No.05305 24.10.25 赤いささら

氷川台駅前に「ささら」というラーメン屋さんがある。
できた当時どういう意味かわからずにご主人に聞いた。
すると「これです」と中華鍋を洗うために竹を細く切ってまとめた「ささら」という道具を見せてくれた。
それから何年も経ち、少し大きなささらに出会った。
楽器だという。
右手で持ち細かくふるわすとサラサラサラサラと音がする。
ときどきアクセントをつけるために強く振ると、サラサラサラサラジャラサラジャラサラと面白い。
赤くて黄色い水玉模様の大きなささらを持たされて演奏することになった。
一曲演奏すると手が痛くなった。
「鍛錬鍛錬」とか言われて、手を鍛える。
赤い服を着せられ、赤くて黄色い水玉模様の傘も左手に持たされた。
そこで目が覚める。
どういう意味の夢だ?
ラーメン屋さんの話は現実のことだったが、なぜささらが夢に唐突に出てきたのかわからない。
「ささら」を調べたら、実際に「ささら」という楽器もあった。
それを使って五穀豊穣を祈るおどりを「ささら舞」というそうだ。

トップの写真は「赤くて黄色い水玉模様の大きなささらを持たされて演奏することになった」とAIに入力して出てきたもの。
「ささら」が何か認識できないみたい。

No.05303 24.10.23 歌聖

友人である国語の先生が訪ねてきて相談された。
「和歌が好きな生徒がいるんだけど、その子はずっとたくさんの和歌を詠んでは学生コンクールで優勝をしてきた子なの。古典研究で高名な〇〇先生に会って以来ピタッと和歌を詠まなくなったんだけど、どうしたらいいと思う?」
「〇〇先生に何か言われたの?」
「そうだとは思うけど、何をいわれたのかまでは・・・」
その生徒の歌集を読んで会うことになった。
僕には和歌の専門的な知識はないが、読むとなんとなくうまいことがわかった。
「素敵な和歌を詠むね」
「そうですか?」
「詠むの好きだったんでしょう?」
「まあ」
「次の作品も読ませてよ」
「もう詠まないと思います」
「なんで?」
「〇〇先生にお前は歌聖などではないと言われました」
「おや、〇〇先生は君のこと、歌聖と比べたの?」
「いえ、友達が僕のことを歌聖だと紹介したんです」
「なるほど。だから詠むのやめたんだ」
「はい」
「君は自分のこと歌聖だと思っていたの?」
「いいえ、みんながそう言うだけです」
「自分が歌聖になるとしたら、何が足りないと思う?」
「わかりません」
「本当? 歌聖とはどういう人か調べた?」
「はい」
「調べたらどうだった?」
「そんな人にはなれないと思いました」
「歌聖になりたかったの?」
「いえ」
「だったら今までどおり和歌を詠い続けたら?」
「でも、恥ずかしくなりました。和歌があんなに深いものだとは知らなかった」
「そうなんだね」
「だから詠いません」
「歌聖ではないと言われる前に何か言われた?」
「こんなふうにも読める、あんなふうにも読めると、思ってもいなかった解釈を言われました」
「それでどうしたの?」
「そんなふうに思って詠ったのではありませんと答えました」
「なるほど、いろんな解釈を聞いてどう思った?」
「どうって、正直いうと、意地悪なものの見方するんだなと思いました」
「そうかもね」
「そうですよね」
「もし君が本物の歌聖だったらどう答えたと思う?」
「えっ? わかりませんけど、そうですね、その場で粋な答えを和歌で詠ったかもしれませんね」
「それは素敵な答えだね。なんて答えた?」
「今はすぐには浮かびません」
「ということは、〇〇先生はあなたが本当の歌聖になるためのヒントをくれたのかもね」
「え、そうなんですか?」
「あなたがどう解釈するかだからね。好きな解釈でいればいいと思うよ」
彼は帰って行った。
後日友人から、「また和歌を詠むようになりました」と連絡をもらった。
今朝見た夢。
僕にとってどんな意味がある夢なのか。

No.05271 24.08.27 寝入りに見るイメージ

布団に入って眠りにつこうとすると、いろんなイメージが浮上することがある。
とても鮮明なイメージ。
たいていは見たことのないイメージ。
見たことのないイメージは説明ができない。
具体的なものが重なっているイメージは一つひとつ分解して説明できるが、多くの場合、抽象的で説明ができない。
説明ができるもので最近見たのは、針金が複雑に絡み合った立体物。
そのところどころに人形やマスコットが吊り下がっていた。
なんでそんなものが見えるのか、理由はわからない。
でも、見ていると面白い。
視点の移行に伴って、空間に視点が浮かんでいることがわかった。
肉体がある視覚では、針金のあいだに入っていくことはできない。

No.05260 24.08.10 幻想を追う

気持ちいいものを感じるための瞑想をする。
大地に立って何かを動かす。
風のような、波のような、何かを。
爽快だった。
だけど、言語化が難しい。
それは正しくは、風でもないし、波でもない。

No.05252 24.08.01 気持ちいいものを感じると眠くなる

気持ちいいものを感じようと瞑想状態になると、たいてい眠くなる。
いろんなことが一度に起きていることがわかる。
まず、過去の思い出がたくさんある。
それらが一度に浮上する。
全部ではない。
その日によって違うが、いろんな思い出がたくさん一度に思い浮かぶ。
一方で、たくさんの未来が見える。
それはほとんど空想だろう。
そして、いま。
いまのこともたくさん見える。
立場によって違ういろんなことが。
それらが一度に降りかかってくるので、何を感じているのかはよくわからない。
折々に目立つことが浮上する。
そして消えていく。
まるで夢を見ているようだ。
そして、実際に夢に堕ちていくことがある。
現実と夢の境にいるとき、言葉はない。
いろんな出来事が、今までとは違う繋がり方をする。
どんなつながりも、ひとつの命の誕生だ。
すべての出来事が祝福になる。

No.05246 24.07.24 箱の解剖

思い出すとはどういうことだろうか?
思い出すのは一瞬で、全体を感じる。
そのあとで説明のために細かい部分を言葉にしていく。
ところが、説明に時間がかかる。
だから思い出すことにも時間がかかっているように感じてしまう。
何度も思い出を文章にしていて気づいたのは、僕の場合、思い出すのは一瞬ということ。
この一瞬で思い出の全体像を得ている。
そののちに細かいことをポロポロと知覚していく。
その細かいことは、前提があってはじめて思い出す。
たとえば、昨日書いた不思議な体験のことをマルッと思い出す。
そののちに「バリ島で一緒にいた女性の名は?」と問われれば、思い出すことができる。
だけど、バリ島での思い出と紐づいてない状態でその日の日付を言われて、「その日に一緒にいた女性の名は?」と問われても、いったい誰のことやらさっぱりわからない。
つまり思い出は、箱のような仕切りで仕切られている気がする。
箱が明確になると、中身もはっきりする。
その箱は、不思議な箱で、多次元の形を持つ。
たとえば、「バリ島での鳥の思い出」と言われると、昨日の話のほかに、別のときに体験したことも思い出す。
「バリ島での」を抜いて「鳥の思い出」と言われれば、もっとたくさんのことを思い出す。
だけどいきなり「どんな思い出がありますか?」と問われたら、「バリ島での鳥の思い出」に含まれることを思い出さないかもしれない。
つまり思い出は、集合の帰属と包含のような簡単な関係ではない。
だからそれを普通の箱のように思うと、それは違う。
ある一面から見ると箱のようであり、別の面から見るとネットワークのようである。
だから、不思議で多次元な箱だと思う。

No.05244 24.07.21 箱を開けてみる

7月13日の朝に見た夢に箱が出てきた。
その箱を開けてみることにした。
瞑想状態になって、イメージを思い浮かべ、そこにフタが白くそれ以外が青い箱を思い浮かべる。
開けると、楽しい。
バカみたいだ。
箱を開けただけで楽しいわけがない。
でも、楽しかった。
イメージの中で大笑いした。

No.05240 24.07.13 箱に入った秘密

このところ以前のように気持ちいいものが浮かばない。
5240回も書いていればネタ切れにもなる。
だけど、こういうときに何か心の転換が起きる。
今回はどんな転換かと思っていたら、面白いのが来た。
夢の中で、どこか高いところに、フタが白く、それ以外が青い箱が出てきた。
その箱を見ると、そこには秘密が入っているというのを僕はなぜか知っている。
その秘密が嬉しい秘密なのだ。
ところが、嬉しいということ以外よくわからない。
目が覚めて、嬉しかった。
どういうことか、意味はわからない。