、3つのピースの一曲目「十分に中庸な速さで」で心を掴まれる。
こう書いてはなんだが、子供が書くような単純なメロディーから始まるが、それが転んで不思議な曲になっていく。
二曲目が「とても控えめな速さで」。
この曲の最後の二つの音が好き。聴くたびに笑う。
三曲目は「機敏に」。
プーランクはウィットに飛んでいる曲を書くが、タイトルの付け方も面白い。
これが19歳の作曲家のデビュー作だとは思えない。
この組曲は二年ほど前に鈴村さんが出した「フランシス・プーランクピアノ作品集Vol.1」に入っているので、最近では何度か聞いていたため、リサイタルでの微妙な違いに鈴村さんの感情の揺れを感じたように思った。
今回の演奏を聴いて思ったのだが、時々プーランク以外の作曲家の有名な曲がフッと思い出される瞬間がある。
もしかしたら、それもプーランクのウィットなのかも。
今回のプログラムの中心は「フランシス・プーランクピアノ作品集Vol.2」のものらしく、はじめて聴くものが多かった。
Amazonでそれを買おうと思ったが、「一時的に在庫切れ」となっていた。
鈴村さんのプーランクへの愛情は半端ではない。
プーランクはあの世で喜んでいるだろうな。

No.05075 23.10.24 今日、誰のために生きる?

「新しいわたし」の著者 二戸依里さんと、ネイティブジャパニーズダンサーのアムリッタ朝子さんが、ある日、烏帽子岩の見えるカフェでペンキ画家のショーゲンさんとお話したそうです。
僕が別ペンネームで書いた小説の舞台がそのあたりだったのでそのときのことを教えてもらったのですが、一緒にショーゲンさんのYouTubeのURLも教わりました。
そこでショーゲンさんが話している内容にびっくりしてしまいました。
それ以来、ショーゲンさんのYouTubeを楽しみにしていたのですが、次に二戸さんからきた連絡は「ショーゲンさんが本を出し、その記念講演がある」。
早速申し込んで聞いてきました。
出版された本のタイトルは「今日、誰のために生きる?」。
ショーゲンさんはサラリーマンでしたが、ある日ティンガティンガというアフリカ・タンザニアの絵を見ます。
それにビビッと来て、その絵を教わろうと二、三週間後に出発するタンザニア行きのチケットを買い、それから会社に退職届を出したそうです。w
ティンガティンガ村で絵を教わっていると、ある画家に声をかけられます。
「ここは観光地でレッスン料も高いので、うちの村に来ない?」
そこでその画家、カンビリさんが住むブンジュ村という村に行き、カンビリさんの家にホームステイさせてもらっていろんなことを学ぶことになるのですが、その話に僕は何度も心が震えました。
その村では、昔の日本の文化が残されていたというのです。
その村の村長さんのお爺様が、今はもう亡くなっているのですが、シャーマンで、日本人とサイキックに交信し、幸せに暮らす方法を教わったというのです。
「どんな日本人とつながったの?」と聞くと、「竪穴住居に住み、一万年から一万五千年もの間幸せに暮らしていた人たちで、女性をモチーフにして土器を作った」と言われたので、「きっと縄文の人たちにつながったんだな」と思ったそうです。
ブンジュ村には外国人が入ってきたことがなかったそうで、もちろん日本人が来たのははじめてです。
画家のカンビリさんはその村で過ごしてきたので、「その村に伝わる日本の文化を体現しているはずの実際の日本人はどんな感じなのか」を知りたくて、連れてきたそうです。
ところが、ショーゲンさんは現代の日本人。
縄文の頃の日本人とはだいぶ違いました。
そこで、かつての縄文人がどのように生きていたのかを、ブンジュ村の人たちから色々と教わっていくことになります。
ここから先は、YouTubeを見るか、「今日、誰のために生きる?」を読んでください。幸せに生きることに興味のある方なら、きっと響きます。

No.05043 23.08.19 この世が 焼けてるんだよ 燃えてるんだよ

竜亀さんというお坊さんにお会いした。
佐々井 秀嶺というインドに住むお坊様のもとでお手伝いをしているという。
それで興味を持ち、お二人が出演しているという「ジャイビーム!」という映画を見た。
佐々井 秀嶺師は1967年に龍樹菩薩が夢に出てきてインドでの布教を決めたという。
かつてインドは仏教発祥の地であるのに信者がほとんどいなかった。
それが、ビームラーオ・アンベードカルという不可触賤民出身の政治家が1954年にインド仏教徒協会を立ち上げ、これをきっかけに50万人が仏教徒となったという。
1956年に亡くなるが、そのあと1988年から佐々井 秀嶺師は全インド仏教大会の大導師に就任する。
こう書くと、とても立派なお坊さんのように思えるが、その姿はとても質素で人間的。
そのお坊様が「ジャイビーム!」の中で「この世が 焼けてるんだよ 燃えてるんだよ」と語る。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という思いをインドで実現させようとなさっている。