映画「2010年」の主人公フロイド博士の奥さんがイルカの研究をしている人だった。
それを見て、ベルギーで会ったキャサリン・ダジンスキー博士を思い出した。
ジョン・C・リリー博士とダジンスキー博士と一緒に食事をして、二人の写真を撮ってあげた。
当時はまだフィルムカメラで、現像したら二人にあげると約束していた。
ところが、ブリュッセル中央駅でフィルムを入れたカバンを盗まれてしまった。
東京に帰ってメールで事情を伝えて詫びた。
リリー博士は日本でも何冊か翻訳本が出ているからご存知のかたはいるだろう。
イルカの研究をした博士で、映画「イルカの日」のモデルとなった。
人間の脳についても研究したため、「アルタード・ステイツ」という映画のモデルにもなった。
ベルギーで会ったとき、ダジンスキー博士の研究についてほとんど何も知らなかったので、話題の中心はリリー博士の研究だった。
中学生のとき「イルカの日」を見て以来、リリー博士は僕にとっての憧れの人。
その席にダジンスキー博士がいた。
そのときの雰囲気が映画「2010年」の主人公フロイド博士の奥さんに似ていた。
それで28年も前にたった一度会ったダジンスキー博士を思い出した。
2000年前後にイルカの研究で御蔵島にいたことは知っていた。
でもわざわざ会いに行くという関係でもないので、ずっと会わずにきた。
ネットで調べたら、ダジンスキー博士は「ドルフィン」という映画にご本人が出演している。
会ったのは1996年で、まだ映画「ドルフィン」は公開されていなかった。
映画「ドルフィン」を探してみた。
アマゾン・プライムビデオにあった。
音楽はスティング、ナレーションは007を演じたピアース・ブロスナンだった。
アカデミー賞の短編ドキュメンタリー部門でノミネートされたそうだ。
イルカと泳ぐシーンを見て、かつて毎年のように御蔵島に通ってイルカと泳いだことを思い出した。
No.05285 24.09.22 100歳
昨日、父の誕生日でした。
生きていたら100歳。
父は「敗者の文学」を追求していました。
僕が幼い頃は、「勝者の文学」を追求したほうが儲かって良いと思っていましたが、最近になって、やっとその深い意味が分かってきた気がします。
父さん、100歳の誕生日おめでとう。
No.05284 24.09.19 大切にする
日本人はどんなものも大切にします。
なにしろカマドにもトイレにも神様がいると感じるのですから。
万物に神聖さが宿っています。
だからこそあらゆるものを大切にする。
大切に育ててもらった人はそのオーラが宿ります。
大切に使われたものにもそのような雰囲気が宿ります。
だから日本には特別な雰囲気が生まれるのだと思います。
海外からいらしたかたは、ぜひ自分が何かを大切にすることを通して、日本に宿る特別な雰囲気を生み出す人になってください。
それが日本が時代を超越していいものを残せる文化を育んでいる秘密の一つだと思います。
No.05281 24.09.12 幸せであること
幼い頃、ジュースが飲みたいと駄々をこねました。
僕が幼かった頃は近所にコンビニなんてありません。
そこで母はどうしたか。
コップ一杯の水を僕に持たせて「美味しい、美味しい」と言いながら飲ませたのです。
僕は最初不満でした。
でも、飲んでいるうちに水が美味しく感じられたし、飲み終わると喉の渇きも取れてました。
そこで母に「美味しかったねぇ」と言われると、それで満足してしまいました。
子供だったからそれで済まされたという見方もできますが、ときどき大人になってからもそのことを思い出すことがあるのです。
今の状況に満足できること。
これってとても大切なことがあるのです。
人間はすべての欲を満たすことはできません。
それに執着をしだすと大変なことになります。
現状で満足する。
そして幸せを噛みしめる。
欲に振り回されるのではなく従える。
幸せであることは、いつでも生み出すことができるのです。
No.05279 24.09.07 男爵
高校一年のとき、吹奏楽部の先輩の髪型が良くて、「どこで髪を切っているのですか?」と聞いた。
「男爵だよ」
先輩とは中学も一緒だったので、男爵という理髪店はうちのそばにあった。
その理髪店の何がいいのか言語化するのは僕には難しい。
でも、なんとなく綺麗にまとまるのだ。
「他の理髪店と切り方が違うんですか?」と男爵で聞いたことがある。
「なんとかカットしているからね」
「なんとか」は忘れてしまった。
「それはどういうカットなのですか?」
聞くと、普通の切り方はこう、なんとかカットはこうと違いを見せてくれた。
でも、僕にはその違いをすぐには把握できなかった。
「そのカットはどこかで習ったのですか?」
「イギリスのヴィダル・サスーンで習った」
当時、ヴィダル・サスーンのシャンプーなどのCMが流れていた。
なんかすごいところで習ったんだなと認識した。
はじめて行ったとき以来、二ヶ月に一度程度、40年以上男爵に通った。
気さくな夫婦がやっていた。
のちのち知るが、ご主人は三代目で、創業120年近くの老舗だった。
先日行くと、「今月末で辞めるんだ」という。
「もったいない」とは思ったが、事情を何も知らない者がなんだかんだ聞くのは鬱陶しいだろうと思ってやめた。
お店がなくなると思うと、さて次回からどこで髪を切ったらいいのか困る。
髪を切ってもらうたびに心地良かったことを思い出し、「40年間ありがとうございました」と店をあとにした。
No.05278 24.09.05 セミががんばれってないてるよ
朝の散歩。
今日は気候がとてもいい。
風が少し涼しい。
日差しが柔らか。
その中をテクテク歩く。
近所の高校に通うカップルがすれ違う瞬間、女の子が言った。
「あーだけで会話しないでよ」
男の子は「あー」。
相方の声が頭に響く。
「うちと一緒ね」
あー。
さらにテクテク。
テクテク歩けるようになったが、まだかつてのスピードはない。
いろんな人が僕を追い抜いていく。
若い人が追い抜くのは当然だ。
だけど、おじさんやおばさんにも抜かれる。
年輩のおじいさんやおばあさんにも抜かれるときがある。
そういうとき、かつてのようにせっせか歩きたくなる。
頭の中の声。
「急ぐことないよ。自分は自分」
「あーゆうふうにもう歩けないのかな」
「リハビリ中に頑張らなくてもよろしい」
「そう僕は木漏れ日を味わっている」
「早く歩いても味わえるよ」
「何でもかんでも急ぎたい病が発症したな」
「まあいいけど」
「あーでもないこーでもないと頭の中でぐるぐる考えているな」
「そうだ瞑想状態になろう、考えなくて済む」
「でも、歩いているときは活発にあーでもないこーでもないってやったほうが楽しい」
「どっちでもいいよ」
「あー」
そのとき、向かい側から歩いてきた三歳くらいの男の子が、母親の手を離して僕の目の前に立った。
陸上グランドのほうを指差して「セミががんばれってないてるよ」。
もちろん、母親に向けての言葉だろうが、正面の僕と目があった。
ありがとう。その言葉、いただきました。
No.05277 24.09.04 旅行の相談
相方と旅行の相談。
一日目はどこに行くとか、そこよりあっちがいいとか、そこには前に行ったときこんなことがあったからもういいとか。
ああとか、こうとか。
終わりのない思い出話と、あてのないこれからのこと。
それで結局、目鼻はつけるがたいていは当日決定。
No.05273 24.08.29 AIに絵を描かせるのに無理難題を出す
AIにときどき絵を描かせる。
たいていは何かに使うための絵を描かせるが、いたずらに無意味な絵を描かせることがある。
一生懸命それらしいものを描いてくれるので、愛しくなる。
「AIに絵を描かせるのに無理難題を出す」と入力したら、上の絵になった。
No.05270 24.08.24 本当のことを書く
本当のことを書くのはメンタルにいい影響を与える。
それには疑いがない。
以前、マウイ島ラハイナに行ったときには必ず寄ったアイランド・サンダルのマイケル爺さんとした話。
お店に行ってサンダルの修理を頼むと、怪訝そうな目で僕を見る。
「あんた、仕事は何をしている?」
「ライターです」
「そうかい。だったら自分で考えて書いているね」
当たり前のことを言われて意味がわからなかったので「なぜですか?」と聞いた。
「アメリカのライターはね、たいてい会社に言われたことしか書かないから左脳ばっかり使って、その結果、右足に変な油が出てくるからそれでこの人はライターだなってわかるんだ。ところが君にはそれがない」
「そうなんですか」
「いい記事書けよ」
No.05261 24.08.11 淀んだ空気を祓う
日本には「祓う」という概念がある。
英語にすると「exorcise」というらしいが、ニュアンスがちょっと違うように感じる。
「exorcise」は「悪魔を祓う」という意味で、日本の「祓う」には確かに「魔を祓う」という意味もあるけど、必ずしも「魔」や「悪」ばかりではなく、「淀み」や「不明瞭な感覚」も「祓う」ことができるだろう。
つまり「祓う」には、多神教的なニュアンスが埋め込まれており、必ずしも悪くなくても、意見や解釈が複雑に絡み合っていてほぐすことができない状態を落ち着かせることも「祓う」ことになるのではないか。
「exorcise」は祓えたか否かがはっきりとするが、「祓う」は複雑な状況を抱え込んで白黒つけるというよりは、考えるべきことに意図を向けた結果、「よし」と言える状況かどうかが大切で、無理に解決に追い込まなくてもいいような気がする。
日本のあらゆる部分が祓われ、世界に波及しますように。

