僕は、昨日の僕とは違う。
ここにこれから書く、こんな文章を書こうとは思わなかった。
それに、聞いたことのない音楽を今聴いている。
だから、昨日の僕とは違う。
明日もきっと、また違った僕に会う。
No.04661 21.11.19 柿
庭になっていたという柿を知人からいただいた。
いただいたときはまだ硬かったのでしばらくおいて今朝食べた。
やっぱり両親のことを思い出す。
18.11.30のNo.03715に書いた話。
毎年硬い柿が好きな母は硬いうちに柿を食卓に出し、父は柔らかい柿が好きだったので怒る。
ニーチェは「夫婦生活は長い会話だ」と言ったそうですが、柿の話を思い出す度に「夫婦は永遠の会話だ」と思うのです。
なにしろ、毎年繰り返していた両親の会話を、二人とも亡くなってからも僕が思い出し、僕がこうして書くことで、誰かがその話をきっといつか思い出すんだろうなと思うから。
言語学者が、子どもがどのように言語を獲得していくのか研究するため、自分の幼い娘の会話をすべて記録して分析したことがありました。
予想では、新奇なことをたくさん話すのだろうと予測していましたが、実際には話題は限られていて、ほぼ毎日繰り返されることの些細な変化についてよく話したそうです。
両親の柿の話もきっと毎年些細な変化を繰り返し、最初は本気で喧嘩していたが、途中から毎年の恒例になり、そのうちに「また柿の季節になったねぇ」という意味を含んだ口げんかとなり、最後には「また今年もこの会話を繰り返すよ」と思いながら、談笑していたのかなと思います。
その毎年の変化に当時の僕は気づけず、本当のところは覚えてないのですが。
こうやって繰り返すことで、新たな発見があり、新たな概念が生まれ、それがいつしか新しい言葉として表現されるようになり、子どもは言語を獲得し、大人はさらなる気づきを得ていくのでしょうか。
No.04655 21.11.13 長い目で見る
世間の情報の流通があまりにも早いので、つい目先にとらわれてしまう。
だからこそ、長い目で見ることが大切。
長い目で見ないと、かなり遅れてひどい目にあうことがある。
多くの場合、そのことに気づけない。
No.04653 21.11.11 ひさしぶりの掃除
体調が悪かったので掃除をサボっていた。
ひさしぶりに掃除すると、ホコリがたくさん取れて楽しい。
No.04646 21.11.04 サングラス
かつて母はよくサングラスをかけていた。
「まぶしいのよ」
僕が若い頃は「そんなにまぶしいかな?」と思っていた。
自分が年を取り、還暦ともなると、かつての母の苦労がわかるようになってきた。
晴れた日にはサングラスがありがたい。
No.04645 21.11.03 かたいからだ
からだがかたくなったと思う。
滑らかな動きがしにくい。
動画サイトで踊っている女の子を見て、「こういう動きはもうできないな」と思った。
そこでやってみる。
からだじゅうがゴキゴキいう。
でも、何か楽しい。
No.04644 21.11.02 不愉快なこと
身の回りで不愉快なことが起きると、気持ちいいものは思い浮かばなくなる。
「仕方ない」とも言えるが、「修行が足りない」とも言える。
「もっとがんばれ」とも言えるが、「たまには力を抜いたら」とも言える。
「いい加減ばかなことはやめろよ」とも言えるが、「ここが踏んだりどきだ」とも言える。
どれかが真実でどれかが間違いということはない。
そういう言葉のあいだで揺れている自分を見つめよう。
No.04643 21.10.28 相方と甩手(すわいしょう)
先日習った太極拳を少しずつやっている。
いまはまだ甩手を起きてからするくらい。
そろそろ八段錦の第一段錦もやろうかなという段階。
数日甩手をやっていたら、相方も一緒にやり出した。
一人でやるより楽しい。
太極拳独学のためのビデオはこちら。
https://youtu.be/kGNKs45Iaps
No.04642 21.10.27 魚屋さん
歩いてちょっと行ったところに、いい魚屋を見つけた。
スーパーの魚はどうもうまくない。
かといって、かつてのような魚屋はなくなってしまったと思っていた。
ところが見つけた。
頼むとその場で切ってくれる。
週に一度は二人で歩いて行く。
刺身も焼き魚もおいしい。
No.04640 21.10.25 足元ストーブ
肌寒い季節になってきた。
じっとしていると寒いので、足元にストーブを置く。
足元が暖かいとからだ全体が温まる。

