宮崎駿の最新作。
面白かった。
見事だと思った。
説明のつかない場面がたくさん出てくるが、それがいい。
ああかこうかといろんなことを考えさせてもらった。
それは自分の心や気持ちに関すること。
今までの作品にも説明のつかない何かはよく出てきたが、そういうもののてんこ盛り。
それでも満足させてしまうというマジックがある。
寝て見る夢は説明のつかないもの。
でも、朝起きると爽快だったりする。
そういう感覚を与えてもらった。
No.05028 23.07.20 ドーナツの穴
最近の報道はキシキシいっている。
現実と虚構が馴染んでいない。
報道に多少の虚構が入るのは、ある程度仕方ない。
事実をすべて理解できる訳ではないから。
それにしても現実と虚構が軋んでいる。
たわみが互いを傷つけ合って奇妙な歪みが生じている。
多くの人々はそれに気づかないのだろうか?
虚構の一部になった人は現実に目をつぶる。
その結果、ドーナツの穴のように、ないはずのものが見えてくる。
キシキシ。
No.05027 23.07.19 29℃
午前中に外出した。
連日35℃だったが、午前中はまだ29℃だった。
涼しく感じた。
40℃を体験したら、35℃は涼しく感じるのだろうか?
No.05026 23.07.17 立体曼荼羅
昔、立体曼荼羅について考えたことがある。
曼荼羅は普通平面上に円として描かれる。
立体曼荼羅は球として現れるだろう。
できれば、CGかアニメーションで立体的に動くといい。
配置の変化によって如来や菩薩も入れ替わっていく。
時間と配置の流れが如来や菩薩の姿や内面を変化させていく。
No.05025 23.07.15 気持ちいい機会
もし自分が、誰か他人の気持ちに同調できると、必ずしも自分が気持ちよくなくても、気持ちいいと感じる機会を増やすことはできるかもしれない。
ただし、誰かの不快や怒りとも同調することになるかもしれないので、そこでは大人の対応が必要となる。
誰かの不快や怒りと同調したとき、それはそれとして、感情で同調するのではなく、その感情を和らげたり、解決することのできる提案をしたりできるといいだろう。
まあ、言うのは簡単だが、実践するのはそう簡単ではないが。
そういうようなことをするとき、自分の感情は自分のものではあるが、自分だけのものではなくなる。
感情は往々にして伝播する。
No.05024 23.07.14 個人の違い
あなたにとって気持ちいいものでも、僕にとって気持ちいいかどうかはわからない。
僕が気持ちいいと感じるものでも、あなたがそれを気持ちいいと感じるかどうかはわからない。
ただ、僕が気持ちいいと感じたことを、あなたが気持ちいいものかもと感じてみて、「確かにそう感じることはできるね」と思ってもらえることはあるだろう。
そういう気持ちの良さは、昔より今の方が感じることができると思う。
なぜなら、現代に生きる僕たちは、映画やテレビドラマや演劇などで、いろんな役の人に感情移入することができるから。
昔の人にはそのような機会は珍しいものだった。
100年前なら、映画や演劇はあったけど、テレビはなかった。
それよりもっと昔なら、演劇のみで、それを見る機会も限られていただろう。
メディアが多様化したおかげで、他人の立場を理解することで、より簡単に感情移入する素地が作られてきた。
つまり、気持ちいい機会が増えてきた。
No.05023 23.07.13 気持ちいいものの区別
いろんな気持ちいいものを感じてきたが、そろそろ気持ちいいものの区別について考えるべきだと思っている。
立場が違うと気持ちいいものも変わってくる。
大抵気持ちいいものは個人的なものだ。
だけど、それだけではない。
個人としては少し不快だが、集団としては気持ちいいものというものがある。
個人としては気持ちいいが、集団として考えると不快に思えることもある。
個人でも、どの立場にいるかで快不快は変わるし、集団でも、どのような集団かで快不快は変化する。
人類の未来のためにどう考えるべきなのだろう?
No.05022 23.07.12 大きな桶にいるどじょう
幼い頃、どじょうを飼っている大きな桶を店頭に置いている魚屋があった。
普段は静かにしているどじょうだが、桶を足でちょっと蹴ると、一斉にざわーっと動き出した。
それが楽しくて、そのお店で母が買い物していると、見つからないようにちょこっと蹴って遊んでいた。
No.05021 23.07.11 酷暑のローソン
この暑い中、自転車で一時間ほど走った。
すると眩暈がしてきた。
あわてて自動販売機で冷たい水を買い飲む。
それでも治らない。
やばいなと思っていたら、ローソンがあった。
イートインの場所があるはず。
中に入ってソフトクリームを食べながら涼んだ。
無事に帰ることができました。
No.05020 23.07.10 慣れて始まる自動運転
慣れると飽きるが、同時に自動運転が始まる。
あまり意識せずにいつものことをおこなっていく。
多くの場合、仕事をするというのは、その自動運転状態だろう。
そこにどんな工夫を持ち込むのかが大切なことになる。
自動運転は人によって個性があり、これが正解というものが一つには決まらない。
それが楽しさの入り口ともなる。
こんな話をどこかの本で読んだ。
かつてピカソの絵を入手した画商が、その絵は本物かどうかピカソに尋ねたことがあった。
ピカソは一目見て「偽物だ」と言った。
画商は別の日にピカソが描いて倉庫にしまってあった絵をこっそり持ち出して、「これは本物か?」と聞いた。
ピカソは「偽物だ」と言った。
画商は「実は倉庫にあったものを持って来てんだぞ」と言った。
するとピカソはこう答えた。
「僕は自分の贋作をたくさん描くんだ」

