No.05088 23.11.12 信じて味わう

見たことのない絵を見たり、聞いたことのない音楽を聴いたり、まだ読んだことのない小説を読んだりするのは、その作者や表現者のことを信じているから。
信じることができないと味わうことができない。
表面を撫でてすぐに腑に落ちる作品はそれでいい。
味わわないと感じることのできない何かがある作品とは、しばらくじっくり一緒にいたい。
奥に入ってはじめて体験できる何かが現れてくる。

No.05081 23.11.01 いじめっ子になる

物語を作っていると、いろんな人の気持ちにならなければならない。
ミステリーを作るなら例えば殺人鬼。
戦記ものなら敵国の大将。
恋愛ものならカップルの邪魔をする誰か。
ジュブナイルならいじめっ子。
普段の生活ではそんな人にはなりたくないと思うような人の気持ちになる。
そして、なぜそのような人になってしまうのか考えて、感じてみる。
なんとなく悪役が愛しくなる。
できればその憎しみや悲しみを超えて、愛情に転換してほしいと思う。

No.05079 23.10.30 コーヒーミルとの対話

何ヶ月前か、電動コーヒーミルが壊れた。
それ以来、手動のコーヒーミルを使っている。
だから、コーヒーを淹れるたびにゴリゴリゴリゴリ重いハンドルを回している。
電動ミルはそんなに高いものではないので、新しいものを買えばいいのだが、久しぶりに手動のミルを使ったときに「あれ? 電動より美味しいかも」と思って以来、手動を使っている。
でも、その美味しさは、はっきりとしたものではなく、慣れてしまえば大差ないもののように感じ、ゴリゴリやるより楽な電動ミルを買おうかとも思うが、わずかな美味しさでも美味しい方が良いのではないかと考え、未だに悩んでいる。
ゴリゴリしながらの手動ミルとの対話。
「電動にしようかな?」
「・・・」
「これ力がいるもんな」
「・・・」
「もう疲れたよ」
「・・・」
「でも美味しい気がするからさ」
「・・・」
「なんか返事してくれよ」
「・・・」
返事が聞こえるようになったらボケを心配しようと思っている。

No.05073 23.10.20 死を思う

入院以来、からだの節々が痛むと昨日書いたが、ずっと以前にこんなことを書いたのを思い出した。
痛みがあるだけ幸せ。
死んだら痛みも感じることはない(だろう)。
どんな感覚も生きているからこそ。
痛みよ今日もありがとう。

No.05072 23.10.19 節々の痛み

入院以来、からだの節々が痛む。
肩の関節、背骨、指などが痛くて自由に動かせない。
かつては孫の手がなくても背中が掻けたが、今は無理。
少しずつ柔軟性を取り戻そうとするが、なかなか思うようにはいかない。
かつての柔軟な頃が懐かしい。

No.05062 23.10.03 気持ちいいものを感じる

ときどき気持ちいいものが感じられなくなるときがある。
無理やり感じても仕方ない。
何かが気持ちいいものだと嘘をついたら無意味だ。
いろんなものの気持ちいいことを感じてきたのでネタ切れだというのもある。
もう無理と感じることももちろんある。
でも、それでも見つけられたときの気持ちよさよ。

No.05057 23.09.28 ある特別な感じ

ある特別な感じがあると、それを僕は貴重なことだと思う。
朝日が昇る海に光の道ができるとき。
鳥が舞い降り何かいいたげなそぶりを見せるとき。
大きな二重の虹がかかったとき。
そういうことがあると、貴重だなと思う。
でも、とても些細で当たり前にしか見えないことでも、それが起きることは滅多にないとき、それは貴重なことではないか?
玉子を割ったら黄身が二つ出てきたとか、大きなはまぐりに小さなカニが隠れていたとか、本棚に父から母へのラブレターを見つけたとか、押入れの奥にしまわれていた本を読んだらことのほか面白かっただとか、友達を紹介すると言われて会ったら10年以上前の知り合いだったとか、一生懸命調べたことに疑問を持っていたら、たまたま会った人にその詳細を教えてもらうとか。
当たり前のことの中に、ある特別な感じが埋まっているのを、なぜ僕は気づかなかったのだろう。

No.05046 23.08.25 アイランド・サンダル

パイオニア・インとバニヤンツリーにはさまれた通りをまっすぐ進むと、突き当たりにショッピングモールがあり、その一階にアイランド・サンダルというお店があった。
はじめてそこを訪れたとき、入口に日本語で「サンダルメーカー」と書かれていた。
サンダルを売っているところはたくさん見たが「作っているってどういうこと?」と思い、中に入った。
お店に入ると作りかけの皮革製サンダルがズラッと並んでいた。
白人女性が一人用の肘掛け椅子に座って、足を見てもらっていた。
その足を見ていたのはサンタクロースのように長くて白いあごひげを生やした店主だった。
頭はツルツル、メガネの奥の眼光は優しかったり、厳しかったり。
先客が店から出て行くと「このサンダルを履くと気持ちいいよ。よかったら履いて芝生の上を歩いてご覧」という。
一足のサンダルを差し出された。
窓の外には芝生があった。
「このサンダルを作るノウハウはどこかで学んだの?」
「昔ね、ローマ時代の映画が流行ったろ。ベンハーとかさ。あれの小道具を担当したとき、その作り方を習ったんだ」
そう聞いて一足買うことにした。
すると肘掛け付きの椅子に座らされて、足の形を型紙に取られた。
「これがあれば、いつでも同じ形のサンダルは作れるからね。電話で注文してくれてもいいよ」
それから一、二か月後、東京の我が家にサンダルが届いた。
地面の状態がダイレクトに伝わってくる、履き心地のいいサンダルだった。
ただし、焼けたアスファルトの上では熱くて歩きたくない。
暖かい芝生の上を歩くには最高のサンダルだった。
底も革製なので、永く履いていると擦り切れて修理が必要になる。
郵送で修理できたが、それを口実に二度マウイに行った。
行くたびに修理してもらい、店頭で面白い話を聞かせてもらう。
またいつか行こうと思っていた。
店主マイケルの無事を祈る。
ホームページは現在、写真が抜け落ちて不完全だ。
インスタグラムを見つけた。
去年の6月まではお元気だったようだ。
https://www.instagram.com/island_sandals/

No.05038 23.08.05 農民芸術概論綱要

宮沢賢治の論文。
以下に序論を引用する。

序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である

宮沢賢治著 農民芸術概論綱要

大乗仏教の基本的考え方が表現されている。
大乗仏典はすでに聖徳太子の頃に日本に来ていた。
日本人の考え方の根底に、このような感覚があることを誇りに思う。