No.05556 26.06.20 紫陽花の心変わり

梅雨の頃に咲く紫陽花。
道端などに咲いていると綺麗だなと思えるが、「好きか?」と聞かれると、つい「いいや」と答えていた。
ふと「それはなぜか?」と考える。
花言葉が「心変わり」だという理由だ。
なぜその花言葉になったのかというと、花の色が変わっていくからだろう。
そんな理由で嫌われていては、紫陽花がかわいそうだ。
紫陽花はただ色が変わる花だというだけで、誰かを裏切ったわけでも、騙したわけでもない。
誰かがなすりつけた花言葉という先入観で嫌っていたなんて、失礼な話だ。
生まれてはじめて先入観なしで紫陽花を見つめる。
雨の雫でみずみずしい。

No.05554 26.06.13 世界平和を祈る

人は以前より高度な知恵を持つたびに争わざるを得なくなるようだ。
古事記、日本書紀以前の歴史が露わになりつつある。
しかし、そのような文献はたいてい偽書とされる。
偽書扱いにすることでその研究さえも封印される。
真偽について僕は深く研究していないが、バリ島に何度か通ったことである気づきを得た。
それは、統一された神道は古事記以前にはなかったのだろうということ。
バリ島には各地に王族がいる。
それらの王族は似てはいるが別の宗教体系を持っていて、互いにそれがどのようなものかを秘密にしている。
これは宗教の発生を考えるときに、そうなるだろうなという予測がある程度つく。
日本も土地ごとにいろんな神様がいて、その神様がどんなことをしたかという伝承は、距離が離れれば離れるほどさまざまなものになっただろう。
だからこそ日本書紀では似た話のいろんなバージョンが収められている。
地域によってはあまりにも独特で、日本書紀に収められなかったものも多数あっただろう。
それらを古事記で統一し、ある時からそれ以外の話は認めなくなった。
そういうことだと僕は理解している。
人間は次第に生息域を広げる際に、もともとあった文化同士がぶつかり合い、どちらを採用するかで争うことになる。
平和に融合し、文化が高度化していけばいいのだが、そうならないことが度々起こってきたようだ。
そのようなとき、どのように互いの文化を融合させるかについての知恵が、あちこちで生まれただろう。
それは世界的な知恵のネットワークがなかった時代ではいろんなものになる。
そこで、平和的融合や、武力による制圧が生まれた。
その表面上のことを僕たちは歴史で学ぶ。
しかし、その時代に生きていた人たちにとって、そこで学ぶこと、または強いられることは、その時代、その地域の文化を作る上で大きなことであり、その結果生み出された遺物や文書は現代にも残されれば得ることができるが、形に残されなかった口伝のようなものは推測に頼るしかない。
非二元論という明確に言語化できない知恵について追いかけているのは、きっとどこかで平和についての隠された知恵について触れることができるのではないかという期待からである。
しかし、それは表面上、まったく別々の表現になっているため、統一された思想体系のようには思われない。
その骨組みがやっと分かったが、それを他人に説明するのが難しい。
四苦八苦している。
chatGPTを相手に対話を重ねている。
以前より考察の広がりが早くなった気がするが、chatGPTは滅多に相手を否定しないので、上手い話ばかりが集まってきているようで、自分で考えたほうがいい方向性が探せるのかもしれない。
そんな試行錯誤を繰り返している。
これは僕の世界平和への祈りの形なんだなと思う。

No.05547 26.06.04 非二元論

非二元論についていつか知りたいと思ってきた。
その概要について理解したと思うので、「ヌースフィアってなに?」にその内容を少しずつ伝えていく。
でも、かつての聖者たちがみんな「表現不可能」とした考えを表現していくのは無謀なことである。
でも、それを言葉に、映像にしていく。
理解してもらえるかな?
理解できたら非二元論ではないのだよな。
未熟な考えをさらしていくことになるのかも。
でもそれをしてみたい。
ここまで来るのに30年以上かかったんだ。

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「ヌースフィアってなに? 第17回」を
YouTubeにアップしました。
今回のテーマは
「非二元論を学ぶ1」です。
https://youtu.be/iS8cOdy6NtM

No.05544 26.06.01 メジロ

毎朝、そして一日何度も近くに来て鳴いている鳥がメジロだとわかった。
ベランダの前にある木に止まり、鳴いているのを写真に撮った。
「可愛い」と漏らしたら、相方に「私にはそんなこと言わないのに」と叱られた。w
でも、メジロにしては少し複雑な鳴き方をしているように思う。
何年もバードコールを鳴らしてきたので、その音に合わせてきたのかもしれないと考えるが、「そんなことはないだろう」と自分で打ち消す。
でも、もしそうだったら、いっそう可愛い。
あ、しまった。w

No.05541 26.05.27 モンシロチョウ

一羽のモンシロチョウが目の前を横切った。
散歩中の公園で。
「最近、蝶を見てない」と目が覚めた。
そうだよ、蝶はどこへ行った?
幼い頃には草むらにたくさんの蝶が舞っていた。
虫取り網を振り回すとすぐに捕れた。
農薬や殺虫剤のせいでいなくなったのかな?
飛んで行ったモンシロチョウに「がんばれ」と思う。
今では滅多に見られない風景をAIに描かせた。

No.05537 26.05.16 朝鳴き鳥

朝の三時か四時頃、空が明るくなる前に窓の外で鳥が鳴き出す。
高い声で綺麗な鳴き方。
ミソサザイのような鳴き方だ。
八時頃にも鳴いていたので、バードコールを鳴らした。
呼応して楽しい。
しばらくしたらベランダに来た。
洗濯物が干してあったので、鳥は呼ぶなと相方に怒られた。
姿はミソサザイより大きく、何の鳥かわからなかった。
鳴いていた鳥とやってきた鳥は違うのかも。

No.05533 26.05.04 スズメの水浴び

歩いていたら、目の前の水たまりにスズメが飛んできて、羽を震わせて水浴びを始めた。
一歩踏み出せば踏み潰してしまうような場所で。
人間はそんなことしないとわかっているようだ。
クマやシカもそう思って人里に出てくるのかも。
信頼してもらうのは嬉しいけど、危害は加えないでほしい。
水が跳ねてきたよ。

No.05525 26.04.19 人体の不思議

今更だけど、生きているって不思議。
なんで考えたり、感じたりできるんだろう?
景色を見てさ、いいなとか、いやだなとか感じる。
まったく不思議だ。
なんで食べたものが何も知らないうちに消化されるんだろう?
単なる原子も生命の一部なんだろうな。
ありがたいことだ。

No.05514 26.03.29 桜が咲くということ

桜が咲き出した。
毎年のようにそのことについて書いている。
これほど何度も繰り返し書いている素材はないだろう。
何度書いても飽きない。
何度も繰り返し書くということは、僕の内面に何か強い影響を与えているはずだ。
それは一体なんだろう?
答えは一つではないし、それらは複合的に絡まり合っている。
文学にも桜をテーマにした作品がたくさんある。
ということは、僕個人の話ではなく、多くの日本人にも影響を与えているだろう。
外人の中には花見している日本人が見たいという人がいるし、花見に参加して喜んでいる人もいるようだ。
もちろん「満開の桜を見てみたい」という人もいるだろう。
外人がこう思うのは、満開の桜は日本以外ではほとんど見られないからだ。
そんなことを考え合わせていくと、日本人が日本人でいるために、毎年咲く桜が影響しているのではないかと僕は思う。
死生観や色彩感覚、自然との関係、人との関係、言葉の感覚など、多岐にわたる影響があるのではないか?
だとすれば、僕たち日本人が桜に寄せる思いが深くて濃いのは当然のように思われる。
さあ、花見に行こう。

No.05513 26.03.23 観自在で思い出したこと

昨日、ある僧侶の法話を聞いた。
話が観音経の内容になった。
観音経は法華経の一部で、観世音菩薩普門品という。
観音様は翻訳によっては観自在菩薩ともいう。
観音様はこの世界をいろんな見方で見ることのできる菩薩様で観自在といわれる。
だからどんな苦境にいる人も救い出すことができる。
法話では「人間にはなかなか物事の本当の姿を見ることができない。だから同じ本を読んでも読むたびに違う印象になったりする」と説かれていた。
その話を聞いて一晩寝たら面白いことに気づいた。
一年ほど前に思い出せなかった名前を思い出すことができた。
それはケニアにいた象の名で「アジョク(Ajok)」と呼ばれていた。
その象は動物孤児院で会うとすぐに僕の目の前で地面にお腹をさらすように寝そべってしまった。
すると孤児院の職員たちが笑い出した。
聞くと「僕にかまってほしいのだ」という。
「どうやって?」と聞くと、「お腹の上に乗ると喜びますよ」という。
アジョクはすでに僕の背より高い象だった。
体重は数百キロはあるだろう。
そんな象にどう対処しろというのか。
怖くて辞退した。
そのときの僕には「怖い」としか思えなかった。
でもアジョクは日本から来た見知らぬ僕にも心を開く優しい象だったのだろう。
その天使のような象を拒否してしまった。
観自在菩薩の話を聞いて、寝て起きるとアジョクを思い出すとは、人の記憶って不思議だなと思う。