No.05031 23.07.25 生と再生

一週間ほど前に宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を見た。
とても面白かったが、あの映画で何を伝えたかったのか、はっきりとはわからなかった。
ところが今朝起きたら、「あれは『生と再生』だ」と思った。
それはミルチャ・エリアーデの著書。
副題が「イニシエーションの宗教的意義」。
「君たちはどう生きるか」というタイトルからもわかるが、この作品は成人儀礼に関するニュアンスが含まれている。
つまり「大人になるとはどういうことか」を伝えている。
だけど、かつての古めかしい価値観を伝えるようなことを宮崎駿はしない。
しかも、成人儀礼を突き抜けて、超自然者への参入を促すイニシエーションにも思える。
成人儀礼は一般的な社会観、道徳感、宗教観、性道徳などを授けるが、超自然者への参入では、その修練を受ける準備としておこなわれる。
色々と説明すると長くなるので、『生と再生』のなかで、なぜこれが宮崎駿の「君たちはどう生きるか」とつながるのかを説明していると感じる部分を引用する。

以前にも述べたように、加入礼は正しく人生の核に横たわっている。そして二つの理由から、この見方は正しい。第一は、正しい人生とは、深刻な危機、責苦、苦悩、自我の喪失と再確立、死と復活を含意するからである。第二の理由は、ある程度仕事を成就したにしても、ある時点では万人がその人生を失敗と見るという点である。この幻想はその人の過去に対してなされる倫理的判断からではなくて、その召命(天職)をとりにがしたとの漠然たる感情からおこるのである。 つまり、その人は自らのうちにある最善なるものを裏切ったという感情である。こうした全面的な危機の時点で、ただひとつの希望、人生をもう一度始めからやり直すという希望だけが、ある成果をもたらすように思われる。要するに、このことは、こうした危機に見舞われている人は、新しい、再生された生活を充分に実現し意義あるものにしようとの夢を持つことなのである。それは宇宙が更新されるように、万人の魂が季節的にみずから更新されるといった漠然たる希求以外のもの、それを遥かに超えるものである。こうした八方塞がりの危機に際する希求や夢は決定的で、全体的なレノバティオ(renovatio)=生命の変革できる更新を獲得することである。
M.エリアーデ 堀一郎訳 『生と再生-イニシエーションの宗教的意義』 東京大学出版会刊

現在の子供が成人したとき、どんな職業が存在するのかよくわからない社会で生き延びるためには、あのアニメに含まれていたような感覚が必要となるのだろう。