No.05153 24.02.20 コミュニケーションによる共生

人類はずっと「もう人間は変わらない。進化の究極が人間」と思い込んできた。
ところが、丁寧に観察すると、人間は少しずつでも進歩していることがわかる。
技術的にはこの数十年で飛躍的に進歩した。
ところが、その技術を支える人間の心はどうだろう?
戦争を許容しているという一点で、ほとんど進歩していない、と考えることに賛同してくれる人は多いのではないかと思う。
だけど、心理学は進歩した、スピリチュアルな価値は高まった、しかし、心を病んでいる人は増えているような気がする。
なぜだろうか?
たった一つのことに責任を負わせることは正しくないと思う。
様々な要素の莫大な繰り返しが、些細な問題を増幅しているように感じる。
だとすると、もう人間には手の打ちようがない。
そんなことを考えてしまうのも致し方ないようにも思える。
でも、もし人間が万物の霊長だとしたら、常に自分という存在を超えていかなければならない。
様々な要素の莫大な繰り返しを適切に使うことを人間は覚えたはずだ。
もし適切でないなら、どの部分が適切ではなく、どの部分をさらに伸ばしたらいいのか、考えるべきだ。
日本の国会では議論するのを諦めている。
これは最もしてはならない態度だろう。
では、何を改めたらいいのか?
過去のやり方を手放さなければならない。
手放して、新たなやり方を試していくべき。
どんなやり方を?
まずは多数決を手放し、議論によってシステムの精度を高める方法とそれを進めるための態度を学ばなければならない。
議論するとき、勝ち負けを手放す。
どういうことかというと、勝ったものを推し進め、負けたものは諦めるのではなく、負けたものにも可能性を与え続けることで、一時的には勝った論に席を譲っても、充分に成熟した論であれば再び議論の席に戻れる可能性を残しておく。
そのような考え方が大切になるのではないか?
議論に費やす時間は増えることになるだろう。
大きな権力を握ったものには厄介な考え方だろう。
でも、そのようにしていかない限り、もう人類の存続は難しい状態になってきた。
単純な仕事はみんなロボットやAIに任せて、人間でなければできない仕事に注力できるよう、その基礎を作るべき時が来た。

No.05152 24.02.19 Welcome to complex system

いろんなところで「自分に正直に」と言われるようになってきたけど、「自分に正直であることが難しい」ことに気づかなければならない。
内省してみると自分にはたくさんの立場があることに気づく。
そして、それらの立場たちは、常に同じ意見を持てるようなものではないことが多い。
つまり立場によって自分の意見が分裂させられる。
もしそのことに気付かないと、自分の心の「ある部分」を無視することになる。
例えば、かつてのtwitter、現在のXで、本名がわからないようにペンネームを使っている人は、公では言えない意見を持っていることに気づいている。
だからXではペンネームを使い、自分が誰かを知られないようにしている。
そういう人は、自分の意見が「実際に言いたいこと」と「立場上言わなければならないこと」が分裂していることに気付いている。
心配なのは、そういう分裂を許容できず、何かの立場から言わなければならないことだけが自分の意見だと思い込んでいる人だ。
そういう人が心のバランスを崩すようだ。
自分の内側でいろんな立場からの意見を吟味して、立場ごとに異なることを意識して、できればそれらを言語化するといい。
今はいくつもある立場のどれからも認められる答えは出せないかもしれない。
であれば、立場ごとに違う答えがあることを認めて、それを表現したらいい。
それを繰り返すことで、どの立場からも認められる答えが、いつかは出せるようになるかもしれない。
なぜそのようなことが言えるのか?
多くの人がたくさんの立場を抱えていて、立場ごとに違う答えを持っていることに気づき、そのことが常識のようになれば、立場ごとに違う答えを持っていることはきっと、賞賛されることになるから。
そうなってはじめて許容される答えが生まれるはず。

No.05151 24.02.15 人類が直面しているもの

人間はなぜ言葉を獲得したのか、誰も説明できない。
言葉を獲得する以前の類人猿はなおさら、言葉がどのようなものか理解できない。
人類は言葉を獲得したが、それはなぜだかを説明できていない。
言葉を獲得したことによって、かつてできなかったことができるようになった。
どんなことができるようになったのかは説明できる。
それは、概念を操作できるようになったことだ。
言葉がないと概念は持ちようがない。
「科学」や「愛」、「社会」や「美術」などは言葉がないと概念化できなくなる。
人類がはじめて持った言葉はおそらく自然物を表現したものだったはずだ。
「草」とか「狼」、「空」とか「月」など。
それがいつしか動詞と組み合わされる。
「走る」「作る」「壊す」「叩く」など。
それらの組み合わせが豊富になって文法が形作られるようになったはず。
そうすると原始的な言葉が存在することで、次第に繊細な区別が生まれるようになったはず。
繊細な区別が生まれれば生まれるほど、さらにことばは繊細になることができるようになる。
それと共進化したのが言語を操る脳や、発声のための口の周りの筋肉や、音の調節をする声帯など。
言葉を得るためにはいろんな機能が共進化していったはず。
その結果、概念を持つことがきるようになった。
この共進化は概念が持てるだけでは終わらない。
言葉は声だけにとどまらなくなった。
文字になり、本になり、さまざまな学問が共進化に含まれるようになり、新聞になり、雑誌になり、マスメディアになり、電話になり、スマホになり、共進化の範囲も分野も大きく膨れ上がり、誰も統一的には説明しきれなくなってきた。
いったい僕たち人類は何をしているのか?
類人猿が言葉を使い始めた頃、それが何を意味するのか、誰も理解できなかった。
それと同じに、言葉が拡張した先に何が生まれるのか、今の僕たちが理解できるのは、きっとその序の口にあるものだけだろう。

No.05150 24.02.14 いまどきのバレンタイン

今日たまたまテレビをつけたら、若い女性がインタビューを受けていた。
「誰かにチョコをあげるの?」
「チョコの販促でしょう。自分が食べたいときだけ買うわ」
さすが現代の女性だなと思った。
でもオジサンは、もらうと嬉しかったな、とも思う。

No.05148 24.02.12 「情報自由法」で社会を変える!

2019年8月23日号の週刊金曜日に「米軍基地公害の秘密を暴くジョン・ミッチェル・コレクション」という記事を書いた。
当時、沖縄タイムスの特約通信員として活躍していたジョン・ミッチェル氏にインタビューした成果だ。
当時まだPFOSやPFOAなどの土壌汚染について、本州のマスメディアではほとんど取り上げられていなかったが、沖縄ではよく話題になっていた。
なぜ沖縄でそれが問題になっていたのかというと、米軍基地の周辺の土壌からPFOSやPFOAが検出され、さらに米国の情報自由法を利用して、米軍の過去の記録を取り寄せることができたからだ。
その詳細についてお話を伺った。
2020年4月10日号では、ミッチェル氏が引き出し、沖縄国際大学に預けた5,500ページにもわたる文書の一部を翻訳し、「CIAは沖縄をどうみているのか」という記事を書いた。
だから、ミッチェル氏が岩波ブックレットから『「情報自由法」で社会を変える!』を出版していたことを知って、すぐに買ったし、とても嬉しかった。
アメリカと日本の関係は、一般の人にはなかなか理解しにくい。
だけど「情報自由法」を利用すると、だれでも米国の公文書を閲覧できる。
米国人だけではなく、日本人でも。
そもそもミッチェル氏はイギリス人だ。
一般に流布している情報が陰謀論かどうか、この本を参考に確かめてみてはどうだろうか?

No.05147 24.02.11 月の夜

浅草寺に行くと「染め絵てぬぐいふじ屋」に寄りたくなる。
30年ほど前、はじめて連載をもたせてもらった月刊誌に、日本の伝統美についてのコーナーがあった。
「日本の美」と題されたその原稿もときどきまかせてもらった。
確か二度目くらいのインタビュー相手が、ふじ屋さんの初代川上桂司さんだった。
そこで知る江戸時代の手ぬぐいのデザインに魅了された。
以来、浅草に行くとお店を覗く。
行くたびに一本ずつ手拭いを買ってきた。
目鯨 https://www.instagram.com/p/CTuL0MihA0I/?img_index=2
いとし藤 https://www.instagram.com/p/CM6EhgWg8Gn/
京伝てぬぐい https://www.instagram.com/p/CTq_7PHlbqS/?img_index=1
など。
どれも江戸時代から伝わるデザインの手拭い。
今回も寄って一本買った。
それが「月の夜」。
お店でたなごころに載る程度の大きさにたたまれた手ぬぐいは、紺地に白い丸だけが見えていた。
それを見て「これは月だ」と直感した。
なぜ月だと思ったのか。
月にうっすらと雲がかかっていたのだ。
たたんだ手ぬぐいを開いていくと雲の正体がわかった。
細長い手ぬぐいには縦長に置いたとき、上に月、下は静かな水面で、そこに映しだされた月の明かりがゆらゆらと揺れていた。
その揺れが、たたんだときに月の裏側から透けて見え、それを雲だと思ったのだ。
なんと粋な。
あとで知るが、これはふじ屋さんの三代目川上正洋氏がデザインしたそうだ。
買わずに帰るわけにはいかなくなった。

月の夜
https://www.instagram.com/p/CUPpd_3Potz/?img_index=1

No.05144 24.02.04 ドーキンスが語る飛翔全史

『ドーキンスが語る飛翔全史』という本を読んでいる。
テーブルに置いてコーヒーを淹れていたら相方が「どうして鳥って飛べるようになったの?」という。
その質問に真面目に答えるには、一冊の本をきちんと説明しなければならない。
いや、この一冊を全て説明しても謎が残るだろう。
以前ダイビングしたときに、上を泳いでいく魚の群れを見たことを思い出した。
まるで鳥が空を飛ぶように泳いでいた。
人間の常識からは知りようのないことを生命はやり遂げていく。
それは、人間が駆使する言語的知識で動いている訳ではないからだろう。
言葉を超えた何かに想いを馳せる。

No.05142 24.01.31 曖昧な境界

生きていることを考えるとき、いろんなことの境界は曖昧になる。
だからと言って、死ねば境界がはっきりするかというと、そういう訳ではない。
境界をはっきりさせることは、幻想を生み出すのではないか。
境界を示すために言葉を使う。
それが理由かもしれない。

生命はずっと、言葉を使わずに生きてきた。
魚も両生類も爬虫類も鳥類も哺乳類の多くも、言葉は使わずに生き続けてきた。
それが、なぜか人間が、言葉を生み出した。
言葉があると便利である。
なんでもわかった気になれる。
その理解が正しくないかもしれないのに。
単なる誤解も正しいと思うことで流布される。
歴史を見れば、人間は誤解を積み重ねてきたことがわかる。
現代の知識でその誤解を解いたと思い込んでいる。
どの時代に生きた人間も、そのときどきの知識が一番正しいと思っていたはず。
現代の知識も、時が経てば、笑いぐさにされるのかもしれない。
でも、一握りの真実が、言葉にもあるはず。
それは確実に伝達され、僕もそれを利用している。
にもかかわらず、それを言葉にするのは難しい。
生命が長いあいだ生きてきたのに、遺伝情報がどんなものかを正しく認識できないのに似ている。

No.05141 24.01.29 シェア型書店

先日、茅ヶ崎駅そばにある「とまり木」というシェア型書店に行った。
「読書会をやるから来て」というお誘いがあっから。
面白いシステムの本屋さんだと思って調べると、東京にも何軒かすでにある。
どこかでオーナーになってみようかな。

No.05137 24.01.22 読者登録

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