No.04713 22.03.04 「ぐるり。」の言葉

世田谷ものづくり学校でおこなわれている、尾山直子さんの写真展「ぐるり。」を見て来た。
訪問介護をしている看護師でもある尾山さんが撮りためた作品を展示したもの。
訪問介護を受けていた「えいすけさん」とその家族の介護風景。
写真作品が展示されているものと思って会場に行くと、会場のまんなかに大きなテーブルがあり、そこに「えいすけさん」の言葉が展示されていた。
それを読むことで、もうどこにもいない「えいすけさん」との対話が始まる。
「えいすけさん」との対話のはずが、いつか自分の心にいる、かつてお世話になったが会えなくなった人たちとの会話になり、いろんな思い出とリフレクションしてこころにジワジワと沁みてくる。

ぐるり。のサイト https://gururi-2021.studio.site

No.04701 22.02.07 子供のサッカー大会

イスラエルとパレスチナから子供たちを招き、平和のために日本の子供達と一緒にサッカーをしてもらおうという企画が立ち上がり、手探りで実現に向け準備して行ったとき、その仲間に入れてもらった。
2003年のこと。
子供でもイスラエルとパレスチナの人たちが同席するのは不可能だろうと言われ、あちこちから無理なことはするなと言われ、何か起きたらどう責任を取るんだと責められた。
それでもボランティアは集まり、無事にイスラエル・パレスチナから子供たちは来日し、サッカー大会当日は予定人数を大幅に上回るボランティアが集まった。
サッカー場を走る子供達は、小学生で、さほどサッカーが上手いというわけではなかった。
はっきり言えば、「子供がサッカーをしている」ただそれだけに見えた。
だけど、「海を見たのははじめて」という子がいた。
もちろん国外に出るのはほぼ全員はじめてだった。
「行ったことのない国で、普段は敵だと言われている子供と会う」
それはどんな体験なんだろうと考えたとき、彼ら一人一人がヒーローに思えた。

No.04697 22.01.28 はじめて見たオゴオゴ

バリ島のニュピの日に、プリカレラン家にホームステイさせてもらった。
ニュピ前日の夜、低級霊を祓うために、村ごとに大きなはりぼての鬼を作り練り歩く。
その儀式や鬼をオゴオゴという。
当時バリ島の街にはほとんど街灯がなく真っ暗だった。
その中を数十人の男たちが高さ五、六メートルもあるようなオゴオゴを神輿のように担いで移動していく。
時々なぜか彼らは走り出す。
数十人が一度に暗闇の中を走ってくると、その音は恐怖をもたらす。
うっすらと見えるオゴオゴの影、激しい息と意味のわからない言葉、そして数十も重なったペタペタというサンダルの音。
どう避けていいかもわからない。
狭い道の中で揉みくちゃにされて、ひとごみから吐き出されると、オゴオゴを引き回した集団は遠ざかっていった。

No.04696 22.01.27 狼の遠吠え

ポール・ウィンターのライブを聞いたことがある。
地球環境に関する会議、グローバル・フォーラムの席上だった。
ポール・ウィンターは鯨の声を録音して、そのメロディーを元にアドリブしたりするサックス・プレイヤーだ。
彼の作品に「Wolf Eyes」という曲がある。
曲の冒頭に狼の遠吠えが入っている。
そして、それを受けて独特の深いメロディーが奏でられる。
命を愛おしむような、悲しげでもあり、喜びも含むような、深いメロディー。
ライブではその曲の最後に、こう語りかけられた「狼になって遠吠えをしましょう」。
会場のみんなが一斉に遠吠えをした。
なんか知らんけど、ゾクゾクしたし、泣けた。

No.04694 22.01.25 富士サーキットの幽霊

会社員だった頃、仕事で何度か富士サーキットに行った。
多忙な会社員生活だったので、早朝に自分の車でサーキットに行き、その夜に帰った。
仕事の内容はサーキットのプロモーションだったので、いわゆるレースクイーンを連れてタイヤのプロモーションをしていた。
チームは十人前後で、レースクイーンと実行部隊が半々だった。
僕以外のメンバーは土曜に前泊してサーキットに行き、日曜の早朝に合流していた。
あるとき、レースクイーンの一人が、宿泊していたホテルでの霊体験を話してくれた。
そのホテルで寝ようとしたら、窓からの視線が気になり、カーテンを閉めて寝たのに、ふと目を覚ますとカーテンが開いていて、「どうしたの?」と思ったら、何かに足首を掴まれたそうだ。
そんな話しを聞いていたので、早朝に車で行けてラッキーと思っていたが、ある日車が故障して、前泊することになってしまった、
土曜の夜、別の仕事を終えてから富士サーキットに向かう新幹線の車内誌に、景山民夫のインタビュー記事を見つけた。
当時景山民夫は売れっ子の放送作家から直木賞作家に脱皮し、幸福の科学に入信して少し不思議な立ち位置の作家だった。
この数年後、景山は自宅で燃え上がり死んでしまったという。
プラモデルを作っていたときのシンナーに煙草の火が引火したとのことだったが、なぜか詳細は発表されず、不思議な噂が飛び交った。
その景山民夫が、確か阿川佐和子のインタビューを受けて、それが掲載されていた。
なぜ幸福の科学に入信したのかという質問に対して、「霊的なことへの説明が丁寧だから」というような返答をしていた。
ほかの質問についてはよく覚えてないのだが、ひとつだけ印象に残った質問があった。
「もし幽霊に出会ってしまったら、どうしたらいいいのか?」
景山はこんなことを答えていた。
「幽霊は肉体を持たないので、絶対的に生きている人のほうが有利です。幽霊には感情的に巻き込まれるとやっかいなので、ハハハと笑って無視するのが一番」
なるほどと思い、宿に向かった。
到着は深夜だったので、チームのみんなは翌日早朝の集合に備えて寝ているはずなので、ひとりで用意されていたシングルルームに入った。
その部屋は少し不自然だった。
シングルルームなのに広い。
ベッドさえ入れれば、四・五人が泊まれそうだった。
この深夜にクレームを言っても仕方ない。
そのまま気にしないで寝た。
正確には、気にしないようにしながら、「出てきたらハハハと笑って寝る」と思っていた。
深夜、ふと目を開けてしまった。
すると、ベットから見上げた天井と壁の境に足を付けて、まっすぐこちらに向かって立ち、クッと顔を上げている真っ赤なワンピースの少女がいた。
もちろん、「ハハハ」と笑って寝返りを打って、見ないようにした。

No.04689 22.01.20 下田移動教室

小学校での修学旅行はなぜか移動教室という名称だった。
なぜそう呼ばれたのか詳しいことは知らない。
小学五年の時の移動教室は下田に行った。
ペリーが来航した下田港や石廊崎を見た。
夕方に宿舎に着き、ベッドを割り当てられる。
僕は二段ヘッドの上の段だった。
夕暮れ、そのベッドに座ってボーッとしていたら、目の前の白い壁に四角いスクリーンのような光が差し込んだ。
なんだろう?と思って見ていると、そこにたくさんの線が出てきてうねりだした。
ほんの一瞬のことだった。
五秒ほどでその白い壁には何も映らなくなった。
ぞっとした。
なんだかわからないものを見てしまった。

No.04686 22.01.17 ブラバンの秘密

「聖なるもの」に向き合ったときの感覚をヌミノーゼといい、その感覚がしたときのことを思いだしているが、本当にこれもヌミノーゼと呼べるかどうかは判断が分かれるところだと思う。
でも、僕の感覚はそうだと伝えてくれているので、そのように扱う。
高校生の頃、僕はブラスバンドに入っていた。
そこで指揮をやらせてもらえることになった。
指揮をしていた先輩から、演奏会の直前にメンバーを集めて必ずこれを言うようにと、演奏会を成功させるための秘密の言葉を教えてもらった。
そのときの僕にはそれを言う理由がまったくわからなかった。
「そんなこと」としか思えなかった。
そこで文化祭の時、3回の演奏のうち1回を、わざとそれを伝えないで演奏をした。
すると何も間違いのない演奏だったが、ほとんど誰も感動しなかった。
きちんとそれを言うと、観客も演奏者も、とても感動する演奏会になった。
それを知って以来、僕はこの言葉を呪文と呼んでいる。
それはこんな言葉だ。
「これからする演奏はたった1度のものだ。同じお客様に聞いてもらうことはもうない。僕たちも同じコンディションでやることはもうないだろう。だから、いまの僕たちにできる最高の演奏にしよう」
これをいうとなぜかゾクッとした。
そして、その演奏にみんなが感動する。
うまいとか下手とか、そういう次元ではない何かが働いた。

No.04654 21.11.12 ぐるり。

訪問看護士で、写真家の尾山直子さんが写真展「ぐるり。」を開く。
尾山さんを知ったのはピース・キッズ・サッカーというNPOで。
当時はまだ学生で、必要なことを何でも楽しそうにやる子だった。
看護士になり、FB上で訪問看護士になったと知った。
大変な仕事をするなと思っていたが、仕事の傍ら美術大学の通信課程を終え、写真展を開くという。
内容は、訪問看護している老いた人と家族、その様子を撮ったもの。
専用サイトを見に行って、心をつかまれた。
https://gururi-2021.studio.site