ローマクラブの発表した論文に「限界を超えて」がある。
「成長の限界」を発表した20年後の1992年に流された論文だが、そのなかではもう環境問題が限界に来ているため、なんとかしなければならないと警告していた。
そして、もしその限界を超えて人類が生き延びるためには次の五つを心がけなければならないと書いていた。
ビジョンを描く
ネットワークを作る
真実を語る
学ぶ
愛する
今こそ必要だと思う。
ローマクラブの発表した論文に「限界を超えて」がある。
「成長の限界」を発表した20年後の1992年に流された論文だが、そのなかではもう環境問題が限界に来ているため、なんとかしなければならないと警告していた。
そして、もしその限界を超えて人類が生き延びるためには次の五つを心がけなければならないと書いていた。
ビジョンを描く
ネットワークを作る
真実を語る
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愛する
今こそ必要だと思う。
人類が理想的に発展したとするとどうなるのか、夢想する。
このところの政府の対応は首を傾げてしまうものばかりだ。
ニュースを見ているとため息しか出て来ない。
YouTubeでは、日本はもう駄目だと公言している人の映像を見ることができる。
これだけ反発が生まれるようなことをしているのは、きっと政治家自身、改革が必要だと思っているからだろう。
良い改革ができればいいのだ!
そう思って、気持ちを落ち着ける。
期待はしない。
「現象としての人間」に「高次の人格」という概念が出てくる。
これからその概念について時間をかけて説明するけど、30年かけてなるほどと思った概念なので、説明が大変。
でも、説明するのが楽しみ。
どっちやねん。
どっちもや。w
100億人の地球に何が必要か?
もし今のままの競争社会が続き、欲望に従い搾取し続けるのなら、いつか破滅するしかないのでしょう。
人間の社会だけを考えていても、何も変わらない。
もっと大きな視点と、いままでにはない区別を考えることで、人類の精神が別の領域にいくことが必要です。
ロシアの科学者ヴェルナツキイ、フランスの数学者であり哲学者であるエドゥアール・ル・ロア、そして同じくフランスの神父であり科学者であったテイヤール・ド・シャルダン。
これら三人が作りあげたヌースフィアという概念を、ケン・ウィルバーが発展させている。
そのフィジオスフィア(物理圏)、バイオスフィア(生物圏)、ヌースフィア(精神圏)について考えてきた。
いろんな人と一緒に考えてみたい。
i_n_f_o_r_m_a_t_i_o_n___________
しばらくサイトがダウンして、「日刊 気持ちいいもの」が発行できませんでした。
今日から再開します。
「ヌースフィアってなに?」という映像シリーズをYouTubeで始めました。 ぜひ見に来てください。 第1回は「入口」と題して、フィジオスフィア(物理圏)、バイオスフィア(生物圏)、ヌースフィア(精神圏)の区別についてお話ししました。
回を重ねていくうちに、生命の進化、精神の進化、人類が将来取り組まざるを得ないことについてお話しします。
世界の人口は、今年2022年11月15日には80億人になる予定だそうです。
国連が発表している世界人口推計の2022年版にそう書かれているとか。
2050年には97億人を超える見込み。
戦争したり、奪い合っていたり、過度に戦っていたら、地球は生きにくい場所になってしまいます。
譲り合って生きていきましょう。
社会の膿がポロポロと出てくるようになった。
それらをよく観察しなければならない。
観察して、自分の心のどこにそれを許していた要素があるのか、気づかなければならない。
社会の膿がきれいになるのは、きっとそのあと。
何かの本で、地球上の哺乳類のうち、野生動物はたった4%でしかないというのを読んだ。
ショックだった。
つまり人間と畜産動物とペットが哺乳類の96%をしめている。
それを読んでこんなことを考えた。
人間が哺乳類のほとんどを自分の意図のままに使っていると。
そして、使うだけではなく、ほとんど食べている。
とてもバランスが悪いように感じる。
自分のからだを例として考える。
脳がもっとも大切な部位だから、あとの細胞はどうでもいいと脳が考えていたらどうだろう?
脳に栄養を送るために他の細胞はすべて犠牲にする。
そんなバランスで健康な身体が保てるだろうか?
だからと言って、バランスを取り戻すために人間を殺せとは思わない。
人間にとって他の生命がどんな価値のある存在なのか、よく考えなければならない。
いま僕たちが信じている「ものの考え方」を少し変えた方がいいのかもしれない。
その結果、自然とバランスが取り戻せるのが理想ではないか?
草食動物が元気に生きるためには広い草原が必要。
草原が狭いと、食べ尽くして終わってしまう。
肉食動物は、草食動物がたくさんいないと生きていけない。
草食動物を食べ尽くしてしまったら、肉食動物は生きていけない。
だから、肉食動物が元気に生きて行くためには、たくさんの草食動物と、それを支える広い草原が大切。
でも、動物園には草原はない。
人間が草や餌を持ってきてくれるから。
それでいつしか忘れてしまう。
肉食動物は草食動物のおかげで肉食動物になれたこと。
草食動物は草原のおかげで草食動物でいられたこと。
人間も、便利になることで、いろんなおかげを忘れてしまう。
宗教には、それを忘れないための仕組みがあった。
市原ぞうの国で象が絵を描いた話をしたら、絵を描く豚がいることを教えてもらった。
その名は「Pigcasso」。
PigとPicassoがドッキングした。w
象の絵とは異なり、こちらは完全な抽象画だ。
デジタルアートとしてネット上で買うこともできる。
豚は頭がよく、感性も優れていることは、ライアル・ワトソンの遺作『思考する豚』を読んで知った。
そういう豚を食べてしまうのか?
以前、イルカやクジラは頭がいいから食べてはいけないという話しがあった。
豚も頭がいいとなったら食べてはいけないと主張する人が現れるのだろうか?
人間の原罪について踏み込む課題がひとつ明確になった。
僕は、または僕たち人類は、どんな答えを出すべきなのだろう?
ポークソテーを食べながら考える。