No.05284 24.09.19 大切にする

日本人はどんなものも大切にします。
なにしろカマドにもトイレにも神様がいると感じるのですから。
万物に神聖さが宿っています。
だからこそあらゆるものを大切にする。
大切に育ててもらった人はそのオーラが宿ります。
大切に使われたものにもそのような雰囲気が宿ります。
だから日本には特別な雰囲気が生まれるのだと思います。
海外からいらしたかたは、ぜひ自分が何かを大切にすることを通して、日本に宿る特別な雰囲気を生み出す人になってください。
それが日本が時代を超越していいものを残せる文化を育んでいる秘密の一つだと思います。

No.05281 24.09.12 幸せであること

幼い頃、ジュースが飲みたいと駄々をこねました。
僕が幼かった頃は近所にコンビニなんてありません。
そこで母はどうしたか。
コップ一杯の水を僕に持たせて「美味しい、美味しい」と言いながら飲ませたのです。
僕は最初不満でした。
でも、飲んでいるうちに水が美味しく感じられたし、飲み終わると喉の渇きも取れてました。
そこで母に「美味しかったねぇ」と言われると、それで満足してしまいました。
子供だったからそれで済まされたという見方もできますが、ときどき大人になってからもそのことを思い出すことがあるのです。
今の状況に満足できること。
これってとても大切なことがあるのです。
人間はすべての欲を満たすことはできません。
それに執着をしだすと大変なことになります。
現状で満足する。
そして幸せを噛みしめる。
欲に振り回されるのではなく従える。
幸せであることは、いつでも生み出すことができるのです。

No.05272 24.08.28 ホノルルマラソンの朝

はじめてホノルルマラソンを走った朝。
マラソンを走るのもはじめてだった。
確か五時スタート。
まだ暗い中、スタート地点に向かって歩く。
地図を確かめて歩いていったが、たくさんのゼッケンをつけた人たちが、ぞろぞろと歩いていたのでついていった。
スタート地点では予想タイムごとに並んでいる。
四時間から五時間に並んだ。
本当に五時間以内に走れるのか自信はなかった。
ただ、どうしても五時間以内に走らないとならない。
それ以上かかると帰りの飛行機に間に合わない。
無謀な賭けだった。
ヒューと足元を過ぎる風が冷たかった。
花火が上がってスタートした。
走り出すと冷たい風が心地よかった。
朝日が上がり、太陽が射すと、陽の光がありがたかった。

No.05270 24.08.24 本当のことを書く

本当のことを書くのはメンタルにいい影響を与える。
それには疑いがない。
以前、マウイ島ラハイナに行ったときには必ず寄ったアイランド・サンダルのマイケル爺さんとした話。
お店に行ってサンダルの修理を頼むと、怪訝そうな目で僕を見る。
「あんた、仕事は何をしている?」
「ライターです」
「そうかい。だったら自分で考えて書いているね」
当たり前のことを言われて意味がわからなかったので「なぜですか?」と聞いた。
「アメリカのライターはね、たいてい会社に言われたことしか書かないから左脳ばっかり使って、その結果、右足に変な油が出てくるからそれでこの人はライターだなってわかるんだ。ところが君にはそれがない」
「そうなんですか」
「いい記事書けよ」

No.05267 24.08.18 日本の朝ごはん

還暦を過ぎた頃から朝ごはんは和風がいいと感じる。
からだに合ってる。
まず第一にごはん。
それから味噌汁。
具はワカメと豆腐。
またはワカメと皮をむいた茄子。
大根やきのこ類もいい。
そして焼き魚。
魚はほぼなんでもよし。
そして漬物。
糠床から出して糠を洗い落として適当に切る。
キュウリが定番。
ニンジン、茄子、カブ、ミョウガなどが時々。
出した野菜を洗って新たに糠床に入れる。
思い出すと納豆。
納豆は卵、または大根おろしと一緒に。
贅沢するときはシラスも入れる。
納豆がないとき、わさび漬けとか、海苔の佃煮とか、ちりめん山椒なんかをチビッと。
梅干しふた粒。
幸せである。

No.05266 24.08.17 走る感覚

入院して以来、走れなかった。
かつてなら走って疲れた分、呼吸数が上がったが、ちょっと前まで呼吸数が上がらずに疲れてしまった。
呼吸と筋肉が連動しない感じだった。
この感覚は、以前の僕には理解できないものだった。
一年半くらい前から自転車では、疲れると呼吸が上がるようになった。
二ヶ月前くらいから、散歩の途中で50mほど走るようになった。
走るといっても、若い人がせっせと歩く程度のスピード。
はじめの頃は右足と左足のバランスが取れず、ヨタヨタしていた。
それを何度か繰り返し、今日は三キロ歩く間に100mほど二回走った。
これをしばらく繰り返してちょっとずつ距離を伸ばしたら、一キロくらいは走れるようになるかも。
以前のジョギングのときの爽快さを少し思い出した。

No.05264 24.08.14 ラジオ体操

夏休みのことを思い出していたら、ふとラジオ体操が出てきた。
あれは誰がやっていたんだろう?
夏休みになると、近所でラジオ体操がおこなわれた。
学校では「夏休みの過ごし方」というガリ版刷りのプリントをもらい、そこに「朝起きたらラジオ体操に行き、そのあと涼しいうちに夏休みの宿題をする」なんてことが書かれていて、真面目な僕は何度か参加するが、途中から不真面目な僕が「行かなくてもいいよ」と囁いて行かなくなった。
きっとPTAの方が、まわりもちで主催してくださっていたんだろうなと思う。
十数名くらいの人たちが公園か広場に集まり、参加するとカードにハンコを押してもらった。
たいていラジオ体操第一をやるが、ときどきラジオ体操第二もやったが、きちんとできる人はいなかったように思う。
今でもあのピアノによる「チャンチャカチャンチャンチャンチャン、チャンチャカチャンチャンチャンチャン、チャンチャンチャンチャンチャンチャンチャンチャンチャカチャカチャン」というメロディーを思い出す。
あなたも?

No.05221 24.06.02 リフレーミング・ドラマ

うちの相方がよく見ているドラマがある。
それは一人で食事をしていることを淡々と見るドラマ。
例えば、「孤独のグルメ」「ワカコ酒」「晩酌の流儀」など。
さらに孤食とはちょっと違うが、一人でいることを楽しむドラマとして「ソロ活女子のススメ」なんてものもある。
ワカコ酒がBSテレ東である以外はみんなテレ東発のドラマだ。
美味しい店や食べ方の紹介であることがヒットの原因の一つではあるが、これら一連のドラマを僕はリフレーミング・ドラマだと思っている。
かつて孤食や孤独は寂しいというレッテルを貼られがちだった。
ところが「孤独のグルメ」でたった一人で食うことが「癒し」や「自分を取り戻すための時間」になると謳いヒットした。
それで視聴層をちょっと変えて「ワカコ酒」「晩酌の流儀」「ソロ活女子のススメ」ができたんだろうなと想像する。
これらの共通点は食べているとき、または何かを経験しているときに生まれている内語の紹介だ。
内語とは、言葉や文字に表さない言葉のこと。
一人でいる時に頭の中であれやこれやと囁いている言葉のことだ。
一人で食べているとき寂しいと感じる人は、きっとこれらのドラマとは違う内語のやりとりをしているのだろうと思う。
ところが、これらのドラマの主人公たちは、外界で起きている経験についてあまり拘泥せず、食べるとき、そして何かを体験するときに、目の前にあることに没入する。
その没入感が楽しかったり、面白かったりする。
リフレーミング・ドラマの応用範囲は広がるかもしれない。
若者向けに、予備校をスポンサーにして受験をテーマとしたり、年配者が一人で暮らす楽しみ方を表現したり、遠距離介護の体験をリフレーミング・ドラマにしたりできるかもしれない。

No.05216 24.05.27 大きなルーペ

小さな文字が見にくくなってきたので、大きなルーペを買った。
LEDライト付き。
おかげで文字がよく見える。
30年ほど前にケニアに行ったとき、土地の人たちの視力の良さに驚いた。
当時、僕の視力は2,0だったが、それでも見えない遠くの動物を彼らは認識した。
視力が落ちてこんなことを思い出すとは。