ある特別な感じがあると、それを僕は貴重なことだと思う。
朝日が昇る海に光の道ができるとき。
鳥が舞い降り何かいいたげなそぶりを見せるとき。
大きな二重の虹がかかったとき。
そういうことがあると、貴重だなと思う。
でも、とても些細で当たり前にしか見えないことでも、それが起きることは滅多にないとき、それは貴重なことではないか?
玉子を割ったら黄身が二つ出てきたとか、大きなはまぐりに小さなカニが隠れていたとか、本棚に父から母へのラブレターを見つけたとか、押入れの奥にしまわれていた本を読んだらことのほか面白かっただとか、友達を紹介すると言われて会ったら10年以上前の知り合いだったとか、一生懸命調べたことに疑問を持っていたら、たまたま会った人にその詳細を教えてもらうとか。
当たり前のことの中に、ある特別な感じが埋まっているのを、なぜ僕は気づかなかったのだろう。