No.05311 24.11.07 欠乏という恵み

十数年前、友人が亡くなりました。
その翌々日、「本当に全てのものが流れ去っていくな」と思っていたとき、不意に「欠乏こそが恵みである」という言葉が出て来ました。
その瞬間は「なんだそれ」としか思いませんでしたが、時間が経つと確かにそうだなと思うようになりました。
そのときのことを文章にしてどこかに残したはずだと思い、探しました。
Healing Writing のサイトにありました。
http://www.healingwriting.com/blog/?p=224
うっすらと覚えていたことですが、はっきりと文章で読むとなるほどと思います。
生きているって不思議だな。

No.05310 24.11.05 花束

昔、吹奏楽団の指揮をしていたことがあるので、演奏会が終わると花束をいただいた。
とても嬉しいのだが、恥ずかしいような気もした。
何度かいただいて慣れてしまうと良くないなと思った。
心の一部では慣れてしまったが、別の部分では照れながら、また別の部分では喜ぶ。
複雑な心が生まれる触媒だった。

No.05309 24.11.02 カザン宣言

BRICSが発したカザン宣言を読んでいる。
日本のマスメディアのニュアンスだと西欧社会と敵対しているかのように聞こえるが、文書だけ読むとそんなことはない。
多少の批判は混ざっているが、それは状況を見れば当然だろう。
長文でまだ読みきれないが、平和を志向しているように読める。

No.05308 24.10.31 冬物を出す

半年ぶりに冬物を出す。
夏物を出したとき、はけないズボンがあって驚いたが、冬物にはなさそうだ。
急に寒くなったように感じるが、もう11月じゃないか。
冬物を出さないでいたのが不思議なくらいだ。

No.05306 24.10.26 太宰治短編小説集

太宰治の小説は中学生の頃にいくつか読んだ。
もう半世紀前のこと。
アマゾンプライムに「太宰治短編小説集」という映像作品があったので見た。
2010年頃、NHKでオンエアされたものをまとめたらしい。
シーズン1エピソード1には「御伽草子より カチカチ山」「トカトントン」「女生徒」「キリギリス」が入っていた。
作り方はとても斬新で面白かったが、特に小説の文章がときどきそのまま文字として出てくる。
「御伽草子より カチカチ山」「トカトントン」は読んだことがなかったのでどうということはなかったが「女生徒」で驚いた。
小説の文章を読まされるとき、半世紀前の記憶が蘇った。
たった一度しか読んでないはずだが、次の文章が浮かぶところがあった。
ところどころ「次はこう」と思い出す。
「キリギリス」ははじめの数秒で物語をほとんど思い出した。
「女生徒」も「キリギリス」も、タイトルだけでは読んだかどうだか思い出さなかったのに。
半世紀のあいだ記憶に残る文章。
太宰はすごい。

No.05305 24.10.25 赤いささら

氷川台駅前に「ささら」というラーメン屋さんがある。
できた当時どういう意味かわからずにご主人に聞いた。
すると「これです」と中華鍋を洗うために竹を細く切ってまとめた「ささら」という道具を見せてくれた。
それから何年も経ち、少し大きなささらに出会った。
楽器だという。
右手で持ち細かくふるわすとサラサラサラサラと音がする。
ときどきアクセントをつけるために強く振ると、サラサラサラサラジャラサラジャラサラと面白い。
赤くて黄色い水玉模様の大きなささらを持たされて演奏することになった。
一曲演奏すると手が痛くなった。
「鍛錬鍛錬」とか言われて、手を鍛える。
赤い服を着せられ、赤くて黄色い水玉模様の傘も左手に持たされた。
そこで目が覚める。
どういう意味の夢だ?
ラーメン屋さんの話は現実のことだったが、なぜささらが夢に唐突に出てきたのかわからない。
「ささら」を調べたら、実際に「ささら」という楽器もあった。
それを使って五穀豊穣を祈るおどりを「ささら舞」というそうだ。

トップの写真は「赤くて黄色い水玉模様の大きなささらを持たされて演奏することになった」とAIに入力して出てきたもの。
「ささら」が何か認識できないみたい。

No.05304 24.10.24 ブロッコリーの塩茹で

鍋にお湯を沸かし塩を入れる。
沸騰する前からブロッコリーの茎の部分を食べやすい大きさにカットして入れる。
沸騰したら一口大に切ったブロッコリーを入れ、緑が鮮やかになったくらいでサッと上げる。
マヨネーズやドレッシングをちょっとかけて食べる。
簡単で美味しくて幸せ。

No.05303 24.10.23 歌聖

友人である国語の先生が訪ねてきて相談された。
「和歌が好きな生徒がいるんだけど、その子はずっとたくさんの和歌を詠んでは学生コンクールで優勝をしてきた子なの。古典研究で高名な〇〇先生に会って以来ピタッと和歌を詠まなくなったんだけど、どうしたらいいと思う?」
「〇〇先生に何か言われたの?」
「そうだとは思うけど、何をいわれたのかまでは・・・」
その生徒の歌集を読んで会うことになった。
僕には和歌の専門的な知識はないが、読むとなんとなくうまいことがわかった。
「素敵な和歌を詠むね」
「そうですか?」
「詠むの好きだったんでしょう?」
「まあ」
「次の作品も読ませてよ」
「もう詠まないと思います」
「なんで?」
「〇〇先生にお前は歌聖などではないと言われました」
「おや、〇〇先生は君のこと、歌聖と比べたの?」
「いえ、友達が僕のことを歌聖だと紹介したんです」
「なるほど。だから詠むのやめたんだ」
「はい」
「君は自分のこと歌聖だと思っていたの?」
「いいえ、みんながそう言うだけです」
「自分が歌聖になるとしたら、何が足りないと思う?」
「わかりません」
「本当? 歌聖とはどういう人か調べた?」
「はい」
「調べたらどうだった?」
「そんな人にはなれないと思いました」
「歌聖になりたかったの?」
「いえ」
「だったら今までどおり和歌を詠い続けたら?」
「でも、恥ずかしくなりました。和歌があんなに深いものだとは知らなかった」
「そうなんだね」
「だから詠いません」
「歌聖ではないと言われる前に何か言われた?」
「こんなふうにも読める、あんなふうにも読めると、思ってもいなかった解釈を言われました」
「それでどうしたの?」
「そんなふうに思って詠ったのではありませんと答えました」
「なるほど、いろんな解釈を聞いてどう思った?」
「どうって、正直いうと、意地悪なものの見方するんだなと思いました」
「そうかもね」
「そうですよね」
「もし君が本物の歌聖だったらどう答えたと思う?」
「えっ? わかりませんけど、そうですね、その場で粋な答えを和歌で詠ったかもしれませんね」
「それは素敵な答えだね。なんて答えた?」
「今はすぐには浮かびません」
「ということは、〇〇先生はあなたが本当の歌聖になるためのヒントをくれたのかもね」
「え、そうなんですか?」
「あなたがどう解釈するかだからね。好きな解釈でいればいいと思うよ」
彼は帰って行った。
後日友人から、「また和歌を詠むようになりました」と連絡をもらった。
今朝見た夢。
僕にとってどんな意味がある夢なのか。