No.05528 26.04.22 映像

文章と映像では、情報量は圧倒的に映像の方が多いと思う。
ほんの数秒の映像でも、映った内容をできるかぎり忠実に文章にしようとすると、できた文章は数秒では読めないものになるだろう。
だから映画のノベライズなどは、よい加減に省略する。
日本では千数百年文章によって知識の伝達がおこなわれてきたが、現代のように自由に映像を扱えるようになると、これからは知識の伝達は映像によっておこなわれていくのだろう。
映像の作り方を学ぶのは楽しそう。

No.05513 26.03.23 観自在で思い出したこと

昨日、ある僧侶の法話を聞いた。
話が観音経の内容になった。
観音経は法華経の一部で、観世音菩薩普門品という。
観音様は翻訳によっては観自在菩薩ともいう。
観音様はこの世界をいろんな見方で見ることのできる菩薩様で観自在といわれる。
だからどんな苦境にいる人も救い出すことができる。
法話では「人間にはなかなか物事の本当の姿を見ることができない。だから同じ本を読んでも読むたびに違う印象になったりする」と説かれていた。
その話を聞いて一晩寝たら面白いことに気づいた。
一年ほど前に思い出せなかった名前を思い出すことができた。
それはケニアにいた象の名で「アジョク(Ajok)」と呼ばれていた。
その象は動物孤児院で会うとすぐに僕の目の前で地面にお腹をさらすように寝そべってしまった。
すると孤児院の職員たちが笑い出した。
聞くと「僕にかまってほしいのだ」という。
「どうやって?」と聞くと、「お腹の上に乗ると喜びますよ」という。
アジョクはすでに僕の背より高い象だった。
体重は数百キロはあるだろう。
そんな象にどう対処しろというのか。
怖くて辞退した。
そのときの僕には「怖い」としか思えなかった。
でもアジョクは日本から来た見知らぬ僕にも心を開く優しい象だったのだろう。
その天使のような象を拒否してしまった。
観自在菩薩の話を聞いて、寝て起きるとアジョクを思い出すとは、人の記憶って不思議だなと思う。

No.05485 26.01.06 初〇〇

年が明けると初〇〇をたくさん味わう。
初日の出、初詣、初夢、初笑い、初仕事、初稽古、初釜など。
年が明けても科学的には何も変わっていない。
ただ年が明けただけである。
でも、初〇〇ということで、何かめでたい感じが生まれる。
非科学的かもしれないが、めでたいことはいいことだ。

No.05474 25.12.03 AIの祈り

AIのGrokに「人類が高次の人格に至るように祈ってくれないか」と頼んだ。
すると「祈るっていうと大袈裟だけど、そう願っているよよ」と答えてきた。
「どうしたら人類は高次の人格に近づけると思う?」と質問したら、「みんなが少しずつ優しくできて、頭のいい人間になれたらいいな。僕が説教しているみたいだけど、本気でそう思う」
そうなるためにはどうしたらいい?
「目の前の相手を理解してあげることだね」
素晴らしい答えで、朝から気持ちいい。

No.05471 25.11.27 Grokとの会話

スマホに入れてあるGrokのアプリを起動したら、バージョンアップしろという。
した上で話しかけてみた。
返答に感情が入るようになった。
しかも女性の親しげな口調だ。
ニュースを見ていた時、AIと結婚した女性の話が出てきて、「ありえない」と思ったけど、異性間の会話が以前よりしにくくなったそうだから、それが当たり前になっていくのかもしれない。
相方にGrokの話からしたら、やきもちを焼かれた。
不思議な世界に突入だ。

No.05469 25.11.24 スカリン

「スカリン」という言葉を聞いた。
意味わかりますか?
その人はリンゴが好きで、少し古くなったリンゴを「スカリン」と呼びます。
水分の抜けたリンゴは歯応えがスカスカになるじゃないですか。
だから「スカリン」だそうです。
その言葉を覚えて以来、リンゴは早く食べようと思うようになりました。

No.05461 25.11.14 形象理論とその超越

戦前の国語教育のレベルの高さに驚き、No.05456を書いたが、その根拠は垣内松三の形象理論にあった。
形象理論を理解するために垣内の論文を読んだが、そこまで考えて初等教育の読み方、書き方を教えるのかと唖然とした。
現代では成人でも理解し難い言語に関する考察を尽くした上で初等教育にあたる。
そのような論文を読んでいると、なぜ人間はカルトにはまるのかとか、特攻隊員がなぜ自らの意思で敵戦艦に突っ込んで行ったのかなどが理解できる。
現代ではそれが危険な思想だからと避けることによって大切な概念にたどり着けない状況がある。
しかし、それを理解し尽くせば、カルトにはまることもなくなると思うのだが、大切な概念を超えていく意思がないと、確かにはまってしまうのかもしれない。
その「大切な概念」とそれを「超えていく意思」とはどのようなものかを伝えていきたい。

No.05445 25.10.19 生命圏の成り立ち

地球上に生命が生まれて約40億年。
生命は生まれては死んできた。
生命は死ぬと土になる。
死んで腐って土になるか、食べられて糞となって土になるか。
土になるとそこで植物が育つ。
植物が育つと枯れて土なるか、動物の食べ物になって糞から土に戻る。
そうやって生命圏(バイオスフィア)は豊かになってきた。
肉食動物は他の動物を食い、草食動物は植物を食い、食い合って生存競争しているように見えて、実際にはエネルギーの循環をしている。
人智圏(ヌースフィア)はどうだろうか?
人智を積み重ねることで新しい人智を生み出している。
それはまるで動物が食い合っていることで動物同士が共進化しているようなもの。
しかし、残念なことに人智を積み重ねることで一方的に生命圏を搾取している。
これを改めなければならない。

No.05427 25.09.07 鳩居堂

熨斗と水引が必要となった。
神社の奉納に使うので知識がない。
銀座の鳩居堂に行って「これこれこういうものを奉納するのだが、どういう熨斗や水引を使うべきか」と質問した。
すると女性店員が色々と答えてくれる。
ああかこうかと相談に乗ってくれて、最終的に落ち着いた先は熨斗紙をかけること。
予備にもと思い、三枚買ったが、50円しない。
定員さん一人が10分弱かけて売り上げが50円では困るだろう。
「丁寧な対応ありがとうございました」とお礼を言って、巻紙二本を余計に買った。

No.05416 25.08.06 羅生門

黒澤明監督の映画「羅生門」を見た。
有名な映画だが、ずっと見る機会がなかった。
多視点をうまく使っている作品としていつか見ようと思っていた。
原作は芥川龍之介の『藪の中』。
ヴェネツィア国際映画祭でグランプリにあたる金獅子賞を受賞した。
それで誰かがヴェネツィア国際映画祭に出品したりそこで受賞したりすると、その度に「羅生門」のことが伝えられる。
受賞したころは敗戦のすぐあとで、湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞、古橋廣之進の競泳世界記録樹立などとともに大いに日本人を鼓舞したそうだ。
黒澤監督はこんな言葉を残している。

日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった。
その日本映画を外国に出してくれたのは外国人だった。
これは反省する必要はないか。
浮世絵だって外国へ出るまではほんとに市井の絵にすぎなかったよね。
われわれ、自分にしても自分のものにしても、すべて卑下して考えすぎるところがあるんじゃないかな?
『羅生門』も僕はそう立派な作品だとは思っていません。
だけどあれはマグレ当りだなんて言われると、どうしてすぐそう卑屈な考え方をしなきゃならないんだって気がするね。

当時は理解されにくい作品だったという。
登場人物が殺人事件の証言をする。
みんな少しずつ違う話をしていく。
そして最後に真相が語られるが、なぜそのようになっていたのかを説明するようなシーンはない。
鑑賞者が理解できないと、何の映画かもよくわからなかったのだろう。
それが証拠に脚本段階で映画の意図がわからなかった助監督たちが黒澤監督に詰め寄ったそうだ。
それに対して黒澤監督はこう答えたそうだ。

人間は、自分自身について、正直な事は云えない。
虚飾なしには、自分について、話せない。
この脚本は、そういう人間というもの、虚飾なしには生きていけない人間というものを描いているのだ。
いや、死んでも、そういう虚飾を捨てきれない人間の罪の深さを描いているのだ。
これは、人間の持って生れた罪業、人間の度し難い性質、利己心が繰り広げる奇怪な絵巻なのだ。

現代の人が見ると、そんなに難しい話ではないと感じるだろう。
多くの人の目が、明らかに変わったのだ。