日本人はどんなものも大切にします。
なにしろカマドにもトイレにも神様がいると感じるのですから。
万物に神聖さが宿っています。
だからこそあらゆるものを大切にする。
大切に育ててもらった人はそのオーラが宿ります。
大切に使われたものにもそのような雰囲気が宿ります。
だから日本には特別な雰囲気が生まれるのだと思います。
海外からいらしたかたは、ぜひ自分が何かを大切にすることを通して、日本に宿る特別な雰囲気を生み出す人になってください。
それが日本が時代を超越していいものを残せる文化を育んでいる秘密の一つだと思います。
No.05283 24.09.16 松月堂の栗きんとん
相方がいただいてきたお菓子を少し分けてもらった。
すごいお菓子であると感じた。
原料は栗と砂糖だけ。
蒸した後に丁寧に練ったことが感じられる。
機械で作ったのか、手作りなのかは分からないが、丁寧に練らないとこうはならない。
昔、江戸時代の本当に高級な栗きんとんは三日三晩練り続けたそうだ。
このお菓子がそうかどうかは分からないが、近いものを感じた。
美味しいものをいただきました。
No.05281 24.09.12 幸せであること
幼い頃、ジュースが飲みたいと駄々をこねました。
僕が幼かった頃は近所にコンビニなんてありません。
そこで母はどうしたか。
コップ一杯の水を僕に持たせて「美味しい、美味しい」と言いながら飲ませたのです。
僕は最初不満でした。
でも、飲んでいるうちに水が美味しく感じられたし、飲み終わると喉の渇きも取れてました。
そこで母に「美味しかったねぇ」と言われると、それで満足してしまいました。
子供だったからそれで済まされたという見方もできますが、ときどき大人になってからもそのことを思い出すことがあるのです。
今の状況に満足できること。
これってとても大切なことがあるのです。
人間はすべての欲を満たすことはできません。
それに執着をしだすと大変なことになります。
現状で満足する。
そして幸せを噛みしめる。
欲に振り回されるのではなく従える。
幸せであることは、いつでも生み出すことができるのです。
No.05279 24.09.07 男爵
高校一年のとき、吹奏楽部の先輩の髪型が良くて、「どこで髪を切っているのですか?」と聞いた。
「男爵だよ」
先輩とは中学も一緒だったので、男爵という理髪店はうちのそばにあった。
その理髪店の何がいいのか言語化するのは僕には難しい。
でも、なんとなく綺麗にまとまるのだ。
「他の理髪店と切り方が違うんですか?」と男爵で聞いたことがある。
「なんとかカットしているからね」
「なんとか」は忘れてしまった。
「それはどういうカットなのですか?」
聞くと、普通の切り方はこう、なんとかカットはこうと違いを見せてくれた。
でも、僕にはその違いをすぐには把握できなかった。
「そのカットはどこかで習ったのですか?」
「イギリスのヴィダル・サスーンで習った」
当時、ヴィダル・サスーンのシャンプーなどのCMが流れていた。
なんかすごいところで習ったんだなと認識した。
はじめて行ったとき以来、二ヶ月に一度程度、40年以上男爵に通った。
気さくな夫婦がやっていた。
のちのち知るが、ご主人は三代目で、創業120年近くの老舗だった。
先日行くと、「今月末で辞めるんだ」という。
「もったいない」とは思ったが、事情を何も知らない者がなんだかんだ聞くのは鬱陶しいだろうと思ってやめた。
お店がなくなると思うと、さて次回からどこで髪を切ったらいいのか困る。
髪を切ってもらうたびに心地良かったことを思い出し、「40年間ありがとうございました」と店をあとにした。
No.05275 24.08.31 夏休み最後の日
学生を卒業してから40年も経つのに、いまだに8月31日は夏休み最後の日だ。
どれだけ僕の思考を拘束しているのだろう。
9月になる瞬間、ちょっと寂しい。
いいかげん卒業したほうがいいと思うが無理そうだ。
人生最期の走馬灯にも出てくるよ、きっと。
No.05271 24.08.27 寝入りに見るイメージ
布団に入って眠りにつこうとすると、いろんなイメージが浮上することがある。
とても鮮明なイメージ。
たいていは見たことのないイメージ。
見たことのないイメージは説明ができない。
具体的なものが重なっているイメージは一つひとつ分解して説明できるが、多くの場合、抽象的で説明ができない。
説明ができるもので最近見たのは、針金が複雑に絡み合った立体物。
そのところどころに人形やマスコットが吊り下がっていた。
なんでそんなものが見えるのか、理由はわからない。
でも、見ていると面白い。
視点の移行に伴って、空間に視点が浮かんでいることがわかった。
肉体がある視覚では、針金のあいだに入っていくことはできない。
No.05268 24.08.20 31℃の外出
午前中、31℃のときに自転車で走った。
35℃で走るとトンデモナイが、31℃での自転車行は幼い頃の夏休みを思い出させてくれる。
日差しが肌をチリチリさせる。
日陰に入ると少し涼しい。
肌の表面をうっすらと汗が覆う。
こんな暑さの中、近所のプールにかよった。
売店でおでんを売ってた。
チェリオの味はそこで覚えた。
記憶の底に眠っていたことが浮上する。
No.05266 24.08.17 走る感覚
入院して以来、走れなかった。
かつてなら走って疲れた分、呼吸数が上がったが、ちょっと前まで呼吸数が上がらずに疲れてしまった。
呼吸と筋肉が連動しない感じだった。
この感覚は、以前の僕には理解できないものだった。
一年半くらい前から自転車では、疲れると呼吸が上がるようになった。
二ヶ月前くらいから、散歩の途中で50mほど走るようになった。
走るといっても、若い人がせっせと歩く程度のスピード。
はじめの頃は右足と左足のバランスが取れず、ヨタヨタしていた。
それを何度か繰り返し、今日は三キロ歩く間に100mほど二回走った。
これをしばらく繰り返してちょっとずつ距離を伸ばしたら、一キロくらいは走れるようになるかも。
以前のジョギングのときの爽快さを少し思い出した。
No.05261 24.08.11 淀んだ空気を祓う
日本には「祓う」という概念がある。
英語にすると「exorcise」というらしいが、ニュアンスがちょっと違うように感じる。
「exorcise」は「悪魔を祓う」という意味で、日本の「祓う」には確かに「魔を祓う」という意味もあるけど、必ずしも「魔」や「悪」ばかりではなく、「淀み」や「不明瞭な感覚」も「祓う」ことができるだろう。
つまり「祓う」には、多神教的なニュアンスが埋め込まれており、必ずしも悪くなくても、意見や解釈が複雑に絡み合っていてほぐすことができない状態を落ち着かせることも「祓う」ことになるのではないか。
「exorcise」は祓えたか否かがはっきりとするが、「祓う」は複雑な状況を抱え込んで白黒つけるというよりは、考えるべきことに意図を向けた結果、「よし」と言える状況かどうかが大切で、無理に解決に追い込まなくてもいいような気がする。
日本のあらゆる部分が祓われ、世界に波及しますように。
No.05260 24.08.10 幻想を追う
気持ちいいものを感じるための瞑想をする。
大地に立って何かを動かす。
風のような、波のような、何かを。
爽快だった。
だけど、言語化が難しい。
それは正しくは、風でもないし、波でもない。

