No.05220 24.06.01 文章を書くことで得る気づき

大学生の頃まで、僕は文章が下手でした。
どうしても最初に思っていたことと、書いている途中に生まれてきた思いとのあいだに違いが生まれるのです。
最初に「右に行く」と書きたかったはずが、色々と書いていくうちに「左にも行きたい」となり、最後には「右でも左でもいいからとにかく行けばいい」みたいな文章になって、「文章量超過、最初から書き直し」みたいなことがよく起きました。
「だから僕は文章が下手」というレッテルを自分で貼ることになりました。
ところがなぜか、就職して文章を書くようになると、きちんとした文章が書けるようになっていました。
当時の僕には理由がわかりませんでした。
でも「よかった」と思う、書けるのですから。
ライターになって文章を書き、たまたまの巡り合いでヒーリング・ライティングというのを始めました。
そこでリフレーミングを何度もするようになった。
すると、自分の内側に何かムラムラ感というか、モヤモヤ感というか、言語化できない不思議な思いを抱えるようになりました。
「これは一体なんだ?」と思いますが、うまく説明できない。
これを説明するのが僕の挑戦の一つになりました。
幼い頃からいろんな本を読んでいたので、手当たり次第の読書を続けて行きました。
すると、偉大なグルと言われるような人の本に、「自分の内側に何人もの人格がいることに気づき、それを手なずけなさい」ということが書かれていました。
意味不明でした。
気にもしなかった。
ところが、ある時、幾つもの洞察が一つに重なる時が来ました。
すると、自分の内側にいる何人もの人格に気づくことができました。
ずっと僕は「僕」という一人の人間だと思い込んでしたのです。
もちろん肉体は一つです。
でも、そこに宿っている精神は、時には女になり、時には暴漢になり、時には金の亡者になり、時には父になり、時には経営者になり、時には聖者になるような、悪くいうと安定しない、よくいうと可能性をたくさん含んだ精神で、互いに矛盾し、それを無理やり頭のどこかで制御しようと必死にもがいているのでした。
だから、若い頃には文章がまとまらなかったのです。
就職すると、身分をわきまえる必要が生まれます。
そのことが文章をまとめさせてくれていたのです。
何十年も文章を書き、自分の内側の矛盾と付き合ってきたからこそ、それが理解できるようになりました。
そして、その先の可能性もちらちらと見えてきました。