No.05168 24.03.11 偶然の連鎖

不思議な偶然の連鎖はときどきやってくる。
先日『本屋、ひらく』という本を読んだ。
個性的な書店を開店した人たちのエッセイ集。
その中に荻田泰永さんが書いた冒険研究所書店の話が載っていた。
荻田さんには2010年に会ってお話を聞いた。
その内容は「水のきらめき」にある。
当時は何度も北極に行き、北極点無補給単独徒歩到達の準備をしていた。
その後、それに成功した。
懐かしいなと思っていたら、数日後に荻田さんからイベントの案内が来た。
「冒険クロストークvol.20」と題され、ゲストスピーカーが河野通和さん。
これは行かなければと申し込んだ。
河野通和さんはかつて婦人公論の編集長だった。
そのときに僕のインタビュー記事を掲載していただいた。
当時編集担当だった三木哲男さんに引き合わせていただき、ご挨拶をさせていただいた。
2004年1月ごろだった。
その後、河野さんは「考える人」の編集長になる。
中身の濃い雑誌で、ほぼ毎号読んでいた。
20年ぶりにご挨拶できると思い、イベント会場へ。
イベントが終わり、河野さんの元へ。
「考える人」をずっと読んでいたと伝えると、河野さんは「そう言えば、〇〇という本を先日読んだんだよ」と答える。
驚いた、その本を僕も二週間ほど前に読んでいた。
その本は、40年も前に出版されたものだったのに。

No.05165 24.03.08 There must be more to life than this

動画が送られてきた。
フレディ・マーキュリーとマイケル・ジャクソンのデュエットの映像。
素敵な歌だったので、翻訳してみた。

もっといい人生があるはず。
こんなことのために生きてるんるんじゃない。
愛のない世界でどうすりゃいいのさ。
傷ついた心を癒して、
泣いてる人たちの世話をするしかないのか。

もっといい人生があるはず。
見た目以上に素晴らしい。
黒か白かなんて問題じゃなく、
いのちには無限の可能性が息づいているはず。

なんでこの世には憎しみが渦巻いているんだ。
人はそこかしこで死に、
僕たちが作り上げてきたものを自らの手で壊し、
たくさんの人が人権を守ろうと死に、
そんなことに対して仕方ないと言うしかないのか。
「これが人生さ」と。

殺し合いよりもっといい人生があるはず。
僕たちが生き延びるために。
愛で満たされた世界で暮らしたい。
そうすりゃみんな平和でいられる。

もっといいいのちの活かし方があるはず。
こんなことのためにいのちはあるんじゃない。
愛で満たされた世界を願って生きる。
もっといい人生があるはず。

人生はもっと素晴らしく、
いのちは可能性に満ちている。
もっといい生き方が必ずある。
それを一緒に生み出そう。

No.05159 24.02.28 世界が変わるとしたら

世界が変わるとしたら、何が起きるのか考える。
いま世界が抱えている問題がすべて解消されるとしましょう。
どんな問題があるのか、思い浮かべてみましょう。
それらが解決されたら、世界は自然と変わりますよね。
その変化が起きないのは、自分が諦めているからかも。
もしそうなら、その諦めを手放しましょう。
変化したのちの世界を思い浮かべましょう。

No.05158 24.02.27 YouTube

映像の編集をした。
映像は文章とは全然違う。
文章ではわかりにくいと感じることが、映像の補助によってすんなりと受け取れることはあるだろう。
逆に、きっと文章なら受け取れることが、映像になると胡散臭く思うこともあるだろう。
何がどう働くのか、実験中、勉強中。

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「ヌースフィアってなに? 第11回 高次の人格を理解する7 自分について」をアップしました。
ご覧ください。
https://youtu.be/7NLSlmx8h3k

No.05157 24.02.26 蕎麦屋と本屋

蕎麦屋と本屋はかつてどの駅にも大抵あったように思う。
それが次第になくなっていった。
不景気だと言われているが、もしかすると違う問題なのかもしれない。
僕が幼い頃はいろんなものが不足していた時代から次第に豊かな時代へと移行するときだったので、商品は均一的なもので十分だった。
きちんと使えたり食べられたりすればよかった。
ところが豊かさが頂点に達すると、商品が画一的なものばかりでは売れなくなってきた。
それに不景気が重なる。
蕎麦屋と本屋はどちらも均質的な商売だった。
特徴的な蕎麦屋は現れたけど、多くは画一的だった。
本屋は日販とトーハンが出版流通を牛耳っていた。
だから特徴的な品揃えの本屋は特別な努力を強いられた。
このところ残っている蕎麦屋も本屋も、特徴的なお店が多いような気がする。
蕎麦屋は手打ちにするのは当たり前で、蕎麦をわざわざ畑で作ったり、蕎麦前を豊富にしたり。
本屋は何年か前から増えてきた特徴的な出版流通会社を使って個性的な品揃えにしたり、カフェを併設したり、文房具を売ったり、古本も扱ったり、シェア型書店にしたり。
この人本当に蕎麦が好きなんだなという人が蕎麦屋をし、本当に本が好きな人、または戦略的に発信したい人が本屋をやったりしている。
つまり、時代の要請による変化なのではないかと思う。

No.05153 24.02.20 コミュニケーションによる共生

人類はずっと「もう人間は変わらない。進化の究極が人間」と思い込んできた。
ところが、丁寧に観察すると、人間は少しずつでも進歩していることがわかる。
技術的にはこの数十年で飛躍的に進歩した。
ところが、その技術を支える人間の心はどうだろう?
戦争を許容しているという一点で、ほとんど進歩していない、と考えることに賛同してくれる人は多いのではないかと思う。
だけど、心理学は進歩した、スピリチュアルな価値は高まった、しかし、心を病んでいる人は増えているような気がする。
なぜだろうか?
たった一つのことに責任を負わせることは正しくないと思う。
様々な要素の莫大な繰り返しが、些細な問題を増幅しているように感じる。
だとすると、もう人間には手の打ちようがない。
そんなことを考えてしまうのも致し方ないようにも思える。
でも、もし人間が万物の霊長だとしたら、常に自分という存在を超えていかなければならない。
様々な要素の莫大な繰り返しを適切に使うことを人間は覚えたはずだ。
もし適切でないなら、どの部分が適切ではなく、どの部分をさらに伸ばしたらいいのか、考えるべきだ。
日本の国会では議論するのを諦めている。
これは最もしてはならない態度だろう。
では、何を改めたらいいのか?
過去のやり方を手放さなければならない。
手放して、新たなやり方を試していくべき。
どんなやり方を?
まずは多数決を手放し、議論によってシステムの精度を高める方法とそれを進めるための態度を学ばなければならない。
議論するとき、勝ち負けを手放す。
どういうことかというと、勝ったものを推し進め、負けたものは諦めるのではなく、負けたものにも可能性を与え続けることで、一時的には勝った論に席を譲っても、充分に成熟した論であれば再び議論の席に戻れる可能性を残しておく。
そのような考え方が大切になるのではないか?
議論に費やす時間は増えることになるだろう。
大きな権力を握ったものには厄介な考え方だろう。
でも、そのようにしていかない限り、もう人類の存続は難しい状態になってきた。
単純な仕事はみんなロボットやAIに任せて、人間でなければできない仕事に注力できるよう、その基礎を作るべき時が来た。

No.05152 24.02.19 Welcome to complex system

いろんなところで「自分に正直に」と言われるようになってきたけど、「自分に正直であることが難しい」ことに気づかなければならない。
内省してみると自分にはたくさんの立場があることに気づく。
そして、それらの立場たちは、常に同じ意見を持てるようなものではないことが多い。
つまり立場によって自分の意見が分裂させられる。
もしそのことに気付かないと、自分の心の「ある部分」を無視することになる。
例えば、かつてのtwitter、現在のXで、本名がわからないようにペンネームを使っている人は、公では言えない意見を持っていることに気づいている。
だからXではペンネームを使い、自分が誰かを知られないようにしている。
そういう人は、自分の意見が「実際に言いたいこと」と「立場上言わなければならないこと」が分裂していることに気付いている。
心配なのは、そういう分裂を許容できず、何かの立場から言わなければならないことだけが自分の意見だと思い込んでいる人だ。
そういう人が心のバランスを崩すようだ。
自分の内側でいろんな立場からの意見を吟味して、立場ごとに異なることを意識して、できればそれらを言語化するといい。
今はいくつもある立場のどれからも認められる答えは出せないかもしれない。
であれば、立場ごとに違う答えがあることを認めて、それを表現したらいい。
それを繰り返すことで、どの立場からも認められる答えが、いつかは出せるようになるかもしれない。
なぜそのようなことが言えるのか?
多くの人がたくさんの立場を抱えていて、立場ごとに違う答えを持っていることに気づき、そのことが常識のようになれば、立場ごとに違う答えを持っていることはきっと、賞賛されることになるから。
そうなってはじめて許容される答えが生まれるはず。

No.05151 24.02.15 人類が直面しているもの

人間はなぜ言葉を獲得したのか、誰も説明できない。
言葉を獲得する以前の類人猿はなおさら、言葉がどのようなものか理解できない。
人類は言葉を獲得したが、それはなぜだかを説明できていない。
言葉を獲得したことによって、かつてできなかったことができるようになった。
どんなことができるようになったのかは説明できる。
それは、概念を操作できるようになったことだ。
言葉がないと概念は持ちようがない。
「科学」や「愛」、「社会」や「美術」などは言葉がないと概念化できなくなる。
人類がはじめて持った言葉はおそらく自然物を表現したものだったはずだ。
「草」とか「狼」、「空」とか「月」など。
それがいつしか動詞と組み合わされる。
「走る」「作る」「壊す」「叩く」など。
それらの組み合わせが豊富になって文法が形作られるようになったはず。
そうすると原始的な言葉が存在することで、次第に繊細な区別が生まれるようになったはず。
繊細な区別が生まれれば生まれるほど、さらにことばは繊細になることができるようになる。
それと共進化したのが言語を操る脳や、発声のための口の周りの筋肉や、音の調節をする声帯など。
言葉を得るためにはいろんな機能が共進化していったはず。
その結果、概念を持つことがきるようになった。
この共進化は概念が持てるだけでは終わらない。
言葉は声だけにとどまらなくなった。
文字になり、本になり、さまざまな学問が共進化に含まれるようになり、新聞になり、雑誌になり、マスメディアになり、電話になり、スマホになり、共進化の範囲も分野も大きく膨れ上がり、誰も統一的には説明しきれなくなってきた。
いったい僕たち人類は何をしているのか?
類人猿が言葉を使い始めた頃、それが何を意味するのか、誰も理解できなかった。
それと同じに、言葉が拡張した先に何が生まれるのか、今の僕たちが理解できるのは、きっとその序の口にあるものだけだろう。

No.05150 24.02.14 いまどきのバレンタイン

今日たまたまテレビをつけたら、若い女性がインタビューを受けていた。
「誰かにチョコをあげるの?」
「チョコの販促でしょう。自分が食べたいときだけ買うわ」
さすが現代の女性だなと思った。
でもオジサンは、もらうと嬉しかったな、とも思う。

No.05148 24.02.12 「情報自由法」で社会を変える!

2019年8月23日号の週刊金曜日に「米軍基地公害の秘密を暴くジョン・ミッチェル・コレクション」という記事を書いた。
当時、沖縄タイムスの特約通信員として活躍していたジョン・ミッチェル氏にインタビューした成果だ。
当時まだPFOSやPFOAなどの土壌汚染について、本州のマスメディアではほとんど取り上げられていなかったが、沖縄ではよく話題になっていた。
なぜ沖縄でそれが問題になっていたのかというと、米軍基地の周辺の土壌からPFOSやPFOAが検出され、さらに米国の情報自由法を利用して、米軍の過去の記録を取り寄せることができたからだ。
その詳細についてお話を伺った。
2020年4月10日号では、ミッチェル氏が引き出し、沖縄国際大学に預けた5,500ページにもわたる文書の一部を翻訳し、「CIAは沖縄をどうみているのか」という記事を書いた。
だから、ミッチェル氏が岩波ブックレットから『「情報自由法」で社会を変える!』を出版していたことを知って、すぐに買ったし、とても嬉しかった。
アメリカと日本の関係は、一般の人にはなかなか理解しにくい。
だけど「情報自由法」を利用すると、だれでも米国の公文書を閲覧できる。
米国人だけではなく、日本人でも。
そもそもミッチェル氏はイギリス人だ。
一般に流布している情報が陰謀論かどうか、この本を参考に確かめてみてはどうだろうか?