No.04641 21.10.26 コメントしにくい

世の中には、コメントしにくいニュースが浮上してきている。
ある側面から見ると「ひどい話」であり、ある側面から見ると「しかたない話」であり、ある立場から見ると「よくやった」というべきニュース。
立場が違うとこうも見方が違うのかと思いつつ、それが浮上するようになったことを喜ぶべきか。

No.04634 21.10.19 単純化

「日本人はこういう人間」とまとめる本がたくさんある。
縄文文化の影響でとか、平安時代の何かにちなみとか、江戸時代の風習によってとか、いろんな理由でまるっとまとめられる。
そのおかげで好き勝手なことを言えるが、実際にはいろんな人がいる。
単純化することで表現の楽しみが生まれるが、複雑なものを複雑なまま受け入れようとすると、難しくなって手に負えない。

No.04633 21.10.18 かつての指

ピアノが弾けた。
かつての指。
しばらく弾かなかったので忘れてしまった。
最近はパソコンのキーボードもミスタッチが増えたように思う。
かつての指に戻らないかとさすってみる。
今の指も悪くはない。

No.04632 21.10.17 本棚の整理

本棚は空いた部分がなければならない。
もしそれがないと、新しい本を入れられない。
新しい本が入らないと、足元や壁際に積むことになる。
たくさんの本が積まれていた。
そこで、もう一生読まないと思われる本を古本屋に売ることにした。
ひさしぶりに本棚に空きができた。

No.04624 21.10.04 正直化

世界の正直化が進んでいると思う。
かつては「このくらいいいだろう」で済んでいたことが、済まなくなってきている。
それはいいことであり、一面では悪いことでもある。
たとえば、遺伝子の染色体が一度にたくさん変化すると、そこは癌化されてしまうという。
そういう現象をクロモスリプシスというそうだ。
染色体が変位するのはよく起きることで、それを修復したりそのままにしたりして細胞はわずかずつの変化を受け入れていくが、一度に大きな変位が起きるとそのことによって癌が生まれる。
それと似ていて、社会もかつて「このくらいでいいだろう」と思われていたところを一度に正直化すると、いろんなところにがたが来るのではないかと思う。
それが一面の悪いことだ。
全体の調和を崩さずに正直化を進めるためにはある程度の許容が必要だと思うが、その許容の度合いをどうやって決めるのかが難しい。
癌を観察するのに、染色体レベル、細胞レベル、肉体レベルと視点の階層が必要なように、正直化を進めるのにも、言語レベル、個人レベル、家族レベル、組織レベル、社会レベルと、階層を設けて観察しないと、きっとうまくいかないだろう。

No.04623 21.10.03 走馬灯

死の間際に走馬灯のように記憶が甦るというが、僕にはそういう体験がないので、それが本当かどうかはわからない。
だけど、PCに入っている好きな写真を何十枚か、スクリーンセーバーがかかるときに見られるようにしている。
でてくる写真はこの十年ほどのものでしかないが、過去の写真を見ていると、ふと幸せな感覚になるときがある。

No.04621 21.10.01 繊細さを忘れながらそれに直面する

幼い頃、日本語の歌が嫌いだった。
テレビからはいろんな歌謡曲が流れていた。
それがことごとく恥ずかしかった。
多くは恋愛の歌で、とても僕には歌えないと思った。
ところが、大学生の頃には慣れてしまった。
理系だったので文章はほとんど書かなかった。
書くとなんだか恥ずかしかった。
だから日記は二日と続いたことがない。
会社に入った。
会社にいると文章を書かざるを得ない。
だけど、自分のことを書くのではなく、企画書とか、何かの趣意書だとか、他人事ばかり書いていた。
そうやって自分の内側にある繊細さを忘れていった。
自分のことを書くと途端にその繊細さに直面する。
「僕がいいたいことと違う」
いつもそう思っていた。
言葉にすると、大切なニュアンスがごそっと抜け落ちるような気がした。
だけど、それに慣れていった。
「日刊 気持ちいいもの」を書くことは、そういう繊細さを忘れていくことだ。
まるっと感覚を捉えて表現する。
一方で、うまくは書けないニュアンスに直面し続けることでもある。
あなたは「いったいどっちだ」と思うかもしれない。
うまく説明はできないが、どっちでもあるんです。