大学生の頃だっただろうか。
京都を旅行していたらあるお寺で読経が始まった。
どこのなんというお寺かも忘れてしまった。
だけどそこの読経が凄かった。
僧侶が数名で読経していたのだが、聞いたことのない和音になっていた。
それが読経の言葉とともにうねっていく。
楽譜にはしようがない微妙な和音の変化。
音楽のように心地よいのと同時に、底知れない畏怖を感じた。
No.04686 22.01.17 ブラバンの秘密
「聖なるもの」に向き合ったときの感覚をヌミノーゼといい、その感覚がしたときのことを思いだしているが、本当にこれもヌミノーゼと呼べるかどうかは判断が分かれるところだと思う。
でも、僕の感覚はそうだと伝えてくれているので、そのように扱う。
高校生の頃、僕はブラスバンドに入っていた。
そこで指揮をやらせてもらえることになった。
指揮をしていた先輩から、演奏会の直前にメンバーを集めて必ずこれを言うようにと、演奏会を成功させるための秘密の言葉を教えてもらった。
そのときの僕にはそれを言う理由がまったくわからなかった。
「そんなこと」としか思えなかった。
そこで文化祭の時、3回の演奏のうち1回を、わざとそれを伝えないで演奏をした。
すると何も間違いのない演奏だったが、ほとんど誰も感動しなかった。
きちんとそれを言うと、観客も演奏者も、とても感動する演奏会になった。
それを知って以来、僕はこの言葉を呪文と呼んでいる。
それはこんな言葉だ。
「これからする演奏はたった1度のものだ。同じお客様に聞いてもらうことはもうない。僕たちも同じコンディションでやることはもうないだろう。だから、いまの僕たちにできる最高の演奏にしよう」
これをいうとなぜかゾクッとした。
そして、その演奏にみんなが感動する。
うまいとか下手とか、そういう次元ではない何かが働いた。
No.04685 22.01.15 ケニアで見た天の川
山中湖で見た天の川から20年以上たち、仕事でケニアに行った。
広大なサヴァンナの真ん中にあるロッジに泊まり、ある晴れた日の夜、外に出た。
かつて見た夜空とほとんど変わらぬ夜空を見上げた。
草原の真ん中だから、肉食動物が出てきても不思議ではない。
それが畏怖の度合いを一層強めた。
自分がここで「生きている」とはとても言えなかった。
広大な空間の片隅で、まさに生かしておいてもらっていた。
No.04684 22.01.14 はじめて見た天の川
小学生の頃、家族で山中湖に旅行して、夜に生まれてはじめて天の川を見た。
夜空にびっしりと星が敷き詰められていた。
その濃度が高い流れが天の川だった。
びっしりと敷き詰められた星に畏怖を感じた。
なんともいえない恐ろしさ。
「こんな宇宙の中で生きているのか」と。
No.04683 22.01.13 聖なるもの
人は聖なるものに触れて動かされる。
その感情はなかなか表現しにくい。
オットーという神学者はそれをヌミノーゼと言った。
科学的にものを考えるようになり、聖なるものに触れる体験を忘れかけているかもしれない。
これからしばらく僕なりの、聖なるものとの接触について思い出してみようと思う。
No.04681 22.01.09 今朝の朝日
光と影がまっすぐに来た。
朝の寒さが光に解けていった。
思い出が美しいものに変わるように。
No.04677 21.12.05 社会の流れ
社会の流れを変えようとすると、はじめのうちは何をしても空回り。
しばらくして変化が出てくると、自分はたいして何もしてないと思う。
すっかり変わると「ああよかった」と思うだけ。
でも、そういう人がたくさんいたから変わったんだろうな。
No.04672 21.11.30 大きな嘘
昔、大きな嘘はばれないモノだった。
最近の世の中は正直化が進む中で、大きな嘘も「嘘」と認知されるようになってきた。
みんなが目を覚ましたとき、どんな世の中になっているのか楽しみ。
No.04668 21.11.26 好転反応
太極拳を始めて数日で体調が悪くなった。
「だから太極拳が悪い」というつもりはない。
きっと好転反応なのだと思う。
いろいろと我慢してきた。
40になる頃に血糖値が高いと言われ、ジョギングを始め、マラソンを走るようになった。
頑張りすぎたかもしれない。
2011年に311で、放射性物質が飛来したので外で走らなくなった。
これがよくなかったようだ。
2年もすると10kmを1時間では走れなくなってしまった。
走っていた頃は体重が82kgを下回ることはなかったが、走る代わりに泳ぐようになると、筋肉が落ちるせいか体重も下がっていった。
この10年で8kgやせた。
それで太極拳を始める。
いろんな歪みが出てきたのだろう。
力を抜いて太極拳を続け、いい感じで生きていきたい。
No.04667 21.11.25 走る
最近は走れなくなった。
10年前までは1時間に10kmくらい走っていたが、いまは10km歩くのでもひーひーいう。
無理はしない程度に、少しずつ走る距離を伸ばしたい。
できることなら以前の状態に。
できないのならできるとこまで。
そういう状態だから、走るということの気持ちよさがじわりとわかる。
「走るのつらい」とか思っていたが、「つらい」のなかにほのかに香る気持ちよさを思い出す。

