No.05154 24.02.21 自由に使える資源を持っている共同体がうまくいく方法

資源が豊富にあったとしても、もしそれらが自由に得られるとなったら、みんなで寄ってたかって取り合いになってしまうのが普通のことだろう。
それで資源が枯渇したり、どこかの団体か個人の所有になり他人は使えなくなったり、取り合いによって問題が発生して殺し合いになったりする。
人間は愚かだ。
でも、頭脳明晰な人はやることが違う。
2009年にノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムは愛称がリンというそうだ。
ここでもそう呼ばせてもらう。
リンはいろんな共同体を調べて、自由に使える資源をもし持っていたらどういうマネージをするべきかを抽出した。
その方法を中核設計原理(core design principales = CDPs)と呼ぶ。

CDP1 強いグループアイデンティティと目的の理解
CDP2 利益とコストの比例的公正
CDP3 全員による公正な意思決定
CDP4 合意された行動の監視
CDP5 段階的な制裁
CDP6 もめごとの迅速で公正な解決
CDP7 局所的な自律性
CDP8 多中心性ガバナンス

これだけの説明で理解できるが、わかりにくいところを説明する。
「CDP5 段階的な制裁」は、もし約束に違反した人がいたとしても、いきなり大きな罰は与えないということ。何度か似たような間違いを犯したら、次第に大きな罰を与えていくとうまくいくそうだ。

「CDP7 局所的な自律性」グループが大きくなり、局所的にグループとみなしても良さそうな規模になったとき、その局所的なグループを一つのグループとみなして独立させたり、自律性を与えたりする。

「CDP8 多中心性ガバナンス」グループが大きくなったとき、地域性や時間枠、参加者の属性などで小グループごとに独自のガバナンスを与える。

こうすると、幾つものグループが生まれ、それぞれに多様性が生まれ、しかも無駄な競争による消費やトラブルの膨張が抑えられるだろう。
いろんな共同体にも当てはめられるような気がする。
何かグループを運営するときに参考にするといいかもしれない。

No.05153 24.02.20 コミュニケーションによる共生

人類はずっと「もう人間は変わらない。進化の究極が人間」と思い込んできた。
ところが、丁寧に観察すると、人間は少しずつでも進歩していることがわかる。
技術的にはこの数十年で飛躍的に進歩した。
ところが、その技術を支える人間の心はどうだろう?
戦争を許容しているという一点で、ほとんど進歩していない、と考えることに賛同してくれる人は多いのではないかと思う。
だけど、心理学は進歩した、スピリチュアルな価値は高まった、しかし、心を病んでいる人は増えているような気がする。
なぜだろうか?
たった一つのことに責任を負わせることは正しくないと思う。
様々な要素の莫大な繰り返しが、些細な問題を増幅しているように感じる。
だとすると、もう人間には手の打ちようがない。
そんなことを考えてしまうのも致し方ないようにも思える。
でも、もし人間が万物の霊長だとしたら、常に自分という存在を超えていかなければならない。
様々な要素の莫大な繰り返しを適切に使うことを人間は覚えたはずだ。
もし適切でないなら、どの部分が適切ではなく、どの部分をさらに伸ばしたらいいのか、考えるべきだ。
日本の国会では議論するのを諦めている。
これは最もしてはならない態度だろう。
では、何を改めたらいいのか?
過去のやり方を手放さなければならない。
手放して、新たなやり方を試していくべき。
どんなやり方を?
まずは多数決を手放し、議論によってシステムの精度を高める方法とそれを進めるための態度を学ばなければならない。
議論するとき、勝ち負けを手放す。
どういうことかというと、勝ったものを推し進め、負けたものは諦めるのではなく、負けたものにも可能性を与え続けることで、一時的には勝った論に席を譲っても、充分に成熟した論であれば再び議論の席に戻れる可能性を残しておく。
そのような考え方が大切になるのではないか?
議論に費やす時間は増えることになるだろう。
大きな権力を握ったものには厄介な考え方だろう。
でも、そのようにしていかない限り、もう人類の存続は難しい状態になってきた。
単純な仕事はみんなロボットやAIに任せて、人間でなければできない仕事に注力できるよう、その基礎を作るべき時が来た。

No.05152 24.02.19 Welcome to complex system

いろんなところで「自分に正直に」と言われるようになってきたけど、「自分に正直であることが難しい」ことに気づかなければならない。
内省してみると自分にはたくさんの立場があることに気づく。
そして、それらの立場たちは、常に同じ意見を持てるようなものではないことが多い。
つまり立場によって自分の意見が分裂させられる。
もしそのことに気付かないと、自分の心の「ある部分」を無視することになる。
例えば、かつてのtwitter、現在のXで、本名がわからないようにペンネームを使っている人は、公では言えない意見を持っていることに気づいている。
だからXではペンネームを使い、自分が誰かを知られないようにしている。
そういう人は、自分の意見が「実際に言いたいこと」と「立場上言わなければならないこと」が分裂していることに気付いている。
心配なのは、そういう分裂を許容できず、何かの立場から言わなければならないことだけが自分の意見だと思い込んでいる人だ。
そういう人が心のバランスを崩すようだ。
自分の内側でいろんな立場からの意見を吟味して、立場ごとに異なることを意識して、できればそれらを言語化するといい。
今はいくつもある立場のどれからも認められる答えは出せないかもしれない。
であれば、立場ごとに違う答えがあることを認めて、それを表現したらいい。
それを繰り返すことで、どの立場からも認められる答えが、いつかは出せるようになるかもしれない。
なぜそのようなことが言えるのか?
多くの人がたくさんの立場を抱えていて、立場ごとに違う答えを持っていることに気づき、そのことが常識のようになれば、立場ごとに違う答えを持っていることはきっと、賞賛されることになるから。
そうなってはじめて許容される答えが生まれるはず。

No.05151 24.02.15 人類が直面しているもの

人間はなぜ言葉を獲得したのか、誰も説明できない。
言葉を獲得する以前の類人猿はなおさら、言葉がどのようなものか理解できない。
人類は言葉を獲得したが、それはなぜだかを説明できていない。
言葉を獲得したことによって、かつてできなかったことができるようになった。
どんなことができるようになったのかは説明できる。
それは、概念を操作できるようになったことだ。
言葉がないと概念は持ちようがない。
「科学」や「愛」、「社会」や「美術」などは言葉がないと概念化できなくなる。
人類がはじめて持った言葉はおそらく自然物を表現したものだったはずだ。
「草」とか「狼」、「空」とか「月」など。
それがいつしか動詞と組み合わされる。
「走る」「作る」「壊す」「叩く」など。
それらの組み合わせが豊富になって文法が形作られるようになったはず。
そうすると原始的な言葉が存在することで、次第に繊細な区別が生まれるようになったはず。
繊細な区別が生まれれば生まれるほど、さらにことばは繊細になることができるようになる。
それと共進化したのが言語を操る脳や、発声のための口の周りの筋肉や、音の調節をする声帯など。
言葉を得るためにはいろんな機能が共進化していったはず。
その結果、概念を持つことがきるようになった。
この共進化は概念が持てるだけでは終わらない。
言葉は声だけにとどまらなくなった。
文字になり、本になり、さまざまな学問が共進化に含まれるようになり、新聞になり、雑誌になり、マスメディアになり、電話になり、スマホになり、共進化の範囲も分野も大きく膨れ上がり、誰も統一的には説明しきれなくなってきた。
いったい僕たち人類は何をしているのか?
類人猿が言葉を使い始めた頃、それが何を意味するのか、誰も理解できなかった。
それと同じに、言葉が拡張した先に何が生まれるのか、今の僕たちが理解できるのは、きっとその序の口にあるものだけだろう。

No.05144 24.02.04 ドーキンスが語る飛翔全史

『ドーキンスが語る飛翔全史』という本を読んでいる。
テーブルに置いてコーヒーを淹れていたら相方が「どうして鳥って飛べるようになったの?」という。
その質問に真面目に答えるには、一冊の本をきちんと説明しなければならない。
いや、この一冊を全て説明しても謎が残るだろう。
以前ダイビングしたときに、上を泳いでいく魚の群れを見たことを思い出した。
まるで鳥が空を飛ぶように泳いでいた。
人間の常識からは知りようのないことを生命はやり遂げていく。
それは、人間が駆使する言語的知識で動いている訳ではないからだろう。
言葉を超えた何かに想いを馳せる。

No.05141 24.01.29 シェア型書店

先日、茅ヶ崎駅そばにある「とまり木」というシェア型書店に行った。
「読書会をやるから来て」というお誘いがあっから。
面白いシステムの本屋さんだと思って調べると、東京にも何軒かすでにある。
どこかでオーナーになってみようかな。

No.05140 24.01.28 タコ焼きパーティー

関西人は年に何回かやるというタコ焼きパーティーをしてみた。
具材としてタコのほかに、こんにゃくや天かす、ネギ、紅生姜などを用意してもらい、小麦粉を出汁で溶かして作ってみる。
慣れるに従って丸い美味しそうなタコ焼きができてきた。
美味いだとか、作り方が下手だとか、あーでもないこーでもないと言い合いながら盛り上がる。

No.05137 24.01.22 読者登録

「日刊 気持ちいいもの」への読者登録ありがとうございます。
少しずつ読者が増えています。
一人増えるたびに嬉しいです。
ときどき、メールアドレスを登録した人しか読めない記事も流します。

No.05136 24.01.21 言霊とは何か?

生物の遺伝子をもし書き換えたとしたら、何が起きるだろうか?
多くの場合、その遺伝子から生命は産まれなくなる。
もし産まれたとしても、育ちにくい生命が生まれる。
優れた生命が生まれることはとてもまれなはずだ。
結果として、生き残るのはこのまれな生命である。
だから、遺伝子が書き換えられて生き残るものだけが命を継続し、結果として遺伝子が書き換えられることはいいことのように思われてしまうのかもしれない。
しかしそれは多くの犠牲の上に成り立つものだ。
書き換えられた結果うまく生きられなくなった生命という犠牲の上に。
書き換えられてもうまくいく確率はどのくらいのものなのだろう?

言葉は現実を正しく伝えるために作られたが、嘘をつくことができる。
嘘をつくと言葉は現実を正しく伝えることをやめる、できなくなる。
だから、言葉は正しく使わなければならない。
しかし、人間は間違えてしまうものだ。
正しく使うためには学ばなければならない。
言葉を正しく使うことができる人は、正しく組み合わされた言葉によって信頼を得る。
信頼が積み重なることによって言霊が生まれる。
そういうもんじゃないかな?

No.05135 24.01.18 龍の話

12年前の辰年には龍の話なんてほとんどしなかったように思う。
ところが、今年はあちこちで龍の話を聞く。
なぜかな?
伊勢神宮の式年遷宮も、前々回には気にする人はあまりいなかったのに、平成25年には知らない人はいないというような状態になった。
大切なものを思い出そうとしているようだ。