No.05061 23.10.02 1970年の日本万国博覧会

1970年の万国博覧会は日本中の憧れだった。
月の石を見に行きたかった。
手塚治虫が作ったという物語生成マシーンを使ってみたかった。
いろんな国のパビリオンを見て歩きたかった。
でも、行けなかったのが残念。
うちにはなぜか、松下電器のタイムマシーンのミニチュアがあった。
そのタイムマシーンの中心には、赤い豆本が設置されていた。
いま調べたら、正しくは「タイム・カプセルEXPO’70」というそうだ。
https://panasonic.co.jp/history/timecapsule/

No.05053 23.09.13 ワクチン問題研究会発足

ワクチン後遺症の問題はマスコミに取り上げてもらえず、警察に訴えても無視され、病院でも扱ってもらえない。
それに対抗するため、心ある医師たちが立ち上がりました。
代表理事の福島雅典京都大名誉教授を中心に組織された研究会は、接種後の不調を「ワクチン接種後症候群」と定義し、その実態を明らかにするとのこと。
医療の放棄、政治の怠慢、国家の瓦解を危ぶみ、そのようなことがないように、最高の医療を提供できる国であるために組織されたとのこと。
こちらで記者会見の様子が見られます。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42729888

No.05043 23.08.19 この世が 焼けてるんだよ 燃えてるんだよ

竜亀さんというお坊さんにお会いした。
佐々井 秀嶺というインドに住むお坊様のもとでお手伝いをしているという。
それで興味を持ち、お二人が出演しているという「ジャイビーム!」という映画を見た。
佐々井 秀嶺師は1967年に龍樹菩薩が夢に出てきてインドでの布教を決めたという。
かつてインドは仏教発祥の地であるのに信者がほとんどいなかった。
それが、ビームラーオ・アンベードカルという不可触賤民出身の政治家が1954年にインド仏教徒協会を立ち上げ、これをきっかけに50万人が仏教徒となったという。
1956年に亡くなるが、そのあと1988年から佐々井 秀嶺師は全インド仏教大会の大導師に就任する。
こう書くと、とても立派なお坊さんのように思えるが、その姿はとても質素で人間的。
そのお坊様が「ジャイビーム!」の中で「この世が 焼けてるんだよ 燃えてるんだよ」と語る。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という思いをインドで実現させようとなさっている。

No.05038 23.08.05 農民芸術概論綱要

宮沢賢治の論文。
以下に序論を引用する。

序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である

宮沢賢治著 農民芸術概論綱要

大乗仏教の基本的考え方が表現されている。
大乗仏典はすでに聖徳太子の頃に日本に来ていた。
日本人の考え方の根底に、このような感覚があることを誇りに思う。

No.05032 23.07.26 21世紀の資本

遅ればせながらトマ・ピケティの「21世紀の資本」映画版を見た。
とてもわかりやすくまとまっている。
このままの資本主義を続けていくとどのように問題になるのかが浮き彫りにされていた。
本の日本語訳が出版されたのが2014年の12月で、騒ぎになったのは2015年だったのだろうけど、今こそ見直すべき内容だと思う。
再分配の不平等が行き詰まると戦争が始まるという轍をまた踏むのだろうか?

No.05031 23.07.25 生と再生

一週間ほど前に宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を見た。
とても面白かったが、あの映画で何を伝えたかったのか、はっきりとはわからなかった。
ところが今朝起きたら、「あれは『生と再生』だ」と思った。
それはミルチャ・エリアーデの著書。
副題が「イニシエーションの宗教的意義」。
「君たちはどう生きるか」というタイトルからもわかるが、この作品は成人儀礼に関するニュアンスが含まれている。
つまり「大人になるとはどういうことか」を伝えている。
だけど、かつての古めかしい価値観を伝えるようなことを宮崎駿はしない。
しかも、成人儀礼を突き抜けて、超自然者への参入を促すイニシエーションにも思える。
成人儀礼は一般的な社会観、道徳感、宗教観、性道徳などを授けるが、超自然者への参入では、その修練を受ける準備としておこなわれる。
色々と説明すると長くなるので、『生と再生』のなかで、なぜこれが宮崎駿の「君たちはどう生きるか」とつながるのかを説明していると感じる部分を引用する。

以前にも述べたように、加入礼は正しく人生の核に横たわっている。そして二つの理由から、この見方は正しい。第一は、正しい人生とは、深刻な危機、責苦、苦悩、自我の喪失と再確立、死と復活を含意するからである。第二の理由は、ある程度仕事を成就したにしても、ある時点では万人がその人生を失敗と見るという点である。この幻想はその人の過去に対してなされる倫理的判断からではなくて、その召命(天職)をとりにがしたとの漠然たる感情からおこるのである。 つまり、その人は自らのうちにある最善なるものを裏切ったという感情である。こうした全面的な危機の時点で、ただひとつの希望、人生をもう一度始めからやり直すという希望だけが、ある成果をもたらすように思われる。要するに、このことは、こうした危機に見舞われている人は、新しい、再生された生活を充分に実現し意義あるものにしようとの夢を持つことなのである。それは宇宙が更新されるように、万人の魂が季節的にみずから更新されるといった漠然たる希求以外のもの、それを遥かに超えるものである。こうした八方塞がりの危機に際する希求や夢は決定的で、全体的なレノバティオ(renovatio)=生命の変革できる更新を獲得することである。
M.エリアーデ 堀一郎訳 『生と再生-イニシエーションの宗教的意義』 東京大学出版会刊

現在の子供が成人したとき、どんな職業が存在するのかよくわからない社会で生き延びるためには、あのアニメに含まれていたような感覚が必要となるのだろう。