10年くらい前、満月と夜桜が重なった日があり、デジタル一眼レフと三脚を担いで撮りまくったことがある。
何百枚か撮って、満足できたのは数枚だった。
今宵、満月に夜桜が重なった。
たまたま外を歩いていて、満開の桜の向こうに満月を見た。
一眼レフは持ってなかったが、iPhoneで10年前と似た写真が撮れるか試してみた。
三脚がないので手ブレする。
だけど、iPhoneが補正する。
数枚撮ったら、まずまずのものがあった。
技術革新はすごいな。
No.05514 26.03.29 桜が咲くということ
桜が咲き出した。
毎年のようにそのことについて書いている。
これほど何度も繰り返し書いている素材はないだろう。
何度書いても飽きない。
何度も繰り返し書くということは、僕の内面に何か強い影響を与えているはずだ。
それは一体なんだろう?
答えは一つではないし、それらは複合的に絡まり合っている。
文学にも桜をテーマにした作品がたくさんある。
ということは、僕個人の話ではなく、多くの日本人にも影響を与えているだろう。
外人の中には花見している日本人が見たいという人がいるし、花見に参加して喜んでいる人もいるようだ。
もちろん「満開の桜を見てみたい」という人もいるだろう。
外人がこう思うのは、満開の桜は日本以外ではほとんど見られないからだ。
そんなことを考え合わせていくと、日本人が日本人でいるために、毎年咲く桜が影響しているのではないかと僕は思う。
死生観や色彩感覚、自然との関係、人との関係、言葉の感覚など、多岐にわたる影響があるのではないか?
だとすれば、僕たち日本人が桜に寄せる思いが深くて濃いのは当然のように思われる。
さあ、花見に行こう。
No.05513 26.03.23 観自在で思い出したこと
昨日、ある僧侶の法話を聞いた。
話が観音経の内容になった。
観音経は法華経の一部で、観世音菩薩普門品という。
観音様は翻訳によっては観自在菩薩ともいう。
観音様はこの世界をいろんな見方で見ることのできる菩薩様で観自在といわれる。
だからどんな苦境にいる人も救い出すことができる。
法話では「人間にはなかなか物事の本当の姿を見ることができない。だから同じ本を読んでも読むたびに違う印象になったりする」と説かれていた。
その話を聞いて一晩寝たら面白いことに気づいた。
一年ほど前に思い出せなかった名前を思い出すことができた。
それはケニアにいた象の名で「アジョク(Ajok)」と呼ばれていた。
その象は動物孤児院で会うとすぐに僕の目の前で地面にお腹をさらすように寝そべってしまった。
すると孤児院の職員たちが笑い出した。
聞くと「僕にかまってほしいのだ」という。
「どうやって?」と聞くと、「お腹の上に乗ると喜びますよ」という。
アジョクはすでに僕の背より高い象だった。
体重は数百キロはあるだろう。
そんな象にどう対処しろというのか。
怖くて辞退した。
そのときの僕には「怖い」としか思えなかった。
でもアジョクは日本から来た見知らぬ僕にも心を開く優しい象だったのだろう。
その天使のような象を拒否してしまった。
観自在菩薩の話を聞いて、寝て起きるとアジョクを思い出すとは、人の記憶って不思議だなと思う。
No.05512 26.03.21 偶然の一致に身を委ねる
ときどき不思議な偶然の一致が起きる。
理由なんかわからない。
「なんでそうなるの?」としか思えない。
そういうときは流れに身を任せる。
なるようになる。
No.05509 26.03.11 目を瞑る
目を瞑って気持ちいいものについて思い出す。
次々と思い出していく気持ちいいもの。
それぞれの気持ちいいものが感覚でつながっているように思える。
その中でまだ書いてないものを探していく。
探しながら感覚のつながりが区別できなくなって多次元のコラージュになる。
訳のわからない繋がりの塊。
それが僕の夢になる。
そうなってしまうと眠っている。
No.05487 26.01.08 寒夜の散歩
今夜は風が吹きとても寒い。
その中を散歩してきた。
ダウンコートを着て、防寒用のオーバーパンツを履き、毛糸の帽子をかぶって厚い手袋をすると、寒いのは顔だけ。
空気がピンと張り詰め、街も静かで、清々しい気分になった。
No.05486 26.01.07 湯船に浸かる
入院前はよく30分くらい湯船に浸かって本を読んでいた。
時々眠ってしまって本を湯につけ、ページをしなしなにしてしまった。
それでKindleを買い、防水用の袋をかけて読むようになった。
ところが入院以来、湯船に入ると血圧が下がるようになった。
すぐにフラフラになる。
だから湯船での読書癖はなくなった。
血圧が下がる前に頭や体を洗わないとらない。
血圧が下がると立ち上がるのもやっとだ。
早く元の体に戻して湯船で本を読みたいが、歳をとったことが理由でそうなっているなら、もう元には戻らないかも。
本の内容とともに眠るのはちょっと幸せかも。
No.05481 25.12.19 布団を上げる
布団を毎日上げるのが嬉しい。
敷くのも悪くないが、上げるほうが楽しい。
布団を上げて掃除機をかけると部屋が生まれ変わる。
ベッドのように敷きっ放しでは味わえない、ささやかな喜びがある。
それを発見するのに何年もかかった。
No.05478 25.12.14 当たり前になること
当たり前でなかったことが、当たり前になると嬉しい。
昔、固定電話しかなかった頃、留守番電話が使えると嬉しかった。
留守番電話に慣れた頃、ポケベルが使えると嬉しかった。
ポケベルから携帯電話になると嬉しかった。
携帯電話がスマホになるとさらに嬉しかった。
どれも当たり前になった時には嬉しいのだけど、当たり前になりきると嬉しいとは思わなくなる。
人間の悲しい性(さが)。
No.05476 25.12.06 焼きたてのパン
親戚のおじさんが自ら作った焼きたてのパンをくれた。
直径20センチほどのカンパーニュ。
できたてだからホカホカでいい匂い。
ちょっとちぎって味見。
香りも味も噛み応えも最高。
ちょっとだけのつもりが、ちょっとちょっとちょっとと積み重なって、半分ほど食べてしまった。
バターもジャムも何もつけてないのに。
美味しさに屈服。

