No.04695 22.01.26 K君と墓参り

大学生の頃、理系だった僕たちは、実験レポートの提出前に内容を照らし合わせたり、教え合ったりすることを口実に、仲良しがそれぞれ車で真夜中にファミレスに集まり、コーヒーを飲みながらいろんなことを話した。
ある日K君が「これから母さんの墓参りに行きたい」と言いだした。
一緒にいたT君と僕は驚いた。
零時を過ぎて、そろそろ帰ろうとか思っていたときにそんなことを言われた。
「もうすぐ丑三つ時だよ。こんな時間に墓参りしてどうするの?」
K君は「いいじゃん。きっと楽しいよ」。
どうしてそんな話になったのか詳しくは覚えてないが、「母さんに二人を紹介したい」という感じだったように思う。
K君は幼い頃に母親を失っていた。
その思い出のいくつかを聞いていた。
そういう文脈で断るほどT君も僕も冷淡にはなれなかったので、三人でK君の母親が眠る郊外にあった大きな霊園に午前一時過ぎに行った。
あたりは真っ暗。
だけど、幹線道路が霊園のそばを通っていたので、何も見えないというほどではない。
うっすらと影が見えるお墓がたくさん並ぶなか、K君は「こっこちこっち」と母親のお墓に向かって歩いて行く。
怖くないというわけではないが、怖くてたまらないというほどではない。
K君の母親に会いに来たのだ。
「ここだ」と言って一つの墓石を示された。
暗くてよく見えないが、そこで三人で手を合わせた。
すると「鈴の音が聞こえたね」とK君がいう。
「きっと母さんが喜んでいる」
僕には聞こえなかったが、否定はできなかった。
そして、本来であれば怖いはずの、見知らぬ霊園の真ん中にいて、思い出話を聞いていたK君の母親といると思うとさほど怖くはないという、不思議な感情を味わった。

No.04694 22.01.25 富士サーキットの幽霊

会社員だった頃、仕事で何度か富士サーキットに行った。
多忙な会社員生活だったので、早朝に自分の車でサーキットに行き、その夜に帰った。
仕事の内容はサーキットのプロモーションだったので、いわゆるレースクイーンを連れてタイヤのプロモーションをしていた。
チームは十人前後で、レースクイーンと実行部隊が半々だった。
僕以外のメンバーは土曜に前泊してサーキットに行き、日曜の早朝に合流していた。
あるとき、レースクイーンの一人が、宿泊していたホテルでの霊体験を話してくれた。
そのホテルで寝ようとしたら、窓からの視線が気になり、カーテンを閉めて寝たのに、ふと目を覚ますとカーテンが開いていて、「どうしたの?」と思ったら、何かに足首を掴まれたそうだ。
そんな話しを聞いていたので、早朝に車で行けてラッキーと思っていたが、ある日車が故障して、前泊することになってしまった、
土曜の夜、別の仕事を終えてから富士サーキットに向かう新幹線の車内誌に、景山民夫のインタビュー記事を見つけた。
当時景山民夫は売れっ子の放送作家から直木賞作家に脱皮し、幸福の科学に入信して少し不思議な立ち位置の作家だった。
この数年後、景山は自宅で燃え上がり死んでしまったという。
プラモデルを作っていたときのシンナーに煙草の火が引火したとのことだったが、なぜか詳細は発表されず、不思議な噂が飛び交った。
その景山民夫が、確か阿川佐和子のインタビューを受けて、それが掲載されていた。
なぜ幸福の科学に入信したのかという質問に対して、「霊的なことへの説明が丁寧だから」というような返答をしていた。
ほかの質問についてはよく覚えてないのだが、ひとつだけ印象に残った質問があった。
「もし幽霊に出会ってしまったら、どうしたらいいいのか?」
景山はこんなことを答えていた。
「幽霊は肉体を持たないので、絶対的に生きている人のほうが有利です。幽霊には感情的に巻き込まれるとやっかいなので、ハハハと笑って無視するのが一番」
なるほどと思い、宿に向かった。
到着は深夜だったので、チームのみんなは翌日早朝の集合に備えて寝ているはずなので、ひとりで用意されていたシングルルームに入った。
その部屋は少し不自然だった。
シングルルームなのに広い。
ベッドさえ入れれば、四・五人が泊まれそうだった。
この深夜にクレームを言っても仕方ない。
そのまま気にしないで寝た。
正確には、気にしないようにしながら、「出てきたらハハハと笑って寝る」と思っていた。
深夜、ふと目を開けてしまった。
すると、ベットから見上げた天井と壁の境に足を付けて、まっすぐこちらに向かって立ち、クッと顔を上げている真っ赤なワンピースの少女がいた。
もちろん、「ハハハ」と笑って寝返りを打って、見ないようにした。

No.04693 22.01.24 心霊研究会

中学一年のとき、本屋で「UFOと宇宙」という雑誌を見つけた。
創刊号には小松左京や横尾忠則のインタビューが掲載されていた。
その雑誌を手にして学校に行き、友達に見せた。
数人が興味を持った。
その子たちと「よくわからないもの」について語り合った。
そのメンバーのひとりがたまたま「中一時代」か「中一コース」か、雑誌に投稿した。
「心霊やUFOに興味のある人からのお手紙を待っています」
それが掲載され、全国から数十通のお手紙が届いた。
返事をしようと言うことになり、「心霊研究会」の会報を何度か送った。
その第Ⅰ号の発送の日、誰かがこんなことを言った。
「あれ? メンバーはこれで全員だっけ?」
そこには四人の友達がいた。
ところが、そう問われると、確かにもう一人、誰かメンバーがいたような気がした。
寒気がした。

No.04691 22.01.22 ガムランを聴く

大学生の頃、「題名のない音楽会」で小泉文夫がケチャを紹介していた。
世の中には不思議な音楽があるもんだなぁとそのCDを探して買おうとした。
ところが見つからず、同じバリ島の音楽ということで、ガムランのCDを買った。
うちに帰って聞くと、最初の音でゾーッと鳥肌が立った。
「なんだこの音楽は!」と思い、ラックにしまった。
「こんな気持ちの悪い音楽はもう聴かないだろう」と思っていたのだが、なぜかときどき聞きたくなる。
聞いてはゾッとしてまたしまう。
「いったい何をしているんだろう?」と思っていた。
このゾッとした感じが、ヌミノーゼだと理解するのは十年以上過ぎてから。
縁があり、そのガムラン楽団を率いていたプリカレラン家にホームステイさせてもらうようになってからだった。

No.04689 22.01.20 下田移動教室

小学校での修学旅行はなぜか移動教室という名称だった。
なぜそう呼ばれたのか詳しいことは知らない。
小学五年の時の移動教室は下田に行った。
ペリーが来航した下田港や石廊崎を見た。
夕方に宿舎に着き、ベッドを割り当てられる。
僕は二段ヘッドの上の段だった。
夕暮れ、そのベッドに座ってボーッとしていたら、目の前の白い壁に四角いスクリーンのような光が差し込んだ。
なんだろう?と思って見ていると、そこにたくさんの線が出てきてうねりだした。
ほんの一瞬のことだった。
五秒ほどでその白い壁には何も映らなくなった。
ぞっとした。
なんだかわからないものを見てしまった。

No.04687 22.01.18 京都のお寺で聞いた読経

大学生の頃だっただろうか。
京都を旅行していたらあるお寺で読経が始まった。
どこのなんというお寺かも忘れてしまった。
だけどそこの読経が凄かった。
僧侶が数名で読経していたのだが、聞いたことのない和音になっていた。
それが読経の言葉とともにうねっていく。
楽譜にはしようがない微妙な和音の変化。
音楽のように心地よいのと同時に、底知れない畏怖を感じた。

No.04686 22.01.17 ブラバンの秘密

「聖なるもの」に向き合ったときの感覚をヌミノーゼといい、その感覚がしたときのことを思いだしているが、本当にこれもヌミノーゼと呼べるかどうかは判断が分かれるところだと思う。
でも、僕の感覚はそうだと伝えてくれているので、そのように扱う。
高校生の頃、僕はブラスバンドに入っていた。
そこで指揮をやらせてもらえることになった。
指揮をしていた先輩から、演奏会の直前にメンバーを集めて必ずこれを言うようにと、演奏会を成功させるための秘密の言葉を教えてもらった。
そのときの僕にはそれを言う理由がまったくわからなかった。
「そんなこと」としか思えなかった。
そこで文化祭の時、3回の演奏のうち1回を、わざとそれを伝えないで演奏をした。
すると何も間違いのない演奏だったが、ほとんど誰も感動しなかった。
きちんとそれを言うと、観客も演奏者も、とても感動する演奏会になった。
それを知って以来、僕はこの言葉を呪文と呼んでいる。
それはこんな言葉だ。
「これからする演奏はたった1度のものだ。同じお客様に聞いてもらうことはもうない。僕たちも同じコンディションでやることはもうないだろう。だから、いまの僕たちにできる最高の演奏にしよう」
これをいうとなぜかゾクッとした。
そして、その演奏にみんなが感動する。
うまいとか下手とか、そういう次元ではない何かが働いた。

No.04685 22.01.15 ケニアで見た天の川

山中湖で見た天の川から20年以上たち、仕事でケニアに行った。
広大なサヴァンナの真ん中にあるロッジに泊まり、ある晴れた日の夜、外に出た。
かつて見た夜空とほとんど変わらぬ夜空を見上げた。
草原の真ん中だから、肉食動物が出てきても不思議ではない。
それが畏怖の度合いを一層強めた。
自分がここで「生きている」とはとても言えなかった。
広大な空間の片隅で、まさに生かしておいてもらっていた。

No.04684 22.01.14 はじめて見た天の川

小学生の頃、家族で山中湖に旅行して、夜に生まれてはじめて天の川を見た。
夜空にびっしりと星が敷き詰められていた。
その濃度が高い流れが天の川だった。
びっしりと敷き詰められた星に畏怖を感じた。
なんともいえない恐ろしさ。
「こんな宇宙の中で生きているのか」と。

No.04683 22.01.13 聖なるもの

人は聖なるものに触れて動かされる。
その感情はなかなか表現しにくい。
オットーという神学者はそれをヌミノーゼと言った。
科学的にものを考えるようになり、聖なるものに触れる体験を忘れかけているかもしれない。
これからしばらく僕なりの、聖なるものとの接触について思い出してみようと思う。