人が誰かひとりいなくなると、その人のことを知っている多くの人が悲しむ。
戦争なんかが始まると、その悲しみは幾何級数的に膨れ上がる。
だから、争いが始まる前によく話し合いましょう。
目の前のことにだけに固執することはない。
新たな地平を創作しましょう。
人の内側にある、大きな存在を尊重しましょう。
No.04707 22.02.17 太陽
万物にエネルギーを与えてくれるめぐみの存在。
太陽にはいくら感謝しても感謝しきれない。
でも、あまりにも当たり前な存在なので、普段はそんなことを忘れている。
誰かと一緒。
ありがとう。
No.04705 22.02.13 泣くほどの感動
瞑想を習うまでは、絶対泣かない人だった。
それが瞑想を習うようになり、ヒーリング・ライティングというワークショップを主催するようになり、涙もろくなった。
もしかしたら歳のせいかもしれない。
一方で、自分の感情に正直になったのだとも思う。
No.04702 22.02.08 「聖なるもの」について
20回ほど「聖なるもの」について書いてきた。
集中的に書くことで理解できたことがある。
それは「いろんなものを聖なるものとして見られること」。
同じものでも見方によって「聖なるもの」になったり、ならなかったりすること。
これはきっと個人的なことだと思うが、些細な文章の違いで「聖なるもの」を感じられたり、感じられなくなったりすること。
その差がどこにあるのか、今の僕には説明ができない。
No.04701 22.02.07 子供のサッカー大会
イスラエルとパレスチナから子供たちを招き、平和のために日本の子供達と一緒にサッカーをしてもらおうという企画が立ち上がり、手探りで実現に向け準備して行ったとき、その仲間に入れてもらった。
2003年のこと。
子供でもイスラエルとパレスチナの人たちが同席するのは不可能だろうと言われ、あちこちから無理なことはするなと言われ、何か起きたらどう責任を取るんだと責められた。
それでもボランティアは集まり、無事にイスラエル・パレスチナから子供たちは来日し、サッカー大会当日は予定人数を大幅に上回るボランティアが集まった。
サッカー場を走る子供達は、小学生で、さほどサッカーが上手いというわけではなかった。
はっきり言えば、「子供がサッカーをしている」ただそれだけに見えた。
だけど、「海を見たのははじめて」という子がいた。
もちろん国外に出るのはほぼ全員はじめてだった。
「行ったことのない国で、普段は敵だと言われている子供と会う」
それはどんな体験なんだろうと考えたとき、彼ら一人一人がヒーローに思えた。
No.04700 22.02.02 渡辺満喜子さんの歌
ヴォイスヒーラーの渡辺満喜子さんと親しくしていただいていた。
あるときは江ノ島のお宅でテキーラを飲みすぎたり、化粧品の原料となる大麻畑で満喜子さんが歌い、僕がディジュリドューを吹いて伴奏をしたり、万喜子さんのヴォイス・ヒーリング・セミナーにも何度か参加させてもらった。
満喜子さんの歌を聞くと、ときどきゾクゾクッと寒気のすることがあった。
そのことを満喜子さんに聞いたことがある。
「つなぶちさんは霊的な感覚を寒気で感じるのかもね」
そう言われて、なるほどと感じた。
No.04699 22.01.30 言語化できない違和感
昔、大学を卒業する頃まで、文章を書くのは難しいことだった。
なぜなら、長い文章を書くと、書きはじめに思っていたことと違うことを結末に書いてしまっていたから。
書き出しに書いた話題の例などを書いているうちに、なぜか違う話が割り込んでしまう。
書き上げるためにはテーマを一貫したものにしなければならなかった。
つまり、僕はものを考えている時、いろんな可能性について考えていて、文章を書いているとそれらが出てきて制御できなかったのだ。
急に話が飛んだら、読者は話題についてくるのが難しくなる。
それが制御できるようになったのは就職してからだ。
なぜそれができるようになったのか、その理由はよくわからない。
ある新聞社からラジオについての記事を書いてくれと頼まれ書いた。
書くまでは書けるかどうか心配だったが、思ったより簡単に書けてしまった。
文章を書くのはさほど難しいことではなくなった。
今から思うと、この頃に書きたいテーマや結論に向かって書くのが当たり前になったのだと思う。
社会では常にそのようなことを求められていたからかもしれない。
その結果、自由な連想の力は弱くなったような気がする。
そのことに直面するのは、会社を辞め、ライターになり、ヒーリング・ライティングを始めてから。
いろんな人とリフレーミングについて考えたが、そのさなかにうまく言語化できない違和感を感じるようになった。
その違和感にはいろんな要素が絡んでいたが、その一つが「文章をまとめることと、自由な想像力との綱引き」だったように思う。
文章をまとめることに慣れてしまったため、何か話を聞くとたいていどのように話を展開していけばいいのかすぐにわかるようになった。
ところが、他人の話を丁寧に聞いていくと、自分が思い描く展開では表現できないことを言われることになる。
さらにその話をリフレーミングしようとすると、もっと未知の話を丁寧に聞いて行かなければならなくなる。
自分の理解していることだけでは文章がまとめられなくなった。
さらに難しいのは、心に隠した内容があること。
誰でも人に言いたくないことの一つやふたつは持っている。
多くの場合、そのことがその人の性格の根幹に関わっていたりする。
他人の中にそのようなものを見つけるようになると、似たことを自分の内側にも見つけることになる。
自分自身にも隠しておきたいことを思い出してしまうと、それを隠すために色々と考えるが、文章をまとめる感性が働くと、何かを隠すことが難しい。
スパッとまとめるためには真実だけしか表現できない。
だけど、それを掘り下げていくと、さまざまな心の矛盾に行きあたる。
ここで僕の探求はしばらく頓挫することになる。
No.04698 22.01.29 心の区別
ヌミノーゼについて書こうとして、僕が思い出す「聖なるもの」について書き続けているが、心のことについて書く時に難しいなと思うは、自分の心の区別だ。
僕自身、心の区別についてはあまり厳密に考えたことがない。
時々考えはするが、極めて大雑把にしか考えてこなかった。
しかし、心にはいろんな側面があって、全部一括りにしていると自分自身が騙されることになる。
どんなことかというと、まず簡単に理解できることは、No.04690にすでに書いたが、年齢とともに心が変わっていることだ。
10歳の時の僕と、現在の僕では感じることは違う。
10歳の頃の思い出を書くとき、その時の心持ちで書くのか、現在の自分として書くのかで、現れてくるものが変わってしまう。
だから、ヌミノーゼを探ると言っても、今の自分が探るのか、かつての自分が探るのかで、見えるものが異なることになる。
その違いを自分がしっかり理解するのはもちろん大事だが、その違いを、この文章を読んでいるあなたにも理解してもらうのは、さらに難しいことになる。
そこで、心の区別について一度に全部説明するのではなく、少しずつ説明していこうと思う。
以前にも書いたことだが、年齢だけではなく、想定する立場によっても違うものが見えることがある。
教師としての立場からいうことと、何かの先輩としていうこと、何かの後輩としていうこと、学生としていうことでは、少しずつ見る現実、表現する内容が変わる。
普段の会話ではそのようなことはほとんど気にせず、話す相手によって、話す状況によって、適当に変化させている。
しかし、繊細に感じていくと、その適当な変化は、じつは会話においてとても重要なことだったりする。
同じ一つの文章でも、話している立場を少しずつ変えていくことがある。
たいていはその変化は、一人の人格、今なら「つなぶちようじ」という人格に吸収できる範囲での変化なので許容できるものとなるが、全く相異なる意見を持つ人格と同調して、双方の言い分を書くような時は、あたかも自分ではない人の言い分を書くかのようにして書いたほうが、他人が読む時には理解しやすいのでそのようにしてしまう。
しかし、ヌミノーゼのように、自分の内側にしか現れてこないものを文章化しようとするとき、自分の心の発達や成長が、ヌミノーゼの質を決めていることがあるようだ。
その違いについて考えようとするとき、自分の心の中に区別が必要となってくる。
それを書いて表現するのはとても骨が折れる。
目盛をつけるわけにはいかないし、明確な違いがどこかに現れるわけでもない。
しかし、確実にあることだけは理解できる。
かつてそこに区別がなかった頃の僕に、それを尋ねても答えはないのだが、今の僕にはその答えを出すことができるだろう。
しかし、どういう答えが正しい答えなのか、どういう疑問に対して出すべき答えなのかが定まっていないので、立場も言葉もふらふらと安定していない。
こういう状態であることを明確にすることで、何かの区別が生まれたらいいなと、今は願っている。
こういう状態だから、あなたは書かれた文章を、どういう立場で書いているのか、感じて読んでもらえると、何かまた違った解釈が生まれてくるかもしれない。
No.04695 22.01.26 K君と墓参り
大学生の頃、理系だった僕たちは、実験レポートの提出前に内容を照らし合わせたり、教え合ったりすることを口実に、仲良しがそれぞれ車で真夜中にファミレスに集まり、コーヒーを飲みながらいろんなことを話した。
ある日K君が「これから母さんの墓参りに行きたい」と言いだした。
一緒にいたT君と僕は驚いた。
零時を過ぎて、そろそろ帰ろうとか思っていたときにそんなことを言われた。
「もうすぐ丑三つ時だよ。こんな時間に墓参りしてどうするの?」
K君は「いいじゃん。きっと楽しいよ」。
どうしてそんな話になったのか詳しくは覚えてないが、「母さんに二人を紹介したい」という感じだったように思う。
K君は幼い頃に母親を失っていた。
その思い出のいくつかを聞いていた。
そういう文脈で断るほどT君も僕も冷淡にはなれなかったので、三人でK君の母親が眠る郊外にあった大きな霊園に午前一時過ぎに行った。
あたりは真っ暗。
だけど、幹線道路が霊園のそばを通っていたので、何も見えないというほどではない。
うっすらと影が見えるお墓がたくさん並ぶなか、K君は「こっこちこっち」と母親のお墓に向かって歩いて行く。
怖くないというわけではないが、怖くてたまらないというほどではない。
K君の母親に会いに来たのだ。
「ここだ」と言って一つの墓石を示された。
暗くてよく見えないが、そこで三人で手を合わせた。
すると「鈴の音が聞こえたね」とK君がいう。
「きっと母さんが喜んでいる」
僕には聞こえなかったが、否定はできなかった。
そして、本来であれば怖いはずの、見知らぬ霊園の真ん中にいて、思い出話を聞いていたK君の母親といると思うとさほど怖くはないという、不思議な感情を味わった。
No.04693 22.01.24 心霊研究会
中学一年のとき、本屋で「UFOと宇宙」という雑誌を見つけた。
創刊号には小松左京や横尾忠則のインタビューが掲載されていた。
その雑誌を手にして学校に行き、友達に見せた。
数人が興味を持った。
その子たちと「よくわからないもの」について語り合った。
そのメンバーのひとりがたまたま「中一時代」か「中一コース」か、雑誌に投稿した。
「心霊やUFOに興味のある人からのお手紙を待っています」
それが掲載され、全国から数十通のお手紙が届いた。
返事をしようと言うことになり、「心霊研究会」の会報を何度か送った。
その第Ⅰ号の発送の日、誰かがこんなことを言った。
「あれ? メンバーはこれで全員だっけ?」
そこには四人の友達がいた。
ところが、そう問われると、確かにもう一人、誰かメンバーがいたような気がした。
寒気がした。

