No.05232 24.06.30 気持ちいいものが薄らぐ

かつては気持ちいいものと気持ちよくないものがはっきりと分かれていた気がする。
それがいつしか薄らいできた。
淡い香りや色彩があるように、区別がほのかになってきた気がする。
歳をとって感覚が鈍くなったのかもしれない。
でも、それが心地よいのであれば、問題はない。
言語化できずに夢を見るだけ。

No.05230 24.06.21 雨音

普段は聞き流す雨音。
ときどき耳を傾ける。
いろんな思い出が浮上してくる。
忘れたくない思い出。
とうの昔に忘れたはずの思い出。
そんなこと確かにあったなと思うような思い出。
すっかり忘れて事実か夢か判然としない思い出。
すべてはぼんやりと優しさに包まれた思い出になっていく。

No.05228 24.06.18 待ちなさい

今朝、目が覚める前に夢の中で「待ちなさい」と言われた。
そして続けて「赤ちゃんが生まれます、時を待ちなさい」と言われた。
ちょっとしてから目が覚めた。
なんだったんだろう、さっきのは?
赤ちゃんができるようなことをした覚えはない。
お茶を淹れようと思い、あくびをしながらコーヒーケトルでお湯を沸かす。
急須にお茶の葉を入れてお湯を注ぐ。
うちでは20年ほど、保温できる湯わかしポットを使ってきた。
ところが、平等院から帰ってお茶を飲もうと湯わかしポットから急須に注いで飲もうしたら味がわずかに違う気がした。
なんで味が違うんだ?と思い調べたら、湯わかしポットの内側にカルキがたくさん付着していた。
これが原因かと思い、以来コーヒーケトルで沸かしている。
そうすると、コーヒーケトルでお湯を湧かすほうがいいような気がしてきた。
平等院で飲んだお茶が美味しかったので、お湯の温度を気にするようになった。
湯わかしポットだといつも熱々だが、コーヒーケトルだと適当に調節できる。
でも、平等院での体験がなかったらそんなことをしようとは思わなかっただろう。
時を待つことで何かを受け入れる準備が整うのかな?

No.05227 24.06.16 腐海

気持ちいいものを追求しすぎると「不快」が現れてくる。
きっと過ぎればなんでも裏返るのだろう。
「風の谷のナウシカ」で汚れ切った環境の中に腐海ができてくるのも、自然環境が極端になったものを裏返してくれるからだろう。
ウクライナ本土とクリミア半島のあいだに横たわるアゾフ海の西岸に腐海があるのも、戦争から平和へと、極端になった人類の裏返りを暗示していたらいいなと思う。

No.05221 24.06.02 リフレーミング・ドラマ

うちの相方がよく見ているドラマがある。
それは一人で食事をしていることを淡々と見るドラマ。
例えば、「孤独のグルメ」「ワカコ酒」「晩酌の流儀」など。
さらに孤食とはちょっと違うが、一人でいることを楽しむドラマとして「ソロ活女子のススメ」なんてものもある。
ワカコ酒がBSテレ東である以外はみんなテレ東発のドラマだ。
美味しい店や食べ方の紹介であることがヒットの原因の一つではあるが、これら一連のドラマを僕はリフレーミング・ドラマだと思っている。
かつて孤食や孤独は寂しいというレッテルを貼られがちだった。
ところが「孤独のグルメ」でたった一人で食うことが「癒し」や「自分を取り戻すための時間」になると謳いヒットした。
それで視聴層をちょっと変えて「ワカコ酒」「晩酌の流儀」「ソロ活女子のススメ」ができたんだろうなと想像する。
これらの共通点は食べているとき、または何かを経験しているときに生まれている内語の紹介だ。
内語とは、言葉や文字に表さない言葉のこと。
一人でいる時に頭の中であれやこれやと囁いている言葉のことだ。
一人で食べているとき寂しいと感じる人は、きっとこれらのドラマとは違う内語のやりとりをしているのだろうと思う。
ところが、これらのドラマの主人公たちは、外界で起きている経験についてあまり拘泥せず、食べるとき、そして何かを体験するときに、目の前にあることに没入する。
その没入感が楽しかったり、面白かったりする。
リフレーミング・ドラマの応用範囲は広がるかもしれない。
若者向けに、予備校をスポンサーにして受験をテーマとしたり、年配者が一人で暮らす楽しみ方を表現したり、遠距離介護の体験をリフレーミング・ドラマにしたりできるかもしれない。

No.05220 24.06.01 文章を書くことで得る気づき

大学生の頃まで、僕は文章が下手でした。
どうしても最初に思っていたことと、書いている途中に生まれてきた思いとのあいだに違いが生まれるのです。
最初に「右に行く」と書きたかったはずが、色々と書いていくうちに「左にも行きたい」となり、最後には「右でも左でもいいからとにかく行けばいい」みたいな文章になって、「文章量超過、最初から書き直し」みたいなことがよく起きました。
「だから僕は文章が下手」というレッテルを自分で貼ることになりました。
ところがなぜか、就職して文章を書くようになると、きちんとした文章が書けるようになっていました。
当時の僕には理由がわかりませんでした。
でも「よかった」と思う、書けるのですから。
ライターになって文章を書き、たまたまの巡り合いでヒーリング・ライティングというのを始めました。
そこでリフレーミングを何度もするようになった。
すると、自分の内側に何かムラムラ感というか、モヤモヤ感というか、言語化できない不思議な思いを抱えるようになりました。
「これは一体なんだ?」と思いますが、うまく説明できない。
これを説明するのが僕の挑戦の一つになりました。
幼い頃からいろんな本を読んでいたので、手当たり次第の読書を続けて行きました。
すると、偉大なグルと言われるような人の本に、「自分の内側に何人もの人格がいることに気づき、それを手なずけなさい」ということが書かれていました。
意味不明でした。
気にもしなかった。
ところが、ある時、幾つもの洞察が一つに重なる時が来ました。
すると、自分の内側にいる何人もの人格に気づくことができました。
ずっと僕は「僕」という一人の人間だと思い込んでしたのです。
もちろん肉体は一つです。
でも、そこに宿っている精神は、時には女になり、時には暴漢になり、時には金の亡者になり、時には父になり、時には経営者になり、時には聖者になるような、悪くいうと安定しない、よくいうと可能性をたくさん含んだ精神で、互いに矛盾し、それを無理やり頭のどこかで制御しようと必死にもがいているのでした。
だから、若い頃には文章がまとまらなかったのです。
就職すると、身分をわきまえる必要が生まれます。
そのことが文章をまとめさせてくれていたのです。
何十年も文章を書き、自分の内側の矛盾と付き合ってきたからこそ、それが理解できるようになりました。
そして、その先の可能性もちらちらと見えてきました。

No.05215 24.05.25 金光明経

キリスト教では懺悔が大切なおこないとされているが、仏教にも出てくると聞いて興味を持ち、その話が出てくる金光明経を手に入れた。
まだ読んでないのだが、積読状態のその本を見てふと思い出したことがあった。
30年ほど前、ある女性に声をかけてもらったことがきっかけで、巡り巡ってその後『胎内記憶』を書くことになった。
その後疎遠となったが、お礼も言ってないし、「懺悔」ということばに何か響く部分があった。
そう思った次の晩、長い夢を見た。
30年前の、ずっと忘れていたことと、何か関係のありそうな出来事が出てきた。
朝には覚えていたのだが、今はまた忘れてしまった。

No.05214 24.05.22 メッセージ

「メッセージ」というSF映画を久しぶりに見た。
地球上に12箇所、謎の宇宙船が飛来し、ただ黙って宙に浮いている。
その様を見て、人類が何を始めるのかがこの映画の内容。
主人公の言語学者が、異星人の言語を解読していくにつれ、特殊な能力を開いていく。
ホロンとしての言語についてこのところ考えていたので、公開時には受け取れなかったメッセージがなんとなく降りてきた。
それは言霊がどんなものかという示唆。

No.05213 24.05.21 歳をとって良かったこと

歳をとると体が動かなくなるし、活発に何かをしようとも思えなくなるが、確実に理解力は増しているのではないかと思う。
なぜなら、かつて読んで理解できなかった本が理解できるようになっているから。
かつて年配者が「うまく説明できない」と言っていたことがわかるようになってきたから。
一方で、僕には理解できない知的体系もあるのだろうと思う。
その知的体系と共に育っていないから。
その知的体系と一心同体になる機会を持ってないから。

No.05212 24.05.19 文字に真理は宿らない

この宇宙に存在するものは、すべて刻一刻変化している。
その変化はとても些細なもので、なかなか気づきにくいものかもしれないが、変化し続けていることは確かなことだ。
例えば、僕たちはいつも同じ場所にいると思いがちだが、宇宙的に見れば常に移動している。
地球は自転しているし、太陽系は回転しているし、銀河系も回転していて、いっときも同じ場所にいることはできない。
自分の体も変化してないようで刻一刻と変化している。
細胞が新しく生まれる一方で死にいく細胞もある。
人間の関係もどんどんと変化する。
社会も実は変化している。
数え切れないほどの変化の中で、僕たちはその変化にあまり気づかないし、気にもしていない。
そのような世の中で、言葉が果たして同じものであろうか?
文字やことばは固定されるが、そこに内包する意味は、その読み手によってどんどん変化していく。
その変化は、メディアが多様になったおかげで、加速度を増して変化している。
だから、文字やことばに真理はさらに宿りにくくなってきた。
そのことを知った上で真理を求める。
真理はきっといつも新鮮なものだ。