No.05120 23.12.28 自分の中に矛盾があることに気付くこと

自分にはいろんな立場がある。
その立場一つ一つについてよく考えていくと、どうしても矛盾があることに気付かされる。
矛盾を解消するためによく使う手段は、ある立場を無視することのように感じる。
それはその立場と同一視している自分自身を抹殺しているのに等しい。
ある立場を生かすために、別の立場の自分を殺している。
両方の立場を生かすためにはどうしたらいいのか。
双方を生かすために悩み解決することが、本当に自分を愛するということなのではないか?
自分の中の矛盾を解決できない限り、他人との矛盾はさらに解決が難しいのではないか?
この一見簡単な問題すら答えられないとしたら、複雑化していく社会の中で、錯綜した問題は解答不可になるのではないか?
だから、解答の難しい問題を時間をかけて、手間をかけて答えていくことは、何かを愛することと同等なことなのではないか?

No.05112 23.12.15 人類の役割

ペンキ画家のショーゲンさんが「人類が生まれてきた役割は祝福すること」と言っていた。
ブンジュ村の村長さんから教わったという。
それを聞いて僕は感激したのだが、そこから思ったこと。
人間は何でもかんでも名前をつける。
名前をつけることで言葉にし、会話に使う。
これこそが祝福の深い意味だなと思った。

No.05107 23.12.10 華厳経入法界品 下巻

ほぼ一年かけて読んできた華厳経入法界品が上巻、中巻を終えて下巻に入った。
どんな話かというと、主人公である善財童子が最高の悟りである無上正等覚を得るためにいろんな人を訪ねていく。
53名の人や王や僧や女神や菩薩に会い、いろんな話を聞いていくが、次第に内容が広大かつ精密なものになっていく。
最高の悟りに行き着くために、いくつもの悟りについて話を聞いていく。
しかし、その一つ一つがどのような悟りなのか具体的には書かれておらず、読み進めれば進めるほど疑問ばかりが増えていく。
だから、明確に理解しようとすると挫折するようにできているように感じる。
下巻の終わりに何が見えてくるのか楽しみ。

No.05101 23.12.02 他人の心

自分の心は自分にしかわからない。
しかも、自分の心は自分でも知り尽くすことが難しい。
ふと思い出したことがなぜ思い出されるのか、常に答えられるわけではない。
「きっとこうだ」という推測以上にはならないことがある。
自分の心すら思うようにならない。
まして他人の心など。

No.05100 23.12.01 神は内側に

原子が連なりいろんなものになる。
分子が高分子になり、高分子がタンパク質になり、いつしか生命が形作られる。
無機物が有機物になるとか、命のないものが命を得るとか考えるけど、ひょっとして原子にはすでに命の端緒が含まれているのではないか?
含まれているというより、生命そのものかも。
もしそうだとすると、どんなものにも命の端緒が含まれていて、無生物と生物との境界は、実はないのではないか?
人間が原子の生み出す現象をどのように見るか、解釈するかで、見えてくるものが変わるのではないか?
だから、、、

No.05096 23.11.22 気持ちいい状態で書く

「日刊 気持ちいいもの」を書くにあたり最近注意していることがある。
それは「気持ちいい状態で書く」ということ。
「気持ちいい状態を思い出して書く」のとはちょっと違う。
「ああ、あのときは気持ちよかったな、こんなふうに」と書く文章と、「今、気持ちいい状態で書く」というのでは微妙に違う。
それでできあがる文章はもしかしたらあまり違わないかもしれない。
でも、その違いについて最近は考えながら、感じながら書いている。

No.05090 23.11.14 この世界にはたくさんの解釈がある

チチェン・イッツァに行った日、「この世界にはたくさんの解釈がある」とか「この世界は多次元だ」とか、言われた気がした。
まったく不思議な体験。
それまでにそんなことは一度もなかった。
そして、「それを深く探究しろ」とも。
当時の僕には「何だそれ?」としか思えなかった。
でも、今となっては宝物の体験だった。
ありがとう。

No.05075 23.10.24 今日、誰のために生きる?

「新しいわたし」の著者 二戸依里さんと、ネイティブジャパニーズダンサーのアムリッタ朝子さんが、ある日、烏帽子岩の見えるカフェでペンキ画家のショーゲンさんとお話したそうです。
僕が別ペンネームで書いた小説の舞台がそのあたりだったのでそのときのことを教えてもらったのですが、一緒にショーゲンさんのYouTubeのURLも教わりました。
そこでショーゲンさんが話している内容にびっくりしてしまいました。
それ以来、ショーゲンさんのYouTubeを楽しみにしていたのですが、次に二戸さんからきた連絡は「ショーゲンさんが本を出し、その記念講演がある」。
早速申し込んで聞いてきました。
出版された本のタイトルは「今日、誰のために生きる?」。
ショーゲンさんはサラリーマンでしたが、ある日ティンガティンガというアフリカ・タンザニアの絵を見ます。
それにビビッと来て、その絵を教わろうと二、三週間後に出発するタンザニア行きのチケットを買い、それから会社に退職届を出したそうです。w
ティンガティンガ村で絵を教わっていると、ある画家に声をかけられます。
「ここは観光地でレッスン料も高いので、うちの村に来ない?」
そこでその画家、カンビリさんが住むブンジュ村という村に行き、カンビリさんの家にホームステイさせてもらっていろんなことを学ぶことになるのですが、その話に僕は何度も心が震えました。
その村では、昔の日本の文化が残されていたというのです。
その村の村長さんのお爺様が、今はもう亡くなっているのですが、シャーマンで、日本人とサイキックに交信し、幸せに暮らす方法を教わったというのです。
「どんな日本人とつながったの?」と聞くと、「竪穴住居に住み、一万年から一万五千年もの間幸せに暮らしていた人たちで、女性をモチーフにして土器を作った」と言われたので、「きっと縄文の人たちにつながったんだな」と思ったそうです。
ブンジュ村には外国人が入ってきたことがなかったそうで、もちろん日本人が来たのははじめてです。
画家のカンビリさんはその村で過ごしてきたので、「その村に伝わる日本の文化を体現しているはずの実際の日本人はどんな感じなのか」を知りたくて、連れてきたそうです。
ところが、ショーゲンさんは現代の日本人。
縄文の頃の日本人とはだいぶ違いました。
そこで、かつての縄文人がどのように生きていたのかを、ブンジュ村の人たちから色々と教わっていくことになります。
ここから先は、YouTubeを見るか、「今日、誰のために生きる?」を読んでください。幸せに生きることに興味のある方なら、きっと響きます。

No.05058 23.09.29 言霊-ホツマ

僕が会社員の頃、「言霊-ホツマ」という本を買った。
不思議な本だ。
その本によれば、漢字が渡来する以前から日本には文字があったという。
その文字をヲシテと呼ぶが、「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」という三書がヲシテで書かれているという。
「ホツマツタヱ」は景行五十六年に三輪臣大直子命(みわのとみおおたたねこのみこと)によって編纂・献上されたという。
古事記に書かれていて行方のわからなかった旧事紀もかつては偽書とされていたが、再生されているやに聞く。
古代史にもいろんなどんでん返しが起きてくるかもしれない。