No.05132 24.01.15 愛に傾いている

国の指導者が戦争をしたがっても、フェイクな情報を流しても、一般民衆はもう戦争にはなびかない。
戦争をしようとすればするほど、ボロが露呈している。
一般民衆は愛に傾いている。
冷静に情勢の推移を見つめている。

No.05128 24.01.09 華厳経は何が面白いの?

それには簡単には答えられない。
華厳経にはいろんな内容が精緻に折りたたまれ、比喩となり、こちらの知識を刺激して、解明してくれるから。
例えば、毘盧遮那仏を宇宙と見立てると、現代の宇宙物理学を教わっているかのように思えてくる。
如来や菩薩の会話の構造は、ホロンに関して教えられているようだ。

その内容がなぜ言葉にしにくいのかというと、第一章にあたる寂滅道場会の最後に童子(こどもor青年)が出てきて、仏と会話をし、悟りとはどれだけ素晴らしいことかと話すのだが、その会話はほんの五十行程度で終わる。
華厳経の最終章である入法界品では、文庫本三冊で善財童子がどのように悟っていくかが示される。
その方法は基本的には悟ったといわれる人たちに会って、その話を聞いていくだけなのだが、いろんな人に会い続けるうちに次第と童子の心の中に生まれてくる内容が大きくなっているだろうことが読み手に推測され、書かれていることが理解されるのと同時に、書かれていないことも大きく膨らんでいく。
何度も何度も似た話を繰り返されたりもするが、そのことによって、その内容のわずかな違いが大切であることに気付かされ、そのわずかな違いに注意を払い出すと、その理由が見えてくるようになる。
寂滅道場会の最後に五十行程度で記されていたことが、実は如来になると文庫本三冊分の膨大な知恵になっていることが明確になる。
つまり華厳経で教えてもらうことは、言葉で簡単に教えてもらうことがどれも、実はものすごい時間や空間や人々の会話や、深い知恵によって作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解し、常にそのことを背景にあらゆることを感じるというのはどういうことであるかに目覚めていることとはどういうことかを伝えてくれている。
つまりそれは、どんなに簡単に思える存在でも、実はものすごい時間や空間や生死を通して作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解することであり、それに目覚めた状態で世界と対峙するとはどういうことかを教えてくれる。
だから、読む人によって見えてくるものはきっと違い、その違いがガンジス川の砂粒の数ほど多いのだろうことが理解される。

No.05125 24.01.06 深層心理に訴えかける本を読む

そういう本を読むと矢鱈と眠くなる。
今までに数冊そういう本を読んだ。
読みながら寝てしまう。
かつてはそこで読書を中断して、しばらくしてから続きを読んだ。
だからなかなか進まなかった。
今日読んだ本もそういう本だった。
読んでいるうちに寝てしまった。
夢を見た。
夢で納得して続きが読めた。
可笑しいなと思う。

No.05124 24.01.05 辛いこと

辛いことに遭遇したら、いいことがある。
矢鱈滅多と走り回るかもしれない。
無駄なことをたくさんするかもしれない。
使わない知識をたくさん抱えるかもしれない。
無理に作り笑いをするかもしれない。
知らない誰かに会えるかもしれない。
今までやってきたやり方を手放すかもしれない。
苦しまぎれにいい解決法を見つけるかもしれない。
素晴らしい師に出会えるかもしれない。
悲しさを糧にする術を得るかもしれない。
気持ちは脇に置いて今を見つめるかもしれない。
乗り越えたあとに自信がつくかもしれない。

No.05120 23.12.28 自分の中に矛盾があることに気付くこと

自分にはいろんな立場がある。
その立場一つ一つについてよく考えていくと、どうしても矛盾があることに気付かされる。
矛盾を解消するためによく使う手段は、ある立場を無視することのように感じる。
それはその立場と同一視している自分自身を抹殺しているのに等しい。
ある立場を生かすために、別の立場の自分を殺している。
両方の立場を生かすためにはどうしたらいいのか。
双方を生かすために悩み解決することが、本当に自分を愛するということなのではないか?
自分の中の矛盾を解決できない限り、他人との矛盾はさらに解決が難しいのではないか?
この一見簡単な問題すら答えられないとしたら、複雑化していく社会の中で、錯綜した問題は解答不可になるのではないか?
だから、解答の難しい問題を時間をかけて、手間をかけて答えていくことは、何かを愛することと同等なことなのではないか?

No.05115 23.12.19 A Symphonic Celebration – Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki

タイトルのアルバムを聞いた。
聴き始めて泣いてしまった。
楽曲や音が素晴らしかったのはもちろんだが、いろんな思い出があふれだした。
まず僕は久石譲が映画音楽を書き始める前から知っていた。
高校一年のとき、映画「ロッキー」がヒットし、それをブラスバンドで演奏することになった。
確かリットーミュージックの吹奏楽団用スコアの編曲を久石譲がしていた。
映画ではCでファンファーレが始まるのだが、久石の編曲ではE♭で始まっていた。
その方が楽器の特性上よく響くのだ。
他にも、これ間違いかなと思うほどきめ細かい編曲がしてあった。
リピートの部分、一度目はテンションのかかった音を吹かせておいて、二度目はテンションのかからない音にするなど。
それで久石の名前を覚えた。
しばらくすると、ヤマハのニュー・サウンズ・イン・ブラスの編曲も始めた。
つまり、ちょっと格が上がったように感じた。
リットーミュージックの楽譜は手書きを印刷したものだったが、ヤマハは綺麗に機械によって印刷されていた。
大学生の頃に「風の谷のナウシカ」の音楽をやっているのを知る。
すごいなあと思った。
それからの活躍は皆さんのご存じのとおり。
そして、今回はドイツ・グラモフォンから「A Symphonic Celebration – Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki」を発売した。
グラモフォンはクラシック音楽のレーベルとしては一番と言っていい名門。
そこから発売されていたカラヤンのアルバムを昔よく買った。
でも、この思い出は泣くような種類の思い出ではない。
次に思い出したのは、母のことだ。
氷川台にシェ・ソワというフレンチのレストランがある。
そこの料理がとても美味しい。
単に美味しいだけでなく、とても懐かしいのだ。
何度かかよううちに、その理由がわかった。
シェフがプリンスホテルで修行したのだ。
昔、苗場や軽井沢、箱根など、何度か食事したことがあった。
母がプリンスホテルの味が好きだった。
生前「練馬には美味しい店がない」と文句を言っていた。
だから、母をシェ・ソワに連れて行きたかった。
そこでのBGMはいつも久石の曲なのだ。
こういう思い出が積み重なって泣けてしまう。
歳を取るとはそういうこと。
タイトル通り、まさにセレブレートしてもらった気がする。

No.05112 23.12.15 人類の役割

ペンキ画家のショーゲンさんが「人類が生まれてきた役割は祝福すること」と言っていた。
ブンジュ村の村長さんから教わったという。
それを聞いて僕は感激したのだが、そこから思ったこと。
人間は何でもかんでも名前をつける。
名前をつけることで言葉にし、会話に使う。
これこそが祝福の深い意味だなと思った。

No.05102 23.12.04 他人の心は本当にわからないものなのか

自分の心は自分にしかわからないと書いたが、実は疑っている部分もある。
自分の心は自分でも知り尽くすことが難しい。
確かにその通りなのに、なぜか他人から言い当てられることがある。
スパッと言われて「なんでそんなことわかるの?」と思うことがある。
きっと何かが同調したんだなと思うが、本当にそれだけなのだろうか?
時には誰かの思いを言い当てて「なんでそんなことわかるの?」と言われることもある。
「なんで」を僕も知りたいが、理由のわからぬ「なんとなく」が時々やってくる。

No.05101 23.12.02 他人の心

自分の心は自分にしかわからない。
しかも、自分の心は自分でも知り尽くすことが難しい。
ふと思い出したことがなぜ思い出されるのか、常に答えられるわけではない。
「きっとこうだ」という推測以上にはならないことがある。
自分の心すら思うようにならない。
まして他人の心など。