チチェン・イッツァに行った日、「この世界にはたくさんの解釈がある」とか「この世界は多次元だ」とか、言われた気がした。
まったく不思議な体験。
それまでにそんなことは一度もなかった。
そして、「それを深く探究しろ」とも。
当時の僕には「何だそれ?」としか思えなかった。
でも、今となっては宝物の体験だった。
ありがとう。
No.05075 23.10.24 今日、誰のために生きる?
「新しいわたし」の著者 二戸依里さんと、ネイティブジャパニーズダンサーのアムリッタ朝子さんが、ある日、烏帽子岩の見えるカフェでペンキ画家のショーゲンさんとお話したそうです。
僕が別ペンネームで書いた小説の舞台がそのあたりだったのでそのときのことを教えてもらったのですが、一緒にショーゲンさんのYouTubeのURLも教わりました。
そこでショーゲンさんが話している内容にびっくりしてしまいました。
それ以来、ショーゲンさんのYouTubeを楽しみにしていたのですが、次に二戸さんからきた連絡は「ショーゲンさんが本を出し、その記念講演がある」。
早速申し込んで聞いてきました。
出版された本のタイトルは「今日、誰のために生きる?」。
ショーゲンさんはサラリーマンでしたが、ある日ティンガティンガというアフリカ・タンザニアの絵を見ます。
それにビビッと来て、その絵を教わろうと二、三週間後に出発するタンザニア行きのチケットを買い、それから会社に退職届を出したそうです。w
ティンガティンガ村で絵を教わっていると、ある画家に声をかけられます。
「ここは観光地でレッスン料も高いので、うちの村に来ない?」
そこでその画家、カンビリさんが住むブンジュ村という村に行き、カンビリさんの家にホームステイさせてもらっていろんなことを学ぶことになるのですが、その話に僕は何度も心が震えました。
その村では、昔の日本の文化が残されていたというのです。
その村の村長さんのお爺様が、今はもう亡くなっているのですが、シャーマンで、日本人とサイキックに交信し、幸せに暮らす方法を教わったというのです。
「どんな日本人とつながったの?」と聞くと、「竪穴住居に住み、一万年から一万五千年もの間幸せに暮らしていた人たちで、女性をモチーフにして土器を作った」と言われたので、「きっと縄文の人たちにつながったんだな」と思ったそうです。
ブンジュ村には外国人が入ってきたことがなかったそうで、もちろん日本人が来たのははじめてです。
画家のカンビリさんはその村で過ごしてきたので、「その村に伝わる日本の文化を体現しているはずの実際の日本人はどんな感じなのか」を知りたくて、連れてきたそうです。
ところが、ショーゲンさんは現代の日本人。
縄文の頃の日本人とはだいぶ違いました。
そこで、かつての縄文人がどのように生きていたのかを、ブンジュ村の人たちから色々と教わっていくことになります。
ここから先は、YouTubeを見るか、「今日、誰のために生きる?」を読んでください。幸せに生きることに興味のある方なら、きっと響きます。
No.05058 23.09.29 言霊-ホツマ
僕が会社員の頃、「言霊-ホツマ」という本を買った。
不思議な本だ。
その本によれば、漢字が渡来する以前から日本には文字があったという。
その文字をヲシテと呼ぶが、「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」という三書がヲシテで書かれているという。
「ホツマツタヱ」は景行五十六年に三輪臣大直子命(みわのとみおおたたねこのみこと)によって編纂・献上されたという。
古事記に書かれていて行方のわからなかった旧事紀もかつては偽書とされていたが、再生されているやに聞く。
古代史にもいろんなどんでん返しが起きてくるかもしれない。
No.05057 23.09.28 ある特別な感じ
ある特別な感じがあると、それを僕は貴重なことだと思う。
朝日が昇る海に光の道ができるとき。
鳥が舞い降り何かいいたげなそぶりを見せるとき。
大きな二重の虹がかかったとき。
そういうことがあると、貴重だなと思う。
でも、とても些細で当たり前にしか見えないことでも、それが起きることは滅多にないとき、それは貴重なことではないか?
玉子を割ったら黄身が二つ出てきたとか、大きなはまぐりに小さなカニが隠れていたとか、本棚に父から母へのラブレターを見つけたとか、押入れの奥にしまわれていた本を読んだらことのほか面白かっただとか、友達を紹介すると言われて会ったら10年以上前の知り合いだったとか、一生懸命調べたことに疑問を持っていたら、たまたま会った人にその詳細を教えてもらうとか。
当たり前のことの中に、ある特別な感じが埋まっているのを、なぜ僕は気づかなかったのだろう。
No.05038 23.08.05 農民芸術概論綱要
宮沢賢治の論文。
以下に序論を引用する。
序論
……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
宮沢賢治著 農民芸術概論綱要
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
大乗仏教の基本的考え方が表現されている。
大乗仏典はすでに聖徳太子の頃に日本に来ていた。
日本人の考え方の根底に、このような感覚があることを誇りに思う。
No.05037 23.08.04 人類がみんな幸せでありますように
どこかでは戦争をしていたり、どこかではその準備をしていたり、どこかでは大いなる矛盾が露呈し、いい加減やめてくれといいたくなったとき、
人類がみんな幸せでありますように
と祈ってみる。
なんかスッキリするよ。
No.05020 23.07.10 慣れて始まる自動運転
慣れると飽きるが、同時に自動運転が始まる。
あまり意識せずにいつものことをおこなっていく。
多くの場合、仕事をするというのは、その自動運転状態だろう。
そこにどんな工夫を持ち込むのかが大切なことになる。
自動運転は人によって個性があり、これが正解というものが一つには決まらない。
それが楽しさの入り口ともなる。
こんな話をどこかの本で読んだ。
かつてピカソの絵を入手した画商が、その絵は本物かどうかピカソに尋ねたことがあった。
ピカソは一目見て「偽物だ」と言った。
画商は別の日にピカソが描いて倉庫にしまってあった絵をこっそり持ち出して、「これは本物か?」と聞いた。
ピカソは「偽物だ」と言った。
画商は「実は倉庫にあったものを持って来てんだぞ」と言った。
するとピカソはこう答えた。
「僕は自分の贋作をたくさん描くんだ」
No.05019 23.07.09 慣れてしまうこと
慣れるというのは、感情にとって一大事だ。
ずっと同じことをし続けていると大抵飽きる。
飽きたらやめる。
やめたあとで飽きることの価値に気づいたりする。
「日刊 気持ちいいもの」は1999年11月から始め、一度999回でやめた。
それを2010年7月からtwitterで再開し、以来4000回ほど続けている。
何度も飽きたが、最近はもう飽きることがない。
飽きるという感情が生まれるよりも、そこに関する探究が始まる。
その探究は毎回似たようなもの。
似たようなものの繰り返しが、ときどき飛躍を生む。
飽きたことによる飛躍と、それを超えて繰り返すことで起きる飛躍。
どっちもありだ。
No.05014 23.07.04 風の又三郎
宮沢賢治の作品を読んでいる。
今朝は「風の又三郎」を読んだ。
僕が小学生の頃、母が「風の又三郎」の本を買ってくれた。
少し厚い本だったから、宮沢賢治の作品が何作か入っていたのだと思う。
その本は箱に入っており、箱から出したときの表紙の風合いを覚えている。
ところが、その本の内容は全然覚えていない。
母に「読んだ?」と聞かれ、「読んでない」と答えたことを覚えている。
以来、ずっと宮沢賢治の本は読んでこなかった。
敬遠していたと言ってもいいかもしれない。
今朝「風の又三郎」を読んで、なぜそうだったのかがわかった。
思いがけない発見だ。
風の又三郎の冒頭にこういう文が出てくる。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
これを読んだときはなんとも感じなかった。
ところが、この作品の終わりにもう一度同じように登場する。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
最後の一行がリフレインされている。
これを読んでなぜ僕が宮沢賢治を読まなかったのかが理解でき、同時に涙が流れた。
僕はこの言葉を記憶の底に留めていた。
母が「読んだ?」と聞いたとき、実は僕はすでにその本を読んでいた。
だけど「読んだ」と答えなかった。
なぜか?
「読んだ」と答えたら、必ず母は感想を聞いた。
ところが、なんと答えていいのか分からなかったのだ。
何かが心に引っかかったが、それが何かうまく説明できなかった。
それが説明できないから、読んでないことにした。
記憶って不思議だなと思う。
小説の冒頭を読んでも何も思わなかったのに、終わりになって出てきた、ほとんど同じフレーズを読んではじめて、消した記憶を思い出した。
還暦を過ぎてこれを知ることに深い意味を感じる。
その意味が何かは、とても長い話になるので、いつか別のところで発表する。
No.04943 23.03.05 時代の言葉
それぞれの時代にまったく新しい言葉が生まれる。
言いたくても言えない思い。
それを表現するために新しい言葉が生まれる。
その言葉はみんなが言いたかったことだから、すぐに伝わっていく。

