自分の心は自分にしかわからない。
しかも、自分の心は自分でも知り尽くすことが難しい。
ふと思い出したことがなぜ思い出されるのか、常に答えられるわけではない。
「きっとこうだ」という推測以上にはならないことがある。
自分の心すら思うようにならない。
まして他人の心など。
No.05100 23.12.01 神は内側に
原子が連なりいろんなものになる。
分子が高分子になり、高分子がタンパク質になり、いつしか生命が形作られる。
無機物が有機物になるとか、命のないものが命を得るとか考えるけど、ひょっとして原子にはすでに命の端緒が含まれているのではないか?
含まれているというより、生命そのものかも。
もしそうだとすると、どんなものにも命の端緒が含まれていて、無生物と生物との境界は、実はないのではないか?
人間が原子の生み出す現象をどのように見るか、解釈するかで、見えてくるものが変わるのではないか?
だから、、、
No.05099 23.11.30 諦めていることに気づく
いろんなことを諦めている。
それに気づくこと。
気づけば気づくほど、扉は開いていく。
簡単ではないから、ひとつずつ。
ときには一度に。
もしかしたら、簡単なことかも。
ふと気づくと、自然にやっているかも。
No.05096 23.11.22 気持ちいい状態で書く
「日刊 気持ちいいもの」を書くにあたり最近注意していることがある。
それは「気持ちいい状態で書く」ということ。
「気持ちいい状態を思い出して書く」のとはちょっと違う。
「ああ、あのときは気持ちよかったな、こんなふうに」と書く文章と、「今、気持ちいい状態で書く」というのでは微妙に違う。
それでできあがる文章はもしかしたらあまり違わないかもしれない。
でも、その違いについて最近は考えながら、感じながら書いている。
No.05090 23.11.14 この世界にはたくさんの解釈がある
チチェン・イッツァに行った日、「この世界にはたくさんの解釈がある」とか「この世界は多次元だ」とか、言われた気がした。
まったく不思議な体験。
それまでにそんなことは一度もなかった。
そして、「それを深く探究しろ」とも。
当時の僕には「何だそれ?」としか思えなかった。
でも、今となっては宝物の体験だった。
ありがとう。
No.05075 23.10.24 今日、誰のために生きる?
「新しいわたし」の著者 二戸依里さんと、ネイティブジャパニーズダンサーのアムリッタ朝子さんが、ある日、烏帽子岩の見えるカフェでペンキ画家のショーゲンさんとお話したそうです。
僕が別ペンネームで書いた小説の舞台がそのあたりだったのでそのときのことを教えてもらったのですが、一緒にショーゲンさんのYouTubeのURLも教わりました。
そこでショーゲンさんが話している内容にびっくりしてしまいました。
それ以来、ショーゲンさんのYouTubeを楽しみにしていたのですが、次に二戸さんからきた連絡は「ショーゲンさんが本を出し、その記念講演がある」。
早速申し込んで聞いてきました。
出版された本のタイトルは「今日、誰のために生きる?」。
ショーゲンさんはサラリーマンでしたが、ある日ティンガティンガというアフリカ・タンザニアの絵を見ます。
それにビビッと来て、その絵を教わろうと二、三週間後に出発するタンザニア行きのチケットを買い、それから会社に退職届を出したそうです。w
ティンガティンガ村で絵を教わっていると、ある画家に声をかけられます。
「ここは観光地でレッスン料も高いので、うちの村に来ない?」
そこでその画家、カンビリさんが住むブンジュ村という村に行き、カンビリさんの家にホームステイさせてもらっていろんなことを学ぶことになるのですが、その話に僕は何度も心が震えました。
その村では、昔の日本の文化が残されていたというのです。
その村の村長さんのお爺様が、今はもう亡くなっているのですが、シャーマンで、日本人とサイキックに交信し、幸せに暮らす方法を教わったというのです。
「どんな日本人とつながったの?」と聞くと、「竪穴住居に住み、一万年から一万五千年もの間幸せに暮らしていた人たちで、女性をモチーフにして土器を作った」と言われたので、「きっと縄文の人たちにつながったんだな」と思ったそうです。
ブンジュ村には外国人が入ってきたことがなかったそうで、もちろん日本人が来たのははじめてです。
画家のカンビリさんはその村で過ごしてきたので、「その村に伝わる日本の文化を体現しているはずの実際の日本人はどんな感じなのか」を知りたくて、連れてきたそうです。
ところが、ショーゲンさんは現代の日本人。
縄文の頃の日本人とはだいぶ違いました。
そこで、かつての縄文人がどのように生きていたのかを、ブンジュ村の人たちから色々と教わっていくことになります。
ここから先は、YouTubeを見るか、「今日、誰のために生きる?」を読んでください。幸せに生きることに興味のある方なら、きっと響きます。
No.05058 23.09.29 言霊-ホツマ
僕が会社員の頃、「言霊-ホツマ」という本を買った。
不思議な本だ。
その本によれば、漢字が渡来する以前から日本には文字があったという。
その文字をヲシテと呼ぶが、「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」という三書がヲシテで書かれているという。
「ホツマツタヱ」は景行五十六年に三輪臣大直子命(みわのとみおおたたねこのみこと)によって編纂・献上されたという。
古事記に書かれていて行方のわからなかった旧事紀もかつては偽書とされていたが、再生されているやに聞く。
古代史にもいろんなどんでん返しが起きてくるかもしれない。
No.05057 23.09.28 ある特別な感じ
ある特別な感じがあると、それを僕は貴重なことだと思う。
朝日が昇る海に光の道ができるとき。
鳥が舞い降り何かいいたげなそぶりを見せるとき。
大きな二重の虹がかかったとき。
そういうことがあると、貴重だなと思う。
でも、とても些細で当たり前にしか見えないことでも、それが起きることは滅多にないとき、それは貴重なことではないか?
玉子を割ったら黄身が二つ出てきたとか、大きなはまぐりに小さなカニが隠れていたとか、本棚に父から母へのラブレターを見つけたとか、押入れの奥にしまわれていた本を読んだらことのほか面白かっただとか、友達を紹介すると言われて会ったら10年以上前の知り合いだったとか、一生懸命調べたことに疑問を持っていたら、たまたま会った人にその詳細を教えてもらうとか。
当たり前のことの中に、ある特別な感じが埋まっているのを、なぜ僕は気づかなかったのだろう。
No.05038 23.08.05 農民芸術概論綱要
宮沢賢治の論文。
以下に序論を引用する。
序論
……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
宮沢賢治著 農民芸術概論綱要
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
大乗仏教の基本的考え方が表現されている。
大乗仏典はすでに聖徳太子の頃に日本に来ていた。
日本人の考え方の根底に、このような感覚があることを誇りに思う。
No.05037 23.08.04 人類がみんな幸せでありますように
どこかでは戦争をしていたり、どこかではその準備をしていたり、どこかでは大いなる矛盾が露呈し、いい加減やめてくれといいたくなったとき、
人類がみんな幸せでありますように
と祈ってみる。
なんかスッキリするよ。

